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2020-01-05

憲法ネット103 出版記念・2周年記念シンポジウムの報告

「憲法研究者と市⺠のネットワーク」(憲法ネット103)は、『安倍改憲・壊憲総批判− 憲法研究者は訴える』(八月書館)を2019年12月に刊行しました。
この本の出版と憲法ネット103の発足2周年を記念して、2019年12月8日、13時半より、早稲田大学9号館5階第1会議室にてシンポジウムを開催しました。

シンポジウムの内容は次のようです。
司会は石村修(専修大学名誉教授)と植野妙実子(中央大学名誉教授)がつとめました。
まず憲法ネット103の発足の経緯と記念出版の紹介が根森健氏(東亜大学大学院特任教授、埼玉大学・新潟大学名誉教授)により行われました。

講演1 
高見勝利氏(上智大学・北海道大学名誉教授)
「祭祀大権から天皇家の私的神事に! されば、などてすめろぎは身の丈に違う祭事を?」
高見氏は、「宮廷費から大嘗祭の費用を支出することは憲法上許されるのか」について、大嘗祭の趣旨・形式等からして宗教上の儀式としての性格を有すること、宮廷費の投入となったことは皇位継承の重要な儀式と位置づけ、公的性格を認めて「平成の代替わり」を踏襲したが、問題があると指摘。
旧憲法下の祭祀大権は廃止され、政教分離の前提条件として、公私は峻別されるべきものとなった。しかしながら即位の礼は国事行為として宮廷費で賄うことに伴い、大嘗祭の祭儀の「公的性格」に着目して同様に宮廷費で賄うことにしている。大嘗祭の「秘儀」に公費を投じるために皇室経済法7条からの類推はできない。大嘗宮の設営・解体に多額の公金を投じる理屈は成り立たない。それではこうした違憲・違法な行為を裁判所で争う時に目的・効果基準を用いることについては、大嘗祭自体が憲法・皇室典範・皇室経済法に定める公私峻別、政教分離原則に違反しているのだから、目的・効果基準を用いるまでもなく、公金投入は直ちに違憲・違法、無効の行為である。なお、天皇制の将来については国民が「世襲の国家機関」をどのように考えるにかかる。このようなことを指摘されました。


講演2 
藤野美都子氏(福島県立医科大学教授)
「福島から考える原子力発電」

藤野氏は、自らの福島の住民としての立場から、原発事故に遭遇し、驚き、うろたえた経験を通して、どのように原子力発電について考えるべきかをスライドなどを活用されてわかりやすく、説明されました。

まず福島原子力発電所の歴史について説明し、事故前の原子力発電所の災害対策が不十分(JCOの事故が基準)で、「想定外の事故」にあって、混乱を大きなものとしたこと。
福島の実際の被害は、憲法13条の生命に対する権利、22条で保障される居住等の権利、13条や25条で保障される環境権、それらのみならずさまざまな住民の権利を侵害している。
福島原発の廃炉は決定されたが、見通しはまだ立っていない。
さらに日本全土における原子力発電所の廃止には至っていない、事故の反省に基づかない政策がまかり通っている、と批判されました。


講演3 
成澤孝人氏(信州大学教授)
「現代日本における『表現の不自由』の現状ーあいちトリエンナーレ2019芸術作品弾圧事件から考える」


成澤氏は、まず事実の確認として、経緯をたどり、憲法上、どのような問題点があったのか、検証しました。
本来、止むにやまれぬ利益がなければ展示を中止できないはずなのに、中止にするだけの具体的な危険性がないにもかかわらず、中止に至っている。また広い意味での検閲にあたるような政治家の言動があり、補助金が実際に不交付となった。さらに、検証委員会の中間報告が、責任を津田氏にあるとして厳しく非難している。結局、多くの人から攻撃されるような展示はするなというに等しい形になっている。
この事件は日本における、「表現の不自由」な状況を浮かび上がらせた。
この背景には、ふつうの市民の右傾化、戦争責任の忘却という社会現象も見られる。表現の自由は私たちの命綱でもある、という言葉で締めくくられました。

質疑応答においては、高見先生に多くの質問が寄せられました。
とりわけ、国旗に対する当時天皇であった上皇の態度(国旗を背にする)と、現在の天皇の態度(国旗が飾られている方を向き国旗を仰ぎ見る)の違いが問題になりました。日本の象徴とされる天皇が、国旗に対してどのような態度を示すのか、率先して国旗は仰ぎ見るものという向き合い方を見せることの、国民への影響も懸念されるところです。
象徴天皇制は国民主権原理とは相容れない制度ではないか、という感想も市民の方から寄せられました。

出席者は25人程で少なかったのですが、大変充実したシンポジウムとなりました。(文責:植野妙実子)
主催:憲法ネット103 https://kenponet103.com/

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