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2024-05-01

更なる多様性を求めて

石村 修(専修大学名誉教授)

 男女の在り方を巡って、少し法的にも変化が見えてきた。世界の大きな流れに遅れることの実証は、各種の指数に表れている。例えば、WEF(世界経済フォーラム)が発評した「ジェンダーギャップ指数」では、低下の傾向が止まらず、世界146か国中116位となっている(2022)。 

 日本国は4つのジャンルの内で「教育と健康」では上位にあるものの、「経済・政治」で下位にあることが原因となっている。これを変えるのは、意識を変えるという意味で、例えば家族の在り方、働き方を変える必要があり、その変化を促す立法が必要である。しかし、これも政権政党の動きが遅く、その結果、司法の場面で、変化を促す判断が下級審で出始めた。


 それらは家族の在り方である「夫婦別姓、同性婚」の承認、そして政治の世界での「積極的平等・クオーター制度」の導入に見られる改善策にあるが、なかなか賛同が得られないのが現実である。こうした動きを止めているのは、明らかに保守的な思考経路をもつ地域・人にあり、その現場にいた自分の体験を披露してみたい。


 大学退職後、「千葉県船橋市、男女共同参画委員」に応募し、2名の枠に収まった。さらに、千葉県の男女共同参画の推進委員に選出され、両者を4年間務めた。船橋市の委員は、あくまでも市の行政が行う「参画計画」を作り出すことにある。この委員会が実行できる範囲は狭く、市の行政内での「男女参画の平等」を促す程度の役割しか行えなかった。唯一努力したのは。「パートナーシップ制度」を議会に促し、条例の制定ができたことにある。県で4番目であった。

 しかし、ひどかったのは、千葉県の男女共同参画の在り方であった。私が辞令を受けたのは「鈴木英治」(森田健作)知事であった。彼は男女参画に極めて消極的であり、保守で固まっている議会と重なって、全国で唯一、男女共同参画に関する条例がなく、したがって、その委員会もなかった。前の知事が推進派であったことから、極端に逆の舵をきったことになり、私はその形だけの委員会に出た時も、何もやらない会議であり、それを揶揄すると、市の職員から恫喝があった。県の都市部とそれ以外は、議員の構成も異なっており、女性は社会でも家庭でも低く見られていた。


 その鈴木知事も代わり、新たに選任された八方美人系の熊谷知事になって、やっと「千葉県多様性に関する条例」が昨年の12月にできた。最大会派の自民党50人は、党で賛成を決めていたにも拘わらず、最後の決定の場面で、1人が反対し8人が退席するという異常な行動をとった。条例が妥協して「人権尊重や差別禁止」の文言を入れなかったにも拘わらずである。千葉県の衆議院選挙区選出は13名中9名が自民党である。かつては13名中12名であったから、若干の変化が出てきた。保守王国・千葉県は、どうして作られてきたのかを、今仲間と考えており、この変化を促すことがやがてジェンダー指数の変化につながること期待しながら運動を続けていきたい。

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