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2019-12-30

憲法ネット103 出版記念・2周年記念シンポジウム「祭祀大権から天皇家の私的神事に! されば、 などてすめろぎは身の丈に違う祭事を?」

「祭祀大権から天皇家の私的神事に! 
     されば、 などてすめろぎは身の丈に違う祭事を?」

2019年12月8日 憲法ネット103  高見勝利

1.問題の所在
Q.宮廷費から大嘗祭の費用を支出することは、憲法上許されるか?
①11月14日夜〜15日未明、徳仁氏主宰の大嘗祭

②大嘗宮設営費約16億3千万円、大嘗祭関係費用総額約24億4千万円。

③大嘗祭「趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有すると
見られることは否定することができず、また、その態様においても、国に
その内容に立ち入ることはなじまない性格の儀式である」(後掲資料2-3)

④政教分離(憲法20条3項、89条)

⑤皇室の費用・財産授受(憲法88・8条)、内廷費・宮廷費(皇経法4条・5条)

2)公費(宮廷費)投入の結論ありきの1989年12月21日閣議口頭了解
Q.宮廷費を投入したのは、なぜ? 投入の口実は?

①平成の代替わり宮廷費投入の政治的背景;89年度予算の内廷費約2億9千万円、当時も20億以上はかかるとされた大嘗祭を内廷費で賄うとすれば、翌90年度内廷費の定額を一挙に一桁増とする金額を皇経法施行法に計上、ねじれ国会(7月参院選)の関門を突破する要ある無理難題。政府は、当初から宮廷費投入の結論ありきで、89年了解の理屈を捻出。

資料2-1)2018年4月3日閣議決定
  第1 各式典の挙行に係る基本的考え方
 1 各式典は、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとすること。
 2 平成の御代替わりに伴い行われた式典は、現行憲法において十分な検討が行われた上で挙行されたものであることから、今回の各式典につ いても、基本的な考え方や内容は踏襲されるべきものであること

資料2-2)2018年4月3日閣議口頭了解
 大嘗祭の挙行については、〔89年了解〕[資料2-3]における整理を踏襲。

資料2-3)1989年12月21日閣議口頭了解[89年了解])
皇室典範第24条は、皇位の継承に伴い、国事行為たる儀式として「即位の礼」を行うことを予定しており、「即位の礼準備委員会」は、この儀式の在り方等について、大嘗祭を含め、4回にわたり15名の方々から御意見を伺い、それらを参考としつつ、憲法の趣旨に沿い、かつ、皇室の伝統等を尊重したものとするとの観点から、慎重な検討を行ってきたところであるが、今般、下記のとおり検討結果をとりまとめた。 
            記 
 第2 大嘗祭について
 1 意義 大嘗祭は、稲作農業を中心とした我が国の社会に古くから伝承されてきた収穫儀礼に根ざしたものであり、天皇が即位の後、初めて、大嘗宮において、新穀を皇祖及び天神地祇にお供えになって、みずからお召し上がりになり、皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式である。それは、皇位の継承があったときには、必ず挙行すべきものとされ、皇室の長い伝統を受け継いだ、皇位継承に伴う一世に一度の重要な儀式である。 
2 儀式の位置付け及びその費用 大嘗祭は、前記のとおり、収穫儀礼に根ざしたものであり、伝統的皇位継承儀式という性格を持つものであるが、その中核は、天皇が皇祖及び天神地祇に対し、安寧と五穀豊穣などを感謝されるとともに、国家・国民のために安寧と五穀豊穣などを祈念される儀式であり、この趣旨・形式等からして、宗教上の儀式としての性格を有するものと見られることは否定することはできず、また、その態様においても、国がその内容に立ち入ることにはなじまない性格の儀式であるから、大嘗祭を国事行為として行うことは困難であると考える。
 次に、大嘗祭を皇室の行事として行う場合、大嘗祭は、前記のとおり、皇位が世襲であることに伴う、一世に一度の極めて重要な伝統的皇位継承儀式であるから、皇位の世襲制をとる我が国の憲法〔2条〕の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然と考えられる。その意味において、大嘗祭は、公的性格があり、大嘗祭の費用を宮廷費から支出することが相当であると考える。

3)皇位の「世襲」(憲法2条)と世襲「儀式」の取り扱い
Q.「世襲」は、皇位継承「儀式」までも含むか? NO では、その扱いは?

