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2024-05-01

自衛隊員の靖国神社集団参拝問題

稲 正樹(元国際基督教大学教員)

  1. はじめに
     陸上自衛隊の小林弘樹・陸上幕僚副長(陸将)(陸上幕僚監部のナンバー2)が2024年1月9日に陸自の航空事故調査委員会の自衛官らの22人で靖国神社に集団参拝した 1)。本件について、新聞の社説は以下のように指摘した。

     「憲法が定める「政教分離」の原則に抵触するというだけではない。侵略戦争と植民地支配という戦前の「負の歴史」への反省を踏まえ、平和憲法の下で新たに組織された、自衛隊の原点が風化しているのではないかと疑わせる振る舞いではないか。・・・政教分離などの観点から、防衛省自身が事務次官通達などで、「部隊としての参拝」や「隊員への参加の強制」を禁じている。この規律に違反する疑いがあるとして、防衛省が調査に乗り出したのは当然だ。・・・この機会に、陸自にとどまらず、自衛隊全体として、靖国神社との関係を徹底的に点検すべきだ」2)。 

     「なぜ(航空事故調査)委員会のメンバーが集団で参拝したのか、同様の行為が過去になかったのか、防衛省は徹底的に調査しなければならない。再発防止のため、調査結果を踏まえ厳正に対処する必要がある」3)。

     「憲法の規定を踏まえても、現在の自衛隊は組織として日本軍との連続性は否定されるべきである。戦前の軍国主義、戦争遂行を支え、正当化するための施設として機能した施設を自衛隊幹部らが集団で参拝することがいかに戦後日本の歩みから逸脱しているか、自覚すべきである」4)。

     「防衛省は通達違反の疑いで調べているが、恒例行事として過去にも行われていなかったか、文民統制は機能していたかなど、あらゆる真相をつまびらかにすべきだ。・・・平和憲法下で創設された自衛隊は、旧軍の軍国主義的な発想と関係を断つことが大前提である」5)。
     防衛省は1月26日に、同省の規律違反に当たる「部隊参拝」ではなかったという調査結果を発表した。ただし、移動に公用車を使ったのは不適切だったとして、小林氏ら3人を訓戒とした。同省は、今回の参拝は「おのおのの自由意思に基づき私人として行った私的参拝」であり、部隊参拝や参加の強制を禁じる1974年の防衛事務次官通達には抵触しないとした6)。極めて形式的な判断で「私的参拝」にとどまると強弁して、幕引きを図ったのである。
     しかしながら、前年も今年と同様に、「年頭航空安全祈願」と称して参拝の流れや注意事項をまとめた実施計画が陸上幕僚監部航空機課が中心となって作成されたことが報道されている7)。その後、共産党の穀田恵二衆院議員が陸自幕僚監部装備計画部が実施計画書の作成主体であることを明記した内部文書を入手し、実施計画が公務であったことを明らかにした8)。
     他方で、海上自衛隊の靖国神社集団参拝が2023年5月17日に行われていたことが、2月17日にしんぶん赤旗によって9)、2月20日には朝日新聞によって報道された10)。酒井良海上幕僚長は、海上自衛隊幹部候補生学校の卒業生165人の多くが参加したが、個人の自由意思による私的参拝であった。「部隊としての参拝」や「隊員への参加の強制」を禁じた防衛事務次官通達には反しない。自由参拝なので記録がなく、問題はないので「調査する方針もない」と述べている11)。
     
  1. 海上自衛隊遠洋練習航海部隊参拝
     靖国神社社務所発行の「靖國」によれば、海上自衛隊練習艦隊遠洋航海は、幹部候補生達が海上自衛隊幹部候補生学校を卒業後、幹部自衛官として必要な資質の育成、国際感覚の涵養、訪問国との友好親善を目的として行われる航海であり、遠洋航海終了後、幹部候補生たちは全国の海上自衛隊に着任する12)。1957年から開始され、1962年からは遠洋航海に先立って、一般幹部候補生課程を3月に修了した初級幹部(新任の二尉・三尉)が毎年4月から7月にかけて、130〜200名が参加して、靖国神社の拝殿で修祓を受け、昇殿参拝を行っている(遠洋練習航海部隊参拝)。「幹部実習生は、純白の制服、制帽、手袋の正装で集合整列。権宮司または宮司の挨拶の後、昇殿。司令官が奉る玉串拝礼に合せ、二拝二拍子一拝の作法にて参拝した。引き続き、先輩諸英霊の冥福と遠洋航海の安全を祈念し黙禱を捧げた」という記事がある13)。遠洋航海の「出発前には毎年当神社への昇殿参拝(正式参拝)が行われている」14)。

