憲法問題としての地方自治法改悪
永山 茂樹(東海大学教員)
能登半島にたいする救援や復興支援がまったくすすんでいません。政府は被災地を見捨てようとしているのでしょうか。
そんななか、政府は地方自治体に対する統制力を無限に拡張するための地方自治法「改正」案を、国会に提出しました(24年3月)。国務大臣は「国民の安全に重大な影響を及ぼす事態が発生し、又は発生するおそれがある場合において」、地方自治体にたいし、「生命等の保護の措置の的確かつ迅速な実施を確保するため講ずべき措置」に関して必要な指示をすることができる、というものです(改正案・第252条の26の5)。
大臣のこの権限は、もともと法案の作成段階では「補充的な指示」と説明されていました。しかし「補充」とは、何かほかのものが主であるのに対して、それを補うことです。でもこの法案では、大臣の指示のほうが主で、自治体のほうが下に位置づけられるのです。だから「補充」という言葉は不正確かもしれません。
この指示権がつかわれることで、地方自治体の自治権がいちじるしく制限される(あるいは停止に追い込まれる)ことも避けられないでしょう。この20年間ですすめられてきた「地方分権」の流れに逆行する、中央集権的な法改正といわざるをえません。とすると、地方自治体の自治権を保障する憲法第8章に反する疑いもあります。
なお緊急時における国の指示権については、自民党のつくった「日本国憲法改正草案」(2012年)にも書かれていました。今回は、それを改憲ではなく、法律改正によって実現しようというのですが、考えてみるとおかしなことです。12年に「憲法改正によってしか実現できない」と説明したはずの国の指示権を、24年になって「法律の改正によって実現できる」と言い出したのですから。それなら12年に法律改正を提案するのが筋です。それが法律改正でではできないと判断したからこそ、よりハードルの高い改憲案のなかに書き込んだのです。
改憲手続を経ず、自治法によって憲法が保障する自治権を剥奪するという意味で、露骨なほどの実質改憲(国家緊急権の創設)だといえます。近年の自民党政治のなかで、立憲主義の仕組みをないがしろにする点で、もっとも酷いものの一つだとおもいます。
この法律改正案には、災害になったらすべて東京から大臣が指示をする、地方はそれに従えばよいのだ、という災害時内閣中心主義の発想がみてとれます。しかしそうでしょうか。そういう遠隔操作ではなく、地方住民の置かれた環境と、そのニーズに対応した地方政治を進める必要はないのでしょうか。
わたしは、災害時内閣中心主義は、二つの怠慢を正当化するのではないか、とおそれています。第一は、国会が事前に必要な法律を制定したり、内閣の指示を適切にコントロールすることを怠ることの正当化です。第二は、疲弊する地方自治体に、救助や復興に必要な権限や財を配分しないことの正当化です。