資料3-1)「憲法2条の趣旨」(内閣法制局『憲法関係答弁集』[2017]9頁)
憲法2条の「『世襲』とは、皇位が代々皇統に属する者によって継承されるということである」。

①選挙・選帝といった継承方式は用いないとの意、「旧天皇制のあれやこれやの儀式を当然に承認し、継承している」ということではない(奥平)。

資料3-2)皇室典範24条「皇位の継承があつたときは、即位の礼を行う。」

資料3-3)旧皇室典範11条「即位ノ礼及大嘗祭ハ京都ニ於テ之ヲ行フ」

資料3-4)登極令第14条「即位ノ礼及大嘗祭ハ附式ノ定ムル所ニ依リ之ヲ行フ」

資料3-5)皇室典範及皇室典範増補廃止ノ件(1947年5月1日)
 明治22年制定ノ皇室典範……ハ昭和22年5月2日限リ之ヲ廃止ス

資料3-6)皇室令及附属法令廃止ノ件(1947年5月1日皇室令第12号)
 皇室令及附属法令ハ昭和22年5月2日限リ之レヲ廃止ス

資料3-7)皇室令・附属法令廃止に伴う事務取扱通牒(1947年5月3日付 宮内府長官官房文書課長 高尾亮一)
 各部局長官殿 依命通牒 皇室令及び附属法令は、5月2日限り、廃止せられることになつたについては、事務は、概ね、左記により、取り扱うことになつたから、命によつて通牒する。 
          記 
一[a]、新法令ができているものは、当然夫々その條規によること。(例、皇室典範、宮内府法、宮内府法施行令、皇室経済法、皇室経済法の施行に関する法律、皇統譜令等)…
三[b]、従前の規定が廃止となり、新しい規定ができていないものは、従前の例に準じて、事務を処理すること。(例、皇室諸制の附式、皇族の班位等)
四[c]、前項の場合において、従前の例によれないものは、当分の内の案を立てゝ、伺いをした上、事務を処理すること。(例、宮中席次等)…

②なお、皇室祭儀の事務取扱に関しては、1945年12月15日の神道指令を承け、政教分離原則に即した取り扱いへの変更がなされていた。「GHQの『信教の自由と政教分離』の指定〔令〕に基づき、大祭小祭ともに、『皇族及官僚ヲ率ヰテ』の項を削除。以来の皇室祭儀はすべて天皇家の私的行事として執り行われている。春秋の皇霊祭と新嘗祭には、特に総理大臣、衆参両院議長、最高裁判所長官、国務大臣らに対し『任意参列』の案内状が出されている」(藤樫準二『増訂 皇室事典』(1989年)133頁)。

4)祭祀大権の廃止、政教分離の前提条件としての公私峻別
Q.なぜ、皇室祭祀に関し、公私区分がこれほど当初から問題にされたのか?

①旧憲法下の祭祀大権(国務大権と並んで、最高祭主として皇祖皇宗・歴代の皇霊および天神地祇を祭る天皇の地位〔不文憲法〕)。

②皇室の祭祀と国の祭祀の両輪。前者は、宮中において天皇が自らこれを行い、また、宮中の祭官にこれを行わせるが、しかし、それらの祭祀は皇室の家長として天皇が行う私的性格のものでなく、最高祭主としての天皇が行う公的性格の行為、ただ、その祭殿が宮中に置かれている(宮中三殿)というだけ。大祭・小祭の別があり、何れにも文武の官僚参列義務づけ。後者は、神宮及び神社でこれを行い、これら施設は国の営造物、国および地方公共団体から金銭上の保護、そこでの祭祀は、官吏たる神官・神職がこれを行う「国家の公の行事」(美濃部『日本国憲法原論』232頁)。要するに、祭政一致による国民の統治、支配システム。

③神道指令の威力;
(a)「国家神道」に関する全法令の廃止、神宮・神社を国家から切断、民間の一宗教に(国の営造物から純然たる宗教法人に)。

(b)皇室の祭祀も「今後は皇室の家族的行事として行われること」となった。その結果、宮中三殿の祭祀は皇室一家の私事に止まり、宮中の祭祀に文武官僚を参列せしむることも禁止(美濃部・原論233頁)