     したがって、67回目の遠洋練習航海に先立って2023年5月17日に行われた海上自衛隊遠洋練習航海部隊による靖国神社への67回目の集団参拝は、決して特異な事例ではなく、連綿と続けられてきた反復継続行為に他ならない。防衛省自体によって、事態の調査・解明・厳正な処分がなされなければならない。なお、艦隊司令官による帰国奉告参拝、航海終了奉告参拝の事例もある15)。

3. 1960〜2000年代の実例
 以下のような実例が靖国神社社務所発行の「靖國」に記載されている。
 練馬駐屯の陸上自衛隊第一師団普通科連隊は、1965年7月16日に623名の隊員が隊伍を組んで靖国神社参拝を行なった。「当日は午前5時30分より59台の車両に分乗した隊員は陸続として境内に集まり、各大旗を先頭に白手袋に威儀を正し、整然として中門前に行進整列した。/先づ藤原岩一師団長に栄誉礼を行い、20余名喇叭手の吹き鳴らす追悼喇叭「国の鎮め」の吹奏の中に 各隊旗を水平に下し、参道石畳中央に立った同師団長に併せ、全員脱帽して拝礼した。/今回の参拝は第一師団が指標としている「伝統の継承と英霊の敬拝」の実践であり、また旧近衛第一両師団先輩英霊に対する敬拝礼式でもある。/陸上自衛隊が堂々と介護を整え 靖国神社に参拝をしたのは自衛隊創設以来今回が初めてのことである」16)。その後、同連隊は毎月参拝を継続し、みたま祭り時の1966年7月15日には昇殿参拝を行なっている17)。

 自衛隊の教育機関の実例は以下の通りである。陸上自衛隊少年工科学校生徒18)の靖国神社参拝が、1965年7月19日、1966年7月7日、1968年5月30日、1970年2月23日、1971年2月23日、1972年2月14日、1973年3月1日にそれぞれ2日間にわたって行われた19)。参加者はそれぞれ、254名と266名(1965年)、264名と270名(1966年)、282名と282名(1968年)、297名と298名(1970年)、266名と274名(1971年)、各270名(1972年)、237名と243名(1973年)。ほかに、海上自衛隊江田島術科学校生徒35名の昇殿参拝(1967年10月31日)20)、陸上自衛隊富士学校生徒166名の卒業奉告昇殿参拝(1966年2月11日)21)、陸上自衛隊富士学校幹部初級課程修了者50名の昇殿参拝(1968年3月23日)22)、航空自衛隊第四術科学校生徒105名の特別参拝(1972年3月10日)23)、防衛大学校第14期生45名の任官奉告参拝(1971年3月20日)24)がある。

 さらに、以下のような実例もある。「1997年11月27日に、熊谷航空自衛隊生徒隊60名、また12月3日、4日の両日には、海上自衛隊下総航空基地隊100名がそれぞれ参拝した。自衛官は全員制服、制帽姿で来社、拝殿にて祓いを受けた後、本殿に昇殿、英霊に対して敬虔な祈りを捧げた」25)。
 2000年「12月16日、航空自衛隊幹部学校教育部第四教官室伯川孝明二等空佐以下職員24名が参拝した。/この参拝は、同学校の研修の一環として、靖國神社の概要・歴史を学び、日本古来の神道についての理解を深めるとともに、愛国心の涵養を目的として行われたもの。当日一行は、湯澤宮司から靖國神社についての講話を受けた後、御本殿に昇殿参拝。その後遊就館を拝観した」26)。2001年「10月26日、東京都目黒区の航空自衛隊幹部学校教育部第二教官室柳葉繁一等空佐以下職員及び生徒等25名が参拝した」27)。

