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2022-05-01

長崎の「憲法さるく」のこと

前原 清隆(元長崎総合科学大学・日本福祉大学教員)

 筆者は2004年の「長崎県九条の会」の発足にかかわり事務局で活動した。職場が変わった10年ほどは長崎を離れていたが、現在は長崎での活動に復帰している。

 長崎県九条の会は、講演会開催やブックレット出版のほか憲法記念日関連行事として「憲法さるく」開催などの活動を行ってきた。このエッセイでは「憲法さるく」の活動を紹介したい。

 「さるく」とは、長崎弁(九州弁)で歩くとかぶらぶらするという意味である。会の代表委員のおひとりで著名な郷土史家として市民に親しまれた故越中哲也先生(長崎歴史文化協会理事長・当時)の発案で企画された行事である。

 「憲法さるく」は毎年5月4日に開催してきた。憲法記念日ではないことに首を傾げられる向きもあるかも知れないが、憲法記念日は各団体等が講演会を中心に関連行事を行うことに配慮して、当時は祝日ではなく憲法記念日とこどもの日とにはさまれた「国民の休日」とされていた5月4日(現在ではみどりの日となっているが)に、こどもとともに憲法のもたらす恵沢を満喫しながら「さるく」ことにしたわけである。

 越中先生をはじめとする「さるく」名人たちのガイドで、たとえばNHKの大河ドラマで「龍馬伝」が放送された年には「龍馬が歩いた道をさるく」などをテーマに、新緑の下をさるいた。もちろんたんなる街歩きではなく随所に「憲法さるく」らしさが盛り込まれた。

 15回目となる今年は、「越中先生の平和の思いを受け継ぐ 憲法さるく〜浦上の被爆遺構をたずねて」をテーマに行う。

 越中先生は昨年、100歳を目前に亡くなられた。その越中先生は、長崎県九条の会のブックレット『平和憲法を守ろう〜被爆地市民の熱い思い』の、「長崎県九条の会の発会によせて」と題された文章に「戦地に馳せ向かい、走り回っていた戦前の私。それは今考えると本当に地獄の獄卒であった。それでこそ私を、今、平和という考えに向かって一歩でも足を進めたいと願わせられているのです」と書かれている。

 「憲法さるく」で浦上をさるくのは初めてである。浦上は言うまでもなく原爆被爆の中心地となった場所である。浦上天主堂はどなたもご存知であろう。ロシアのウクライナ侵略を奇貨として一部政治家が敵基地攻撃能力(反撃能力)や核共有を口にする今、越中先生の平和の思いを受け継いで、筆者もさるくつもりである。

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