④GHQは「宮中の祭殿やその他の神社で行われる儀式に天皇が参加することは、天皇が好きなように勝手にやればよい、純粋な私事〔だ〕」と見なした(ウッダード『天皇と神道』291頁)。

⑤上記、④の理解は日本政府も基本的に同じ(金森大臣の弁)。大嘗祭の儀については、「皇室典範はわれ関せず」。では、「それがなくなるかといえば、それがなくなるということは恐らくあり得ない。この〔典範の〕外において行われると思います」(『資料全集 皇室典範』326頁以下)。

5)憲法上「従前の例」によれない儀式を「従前」通りに行うための方便
Q.憲法の枠内で大嘗祭の儀を「従前」のまま行うには、どんな理屈・手順が?

資料5-1)金森答弁(1946.12.6衆院本会議・皇室典範案第1読会)
「改正憲法におきましては、宗教上の意義をもつた事柄は、国の当然の儀式とはいたさないことになつております。従つて皇位継承に関する諸種の儀式の中につきましても、宗教的なる意味を多く含んでおりまするものは――或は少しでも含んでおりまするものは、皇室典範の中に取り入れることが困難であるわけであります。……大嘗祭は、……皇室典範の中に取り入れることもできませんわけで、またこれに基づきまする施行の命令というものの中に取り入れるかと申しますると、これも国の規則でありますが故に、宗教的なものにつきましては規定することができません。そこの所は、適当にしかるべき範囲を見はからつて、命令その他に規定する方針を決めておりまして、少くとも即位に関する大礼は、国の規則においてこれの詳細を定むることになろうと考えております。」

①即位の礼に関する上記・執行命令も制定されないまま、40数年後に、昭和から平成への代替わりを迎え、法制上の空白に直面。空白を埋めたのが資料3-7依命通牒の処理手順[c]。

②しかしながら、同手順に準拠するとしても、憲法レベルでの再定義が必要。それを試みたとおぼしきものが、次の資料;
資料5-2)参議院内閣委員会会議録第8号(1991年4月25日)
 Q.代替わりの一連の儀式につき、政府は登極令に事実上準じて行うと答弁しているが、それは依命通牒(資料3-7)に依拠したということか。
 A.政府委員(秋山収君)……皇室の行います儀式とか行事につきましては、憲法あるいはその他の法令の規定に違反しない限りは、法令上の根拠がなくても皇室がその伝統などを考慮してこれを行っても現行憲法上何ら差し支えないものでございまして、……お尋ねの通牒は3項[b]、4項[c]あわせ読めば、現行憲法及びこれに基づく法令に違反しない範囲内において従前の例によるべしという趣旨でありますので、憲法上特段問題はないものと考えております。

②上記・資料5-3答弁で、内閣の助言・承認にかかる天皇の「儀式」(憲法7条10号)の運用につき、[b’]新しい規定ができてなくても、憲法に違反しない限りは、従前の例に準じて処理し、[c’]憲法に違反し、または違反するおそれがあって従前の例によれないものは、暫定案を立て、内閣に伺いをした上で事務を処理すると、資料3-7[b][c]の読み替えがなされている。

③要するに、大嘗祭につき、憲法の政教分離の壁からして、「従前の例」すなわち旧典範11条のように即位の礼とペアで国の儀式として実施できず、さりとて、祭儀である以上、憲法1条の象徴たる地位に基づく「公的行為」(冒頭概念図)としても行うことができないことから、「皇室の(私的)行事」として行うほかない。

④そこで、皇室典範24条に記載のないものの、従前、即位の礼とペアで実施されてきた大嘗祭の双方について、89年了解(資料2-3)は、[c’]の手順に基づき、即位の礼準備委が「当分の間の案を立てて」、内閣に対し「伺いをしたうえで」、即位の礼は「国事行為」として宮廷費で賄い、総理府が事務処理し、大嘗祭については、「皇室の(私的)行事」であるものの、祭儀の「公的性格」に着目して宮廷費で賄い、宮内庁が当該「事務を処理する」ものとしたのである。

6)「秘儀」に公費を投ずるための屁理屈
Q.「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」(皇経法7条)からの類推は可能か?

