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2023-05-01

長崎の九条の会は今年も「さるき」ます

前原 清隆(元長崎総合科学大学教員)

 昨年に続き長崎の憲法記念日関連の取り組み(「憲法さるく」)をレポートします。

「憲法さるく」は、越中哲也先生(長崎県九条の会よびかけ人代表のお一人で広く市民に親しまれた郷土史家)の提唱で始まり、その後県内各地域九条の会とも共同して毎年5月4日に実施しています。

「さるく」とは九州弁で歩くという意味。5月3日憲法記念日と5日子どもの日の間の5月4日に子どもとともに新緑の下を「さるく」というもの。5月4日は現在はみどりの日ですが、当初は祝日と祝日の間の休日でした。もっとも、本来は上記のように子どもとともにさるくという趣旨でしたが、現状は元子どもと言うか高齢者がさるいているわけですが。

 越中先生は残念ながら一昨年亡くなりましたが、今年も越中先生の平和への思いを受け継いで、「岩川町から坂本町をさるく」予定です。2時間ほどの行程のいくつかのスポットを紹介します。

(山王神社の一本柱鳥居)
 山王神社の4つの鳥居のうち二の鳥居は爆風で笠石がねじ曲げられ爆心地側の半分が倒壊、残った片方が一本柱のまま残っています。

(被爆クスノキ)
 原爆の爆風と熱線により焼けてしまいましたが、2か月後新芽が生えてきました。福山雅治さんがこの楠を守り平和を祈るため「クスノキ」という曲を作り、ファンの聖地となっています。

(福田須磨子旧宅)
 原爆の非人道性を訴えた詩人・作家。23歳で被爆、1974年死去。大きな反響を呼んだ詩「ひとりごと」では、「何もかも いやになりました 原子野に屹立する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で なんとかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといってくださいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です」と、平和祈念像に疑問を投げかけました。

(長崎医科大学附属病院)
 病院は爆心地から700メートルの坂本町の小高い丘の上にありました。原爆の熱線と爆風によって建物内部は完全に破壊され燃え尽きて、898名の職員、学生等が犠牲となりました。

(潜伏キリシタンの墓碑)
 キリスト教とともに伝わったヨーロッパ式の墓石。信仰の弾圧に対する潜伏キリシタンの抵抗を今に伝えています。長崎市の指定史跡です。


当日は10時に浦上駅前に集合してさるきます。もし長崎に旅行に来られて関心がおありになればどうぞご参加下さい。

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