 なお、1991年11月2日の掃海部隊帰国歓迎行事に松平宮司以下25名の職員が参加している28)。 
これらの実例は、宗教施設への部隊参拝と隊員への参加強制を厳に慎むべきとした1974年11月19日の防衛事務次官「宗教的活動について(通達)」及びそれらを禁止した1963年7月31日の陸上幕僚長の「宗教行為に関する通達」29)に明確にまたは実質的に反している。
 防衛大学校学生による靖國神社までの夜間行軍実施も2023年で63回目となり、学生の自主的行事として慣例化している。1963年12月8日の第3回目に関しては、以下の「靖国」の記述がある。「その目的とするところは、大東亜戦争開戦の日を期し、徒歩行進により靖国神社に参拝し、護国の英霊を慰めるとともに強健の体力・気力を練成し、併わせて大隊の強固なる団結と士気の効用を図るためであるとしている。/ある学生は『靖国神社に昇殿参拝をして祖国のために雄々しく散華された 200万余の英霊に近く接してその遺志を引き継ぐことを固く心に誓った』と述べていた」30)。

4. おわりに

 いま安保3文書体制31)のもとで戦争をする国家への転換が進んでいる。2024年4月10日の日米首脳共同声明は、「作戦と能力のシームレスな統合を可能とするため、二国間でそれぞれの指揮統制の枠組みを向上させる」ことを明記して32)、有事ばかりか平時から自衛隊と米軍の作戦と軍事力の統合が、装備の共同開発・生産とセットになって本格的に推進されることになった。米軍の指揮統制下に自衛隊が完全に組み込まれて米軍の始める戦争に自衛隊員が殺し殺され、市民が殺される事態がすぐそこまできている33)。


 改憲動向をはじめとする「新しい戦前」へと向かう大きな流れの中で、今回の自衛隊幹部による靖国神社参拝問題を位置付けなければならない。火箱芳文元陸上幕僚長は、日本会議の「日本の息吹」2023年8月号に「国家の慰霊追悼施設としての靖國神社の復活を願う」という一文を寄せ、「近い将来国を守るため戦死する自衛官が生起する可能性は否定できない。我が国は一命を捧げる覚悟のある自衛官たちの処遇にどう応えるつもりなのか」。戦後、「靖国問題」が放置されているのは「誠に残念」だとしつつ、「国家の慰霊顕彰施設」がない現状を嘆き、自衛官が「戦死」した場合、「筆者ならば靖国神社に祀ってほしい」として、「国家の慰霊顕彰施設」としての靖国神社を復活させ、「一命を捧げた」(戦死した)自衛官を「祀れるようにする制度の構築が急がれる」などと主張している34)。「まるで戦争準備の一環のように、自衛隊員が戦死したらどうするのかという議論が始まっています。・・・いま問われているのは、戦後二度と戦争をしないと誓ったはずの日本が、靖国も含めてこのまま「戦争準備」を進めて、日米同盟のもとで本当に戦争をするのかどうかということです」35)。
 いま、戦争ではなく平和の備えをすることが求められている36)。

1)しんぶん赤旗と毎日新聞が最初に報道。しんぶん赤旗2024年1月10日「陸自幹部ら靖国参拝/官用車使い/憲法の政教分離に抵触か」https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-01-10/2024011001_03_0.html、毎日新聞2014年1月12日「スーツ姿、敬礼、公用車…記者が見た陸自幹部らの靖国参拝」https://mainichi.jp/articles/20240112/k00/00m/010/336000c

2)朝日新聞2024年1月13日<社説>陸自靖国参拝/ 旧軍との「断絶」どこへ https://www.asahi.com/articles/DA3S15836932.html

3)毎日新聞2024年1月13日<社説>陸自幹部ら靖国参拝/組織的な行動は不適切だ https://mainichi.jp/articles/20240113/ddm/005/070/101000c

4)琉球新報2024年1月13日<社説>陸自幹部靖国参拝/「誤解招く」では済まない https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-2686936.html

5)北海道新聞2024年1月21日<社説>陸自靖国参拝 歴史観問われる軽挙だ https://www.hokkaido-np.co.jp/article/965614/

6)朝日新聞2024年1月26日「陸自幹部が集団で靖国参拝は「部隊参拝ではない」 防衛省が調査結果」https://www.asahi.com/articles/ASS1V6F2YS1VUTFK01H.html

7)毎日新聞2024年1月20日「陸自幹部の靖国参拝、前年も同様の実施計画 先例踏襲か」https://mainichi.jp/articles/20240120/k00/00m/010/177000c

8)しんぶん赤旗2024年4月4日「陸自靖国参拝やっぱり公務/墨塗り文書 作成は装備計画部」https://www.jcp.or.jp/akahata/aik24/2024-04-04/2024040401_02_0.html

9)「海自幹部ら165人 違憲の靖国参拝/昨年5月 制服姿 毎年実施か/事務次官通達に抵触」https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2024-02-17/2024021701_01_0.html