①89年了解曰く。「皇位の世襲制をとる我が国の憲法〔2条〕の下においては、その儀式について国としても深い関心を持ち、その挙行を可能にする手だてを講ずることは当然〔だ〕」と。これは、憲法2条を根拠に、皇位「世襲」に伴う天皇の極秘の最重要伝統神事であることから、「その意味」で大嘗祭は「公的性格」を有し、もとより政教分離(憲法20条3項、89条)との関係で皇室の私的行事として整理せざるを得ないとしても、天皇が深夜にその秘儀が滞りなく実施できるよう、政府の方で宮廷費を投じ大嘗宮の設営等、条件整備を行うことは「相当〔だ〕」とするもの。

②どうやらそこでは、皇経法7条の「皇位とともに伝わるべき由緒ある物」が動員、そのアナロジーで「皇位継承の際に通常行われてきた皇室の重要儀式」なるものが引き出されいるようだ。

③皇経法7条は、「祭具及び墳墓の所有権は、……祖先の祭祀を主宰すべき者が継承する」とする民法897条(均分相続の特例規定)の皇室版。そのことは、剣璽・宮中三殿は、その宗教的性格からして、「国の方に持って来るわけには行かず、〔皇室の〕私有財産としての取扱いで行かなければなら〔ぬ〕」とし、その「物的方面」を同条で規定した、との金森答弁からも明らか(資料集『皇経法』273頁、『皇室典範』432頁。であれば、同条を国家機関たる天皇(Organträger)の継承に、公・私法二分という近代法の大前提を敢えて崩してまで、類推適用すべきでなかろう。

④とはいえ、上記・剣璽について、政府は、「皇位とともに伝わる由緒物」を根拠(?)に、恐らくこれを公的なるものと位置付け、御璽・国璽とともに即位に伴うその承継儀式が、国事行為(国の儀式)として宮廷費を用い行わしめたが、いまここでは、この問題には立ち入らない。

⑤また、宮中三殿について、政府は、「天皇家の私有財産」と明言する一方、他方で、これを「由緒あるものとして天皇に伝わるもの」とし、この点で「公的な面を持っておる」ので、宮廷費での修繕修復することが可能だとする(浅野・杉原監修『憲法答弁集』480頁)。

⑥しかしながら、宮中三殿のような構造建造物であれば、無理を承知で皇経法第7条にその根拠を求めなくとも、)文化財として保護するに足る価値がある、といった別の理由から、その修理に公金を投じることは理論上可能。

⑦宮中三殿が、もし国宝・重文級の歴史的文化財として国家的保護に値するものであるとすれば、その面に着目して、公費を投じて修理することは、たまたまその所有者が天皇であるというだけに過ぎないであるから、これまでの憲法89条に関する政府の解釈・運用からして不可能ではなかろう(内閣法制局・答弁例集401頁)。

7)大嘗宮に公金を投ずる究極の理屈を探ってみると
Q.かりに大嘗宮には歴史的文化財としての価値があるとしても、それ自体は、一世一度の神事のため急造され、終了後速やかに解体されるアドホックな仮の建造物である。その設営・解体に多額の公金を投ずる理由ありや?

①そこで歴史的文化的価値ありとされているのは、もしその価値があるとしても、それは古代の建造物を再現する技。とすると、その技を継承する宮大工( 大型受注した清水建設の設計主任?)に公的支援を施すことで、当該目的は達成されるはず。

②なお、関連して、徳仁氏が深夜に悠紀殿・主基殿で秘かに行う大嘗祭の技が、いわば無形文化財として保護するに値するか否かも問題に。

③この場合、当該秘儀が保護に値するかどうかを判断するためには、その伝統文化的価値を学術的に検証する必要あり。また、公金投入と引き換えに、何らかの形(たとえば秘儀とされる技の写真、動画等)で、国民にその技を公開する必要あり。それは、おそらく御法度。

④とすると、その無形文化財的価値の有無をおそらく評価しようにも出来ない話。とすれば、その晴れ舞台のための一連の施設に公金を投じてよいのか否か、判断しようにもその手がかりすらない。

8)宮廷費支出はどんでん返し、ゆえに即「違憲・無効」
Q.大嘗祭への宮廷費支出は、目的・効果基準に照らして判断すべきか?

