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2024-05-01

2024年5月3日の憲法記念日に「頭は空っぽ、胸は一杯 何を書いたらいいかわからない」ー 平和憲法がなし崩しに壊されてゆくというのに!―

根森 健(新潟大学&埼玉大学名誉教授)

 馬齢を重ねて、ウンと若かったときのことを思い出すこともシバシバだ。


 確か、私が通っていた、札幌市内の中学校の体育館の壁にだったと思う。

「頭は空っぽ、胸は一杯…(Der Kopf ist leer, das Herz ist voll)」というハイネの詩の一節を書き出した短冊が貼ってあったことを、今、無性に思い出している。


 ハイネの「旅立つ友の良き旅と旅の安全を祈る」思いとは全く違うけれど、この憲法ネット103の立ち上げのきっかけとなった、安倍政権下での集団的自衛権容認の閣議決定とそれに続く、内閣支配の国会での安保関連法の改悪、そして、今また、鏨の外れた岸田政権での加速的に進む日米及び「自由主義陣営」軍事同盟化へのコミットメントと戦争に使用する武器や戦闘機の開発等々。


 保守的で従順な国民によって支えられて、基本的には連綿と続いてきた保守政治・反(嫌)憲法政治ではあるが、これ程までに無惨に、憲法と法治主義(法の支配)がコケにされたことは無かったように思う。

 何しろ、それに歯止めをかける対抗的な野党勢力が雲散霧消といって良いくらいバラバラになっている。世論調査で、政府支持が20%前後という「弱体政権」であるのに、好き勝手をされている!

 私は、それへの腹立たしい思いと自分のあまりの無力さに「胸が一杯で張り裂けそう」なのに、では、どうしたら、こうした酷い状況を変えられるのか、例えば、このような非武装・非暴力・非殺傷平和主義の日本国憲法に対する蔑視・壊滅の政治状況を変え、国際社会へ浸透を図っていくための連帯のネットワークをどう作っていったら良いのかなどなど、「頭は空っぽ」状態で、具体的な良い知恵も方策も見つからないのだ。 


 昨年12月に亡くなったアントニオ・ネグリは、マイケル・ハートとの数々の共著を通して、21世紀の世界がグローバルな<帝国>のネットワーク下で直面する現実と危機に対抗して、その変革の希望を、その<帝国>の内部で主体として成長する生きた多種多様な(一人一人の)私たちから構成されている、私たちが共に生きて働くことを可能にするネットワークの集まり・集合形成に託した。この集合的主体のネットワークをネグリらは、「マルチチュード(multitude)」と名付け、それは、人民(people)や大衆(mass)や労働者階級といった社会的主体を表す概念とは全く区別されるものだとした。ネグリらが強調したのは、それらの概念とは異なり、マルチチュードは、多なるものであり、単一の同一性には決して縮減できない無数の内的な差異を有する私たちから構成されるグローバル民主主義の構成主体だということであり、そのような差異には、異なる文化・人種・民族性・ジェンダー・性的指向性、異なる労働形態、異なる生活様式、異なる生活様式、異なる世界観、異なる欲望など多岐のものが含まれるのだと捉えている。そうした差異や多様性を持った私たち各人が、それぞれの属する<コモン[ズ](=共通・共同のもの:共通の自然的資源や社会的産物)>を基盤とした領分や社会や集団の中で、いわば、自分たちが「起業家」として自律的に社会的に<コモン>として民主主義を創り出していくのだと構想している。 


 そう考えるなら、私たち各人が、「マルチチュード」として、非武装・非暴力・非殺傷の平和主義の日本国憲法に対する蔑視・壊滅の政治状況を変え、国際社会へ浸透を図っていくことに、まずは各人の領分・社会・集団で各人のやり方で取り組んでいくことになるのだと思う。そうした「マルチチュード」の特筆すべき一人として、世界各地で、核廃絶から気候変動まで、逮捕・収監にも挫けることなく、非暴力直接行動で立ち向かってきたアンジー・ゼルターさんがいる。このほど、翻訳が出た彼女の回想録『非暴力直接行動が世界を変える―― 核廃絶から気候変動まで、一女性の軌跡 ――』(原著:Angie Zelter, Activism For Life, 2021. 大津留公彦・川島めぐみ・豊島耕一訳、南方新社、2024年2月刊)の本扉裏には、彼女の次のような言葉が記されている。

「 この極めて重大な変動期に、地球という惑星に存在する生きとし生ける  
  すべてのものに私たちの中にある人間らしさに地球市民であることを忘れ
  ないために
   選択肢は二つ。もっと公平で公正で思いやりのある地球社会を目指して
  共に前進するのか。 人間と、多用で豊なその住処である地球を破壊す
  るのか。
   心を一つにして、生きとし生けるもののために行動しましょう。
   答えは出ています。今、行動しましょう。」

同書に寄せた序文の最後で、アリス・スレイターは、ゼルターの原則と励ましとも重なるものとして、マーガレット・ミードの次の格言を掲げている。

「 思慮深く献身的な個人の小さな集団が世界を変えることができると信じ 
  て疑わないこと。実際、これまで世界を変えてきたのはこれだけです。」

 さて、「空っぽの頭」で、ここまではどうにか考えてきた。
 では、私は、構成主体としての「マルチチュード」として、どのように
 さらに、取り組んで行けば良いだろうか。考え、行動することは続く。

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