10)海自が靖国神社に集団参拝 練習艦隊の隊員、幕僚長「自由意思」」https://www.asahi.com/articles/ASS2N5D4KS2NUTFK00L.html

11)朝日新聞2024年2月25日<社説「海自でも参拝 靖国との関係 総点検を> https://www.asahi.com/articles/DA3S15871848.html

12)「靖國」527号6面(1999年6月1日)、538号5面(2000年5月1日)、551号10面(2001年6月1日)、575号6面(2003年6月1日)、587号7面(2004年6月1日)、599号3面(2005年6月1日)、611号4面(2006年6月1日)。

13)444号6面(1992年7月1日)、457号8面(1993年8月1日)。

14)684号2面(2012年7月1日)、708号2面(2014年7月1日)、720号2面(2015年7月1日)、756号2面(2018年7月1日)、768号2面(2019年7月1日)。

15)485号5面(1995年12月1日)、556号3面(2001年11月1日)。

16)121号2面「陸上自衛隊第一師団、隊伍堂々参拝」(1965年8月15日)。

17)133号2面「陸上自衛隊第一師団昇殿参拝」(1966年8月15日)。

18)2010年に高等工科学校に改編。中学校を卒業し、採用試験を経て陸上自衛隊生徒に任命された者が入校。

19)133号2面、155号2面(1968年6月15日)、176号2面(1970年3月15日)、188号3面(1971年3月15日)、201号2面(1972年4月1日)、213号2面(1973年4月1日)。

20)148号3面(1967年11月15日)。

21)128号3面(1966年3月15日)。

22)153号3面(1968年4月15日)。

23)202号7面(1972年5月1日)。

24)189号2面(1971年4月15日)。

25)498号17面(1997年1月1日)。

26)535号10面(2000年2月1日)。

27)557号5面(2001年12月1日)。

28)437号5面(1991年12月1日)。

29)それぞれ、http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/f_fd/1963/fz19630731_00318_000.pdf http://www.clearing.mod.go.jp/kunrei_data/a_fd/1974/az19741119_05091_000.pdf

30)「靖國」102号5面(1964年1月15日)。

31)安保法制(2014閣議決定、2015法成立)による集団的自衛権の行使容認を前提として、敵基地攻撃能力(反撃能力)の具体化を定めた「安保3文書」(2022.12.16閣議決定)によって形成された軍事体制。小林武「安保3文書体制」の下での辺野古裁判」憲法ネット103主催シンポジウム「憲法研究者・行政法研究者が問う!辺野古新基地建設問題」(2024年3月15日)の報告レジュメ。

32)https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/100652148.pdf

33)「すでに自衛隊と米軍の一体化は始まっており、配備の進む中距離ミサイルの運用において日米の指揮統制の調整が不可欠となっていたとの議論もあるが、米国は米国の安全保障上の利益のために軍事的な判断を行うのであり、かりに抑止論を前提とするとしても、これが常に日本の安全保障のためになる保証はない。例えば、盛んに喧伝される台湾海峡有事のシミュレーションは、米中両国がそれぞれの本土を「聖域化」 し、相互にはミサイルを撃ち合わない前提で想定されている。したがって、米軍の始める日本の安全保障にも国益にも適わない戦争のために、日本が戦場にされ民間人が殺されたり、自衛隊が殺し殺されたりする可能性も否めない」(立憲デモクラシーの会、2024年4月19日の「自衛隊と米軍の「統合」に関する声明」)。

34)「”自衛官戦死に備えよ”元陸幕長 靖國神社「復活」唱える」しんぶん赤旗2003年7月31日の記事。https://www.jcp.or.jp/akahata/aik23/2023-07-31/2023073101_02_0.html

35)「戦争準備」の流れと無縁ではない 自衛隊靖國参拝で高橋哲哉さん」https://digital.asahi.com/articles/ASS3H5RSRS38UPQJ00L.html?iref=pc_photo_gallery_bottom

36) 平和構想提言会議「戦争ではなく平和の準備を−”抑止力”で戦争は防げない」(2022年12月15日)https://heiwakosoken.org/wp-content/uploads/2022/12/20221214_HeiwaKoso_Final.pdfを参照。  

*お断り:この文章は、政教分離の侵害を監視する全国会議(略称「政教分離の会」)の会報「政教分離」(発行 2024年4月22日)10-15頁に掲載の稲正樹「自衛隊員の靖国神社集団参拝問題」を転載したものです。

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