①大嘗祭は、「即位の礼」という表の儀式に対して、憲法上、政教分離原則との関係で、旧皇室典範のように、公然と表では出来ず、裏で、天皇家が私的に行うべき儀式。

②89年了解は、裏の儀式のまま、それが皇位世襲に伴う一世一度の行事だとし、「公的性格」ありとして公金と投じうるという。

③しかし、憲法・典範・皇経法の公私峻別からして、宮廷費投入と同時に、裏の大嘗祭が「裏返って」表の祭事となる。

④その憲法的意味は何か。誰が見ても「宗教上の儀式としての性格を有する」(82年了解)大嘗祭が、国の「機関」(憲法20条3項)たる天皇の当該機関就任祭事として表だって営まれるのであるから、当該祭事が憲法で禁じられた国の「機関」の「宗教的活動」たるは明白だ、ということ。

資料8-1)最高裁判決(2018.2.20式典準備委員会配付資料)
○御代替わりに伴う儀式に関する最高裁判決は3例。全て住民訴訟で知事等の儀式への参列の合憲性が争われたもの。
○いずれも知事等の参列はいわゆる目的効果基準に照らし、政教分離原則に反しないとして、被告である県側が勝訴。……
 
⑤しかし、天皇が主宰する大嘗祭については目的・効果基準は通用しない。なぜか。それは、公私峻別の政教分離の壁を突破し、公(国家・公共団体)が私(市民社会・私的団体)にどの程度、介入することが許されるかという物差しが使える事案(たとえば、祭祀大権から切り離され、宗教法人となった伊勢神宮への公金支出や、同趣旨で宗教法人化された靖国神社への首相の公式参拝のような事案)ではないからである。

④公費投入による大嘗祭の裏返りについては、「布教宣伝」「圧迫抑圧」等「諸般の事情を考慮」(津地鎮祭事件最大判)するまでもなく、裏返るだけで直ちに違憲。忍者屋敷のどんでん返しと同じ。宮廷費を投入した途端、裏が表になり、ドンピシャ憲法第20条3項により禁じられた国家「機関」の「宗教的活動」に該当。「国……が特定の宗教的活動を行えば、……それだけで政教分離原則の侵害となる」(津地鎮祭訴訟名古屋高判)。

⑤そこでは、「公金〔投入〕ゆえに無効[void for public purse]」の判断基準が適用されるべし(cf.void for vagueness、void on its face)。

⑥要するに、秋篠宮(文仁氏)の的確に指摘するように、憲法上は、天皇が憲法20条3項に触れないよう皇室の私的神事として「身の丈」にあった大嘗祭を行うほかなく、そのためには、宮中の神嘉殿をつかい内廷費の枠内で実施するという、大嘗祭それ自体を憲法適合的に実施する方法を選択すべきだった、ということになる。

⑦なお、徳仁氏は、即位礼正殿の儀で(10月22日)、国民に対し、「憲法にのっとり」、「象徴としてのつとめを果たす」と誓う。この誓いは、憲法99条(憲法尊重擁護義務)を踏まえたものであろう。とすれば、かりに徳仁氏が、89年了解を踏襲した今回の大嘗祭のやり方に、憲法上疑義ありと見ていたとしても、政府は2018年4月3日閣議口頭了解(資料2-2)で前例踏襲を早々に決定していたのであるから、当時は皇太子の身分であり、事前に異を唱える余地はなかったものと思われる。

⑧昨年11月30日の誕生日記者会における秋篠宮文仁氏の「身の丈」発言は、もしかすると兄や父(明仁氏)の思いを代弁していたのかも知れない。

⑨ともあれ、「憲法にのっとり」天皇職の「つとめを果たす」と誓った矢先に、公金を用いて大嘗祭を主宰したのであるから、徳仁氏本人にとっては忸怩たるものがあったのかも知れない。今回はtoo lateであったということか。報告者は見とどけることは出来ないが、次回、皇嗣文仁氏の即位時に期待したい。

9)むすび
天皇制の将来、国民が世襲の国家機関をどう運用すべきだと考えるかに…

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