長崎の「憲法さるく2024」
前原 清隆(元長崎総合科学大学教員)
長崎県九条の会は今年も5月4日に「さるき」ます。
「さるく」ということばの意味や、憲法記念日関連行事として長崎県九条の会が「憲法さるく」を4日に行うこととなった経緯などについては、2022年の「憲法記念日メッセージ(長崎の「憲法さるく」のこと)」をご覧ください。去年の「憲法さるく」については2023年の「憲法記念日メッセージ(長崎の九条の会は今年も「さるき」ます)」をご覧ください(いずれも前原執筆)。
以下、今年の「憲法さるく」を紹介します。第18弾となる今回は「爆心地より城山地域の原爆遺構を訪ねる」がテーマです。ウクライナやガザにおける核兵器使用の威嚇や広島、長崎を例示しての発言さえもニュースで伝えられるいま、長崎の九条の会ならではのテーマと言えましょう。このメッセージを読んでくださっているみなさんの中にも今年のアカデミー賞を最多7部門で受賞した映画「オッペンハイマー」をご覧になった方も多いかと思いますが、その感想なども語り合いながら「さるく」ことになりそうです。
案内をしてくださるのは今年も胎内被爆者の語り部の陸門良輔さんです。案内コースのポイントを紹介します。
1945年8月9日午前11時2分、長崎市松山町171番地の上空約500メートルでプルトニウム原爆が炸裂しました。長崎を訪れたことのある方なら「爆心地公園」に立つ「原子爆弾落下中心地碑」を見られたことがある方も多いかと思います。爆心地の西隣の長崎本線の線路と浦上川にはさまれた現在長崎市営陸上競技場がある場所の焼け跡に当時米軍は簡易飛行場を造り「アトミック・フィールド」と呼んでいたそうです。
「城山地域」というのは、その西方、浦上川をはさんだ向かいの地域です。爆心地に最も近い(約500メートル)国民学校が「城山国民学校」でした。校舎はほぼ全壊し、当時在籍していた1500名のうち1400名の児童や28名の教職員のほか動員学徒などが犠牲となりました。翌年3月の卒業式で送り出すことができたのは男子5名、女子9名の計わずか14名でした。
被爆校舎の一部は現在でも保存され、「城山小学校平和祈念館」が設けられています。毎年8月9日の長崎市の平和祈念式典のテレビ中継を視聴すると小学生の合唱が心を打ちますが、歌われるのは城山小学校で歌い継がれてきた「子らのみ霊よ」です(山里小学校の児童らによる「あの子」と隔年で)。「子らのみ霊よ」の歌詞の一番を紹介しておきます。
「めぐりきぬ このつき このひ / 思い出は 白雲の かなた / ひらめきの またたく ひまに / 声もなく 空しく 散りし / 先生よ 子らの み霊よ」
なお長崎では毎月9日の午前11時2分になると市内全域の防災無線から「千羽鶴」という曲のチャイムが流れます。
「嘉代子桜」で知られる林嘉代子さん(当時県立高女4年生)が被爆して亡くなったのも城山国民学校での仕事中でした。
当日は午前10時に出発し、上記のほかのポイントも含めて約2時間「さるき」ます。旅行などで長崎を訪れ「憲法さるく」に関心のある方、核兵器の使用や憲法の改悪に危機感をお持ちの方は、電停「平和公園」近くの陸上競技場入り口付近にお集まりください。