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2019-10-21

安倍改憲は国家と社会をどう変えるか― 国家改造、社会改造、そして軍事的組織の改造

  永山 茂樹(東海大学)

 1 はじめに―改憲構想のスリム化

 

 (1)「憲法改正」という名の「新憲法制定」

 自民党が2014年にこしらえた「憲法改正草案」(以下、草案とします)をふりかえることから、議論をはじめましょう。

 それは日本国憲法のはじめからおわりまでに手をつける、全面的な改定案でした。また軍事色・復古色・権威主義色といったコワモテ色をあらわにしていました。つまり質(コワモテ性)と量(全面性)の両面から、現行憲法をくつがえす行為です。

 そのばあい「憲法改正草案」という表題は、本質をかくすイチジクの葉にあたります。その実質からいうと、国家・社会を、軍事主義的・権威主義的・新自由主義的なものに組み替えるプロジェクトの一環に位置づけられる、まさに「新憲法」(草案)だったのです。わたしはこのプロジェクト全般をさして、国家改造(constitutional change)とよぶことにしています。

 

* 草案における憲法本文改正案のおもなものを書きだすと、以下のようになります(カッコ内は草案における条文番号)

天皇の元首化(1)、国民の国旗・国歌尊重義務(3)、国事行為にくわえた天皇の公的行為(5)、自衛権の発動(9)、国防軍および国防軍審判所の設置(9の二)、国と国民の領土保全義務(9の三)、「公益」「公の秩序」を理由とした人権制限(12、13)、国・地方における外国人選挙権の否定(15、94)、国民の知る権利やメディアの取材報道の自由にたいする制限(19の二)、政教分離のあいまい化(20、89)、結社の自由の制限(21)、家族の相互扶助義務(24)、国・国民の環境保全の努力義務(25の二)、在外国民の保護を理由とした海外における軍事活動(25の三)、犯罪被害者への片面的配慮(25の四)、教育の国家的価値の明記(26)、公務員の労働基本権にたいする制限(28)、知的財産権の保障(29)、国会議員選挙における投票価値の平等のあいまい化(47)、内閣総理大臣の衆院解散権の明記(54)、内閣総理大臣・国務大臣の国会出席義務の緩和(63)、政党の結成や活動にたいする制限=政党条項(64の二)、文民条項の緩和(66)、内閣総理大臣の権限強化(72)、国・地方公共団体の「健全」財政(83、96)、予算単年度主義のあいまい化(86)、地方自治体の役割の縮減(93)、地方財政自主権の制限(96)、憲法改正における国会の発議の要件緩和(100)、国民の憲法尊重義務(102)

 

 (2)改憲構想のスリム化

 ところが5年のあいだで、自民党は、改憲構想をすっかりスリム化させました。最新版は「条文イメージ(たたき台素案)」と名づけられています(2019年2月頃に自民党が作成したパンフレット「日本国憲法改正の考え方~『条文イメージ(たたき台素案)』Q&A~」による。以下、条文イメージとします)。

 草案と条文イメージとをくらべると、軍事色・復古色・権威主義色が薄められたという印象をうけます。前文改憲の主張(たとえば、①「天皇を戴(いただ)く国家」という言葉をくわえるという権威主義的なもの、②「平和のうちに生きる権利」=平和的生存権を削除するという軍事主義的改憲なもの)が表舞台から消えてしまったことは、このスリム化をよく象徴しています。

 しかし2014年の草案にあげていた多くのことが切実な課題だったとしたら、このような短期間にスリム化ができたはずはありません。自民党は、切実ではない改憲をねっしんに主張していた、いや主張するふりをしていたわけです。こんなふるまいは、硬性憲法の理念(96条)からいっても、また公務員が負う憲法尊重擁護義務(99条)に照らしても、きわめて不適切なことです。立法や行政などでは対応できない重大な課題が現実に存在するばあいにかぎって、改憲という手段がえらばれるべきだからです(以下、これを命題1とします)。

 改憲構想が簡単にスリム化したことじたい、構想の無責任さ、憲法をもてあそぶ”改憲ごっこ”という本質を露呈しています。この点は、「国家権力と権力担当者は、憲法によって拘束されなければならない」という立憲主義の理解からしても、批判されるべき問題です。

 

 

 2 安倍改憲の柱

 

 (1)9条を柱にした改憲構想

 改憲構想のスリム化がすすめられた結果、それは4項目にしぼられてきました。項目とそれぞれの概要を整理しておきましょう。すなわち、

 ①9条 現行9条1・2項はそのまま残す+憲法に自衛隊を明記する条項をくわえる+ただし権限や組織構成の詳細は明記しない+「軍」「国防軍」といった表現は避ける改憲(「加憲」)、

 ②緊急事態条項  内閣が宣言する緊急事態において、国会議員の選挙を停止する+政令いよって基本的人権を制限する+内閣および内閣総理大臣の権限を強化する、すなわち「戦争がしやすい国」にとって便利な改憲、

 ③教育条件「整備」条項  国民を精神面で動員する=異論をもたない国民をつくる+そのために必要な国家主義教育をすすめる改憲、

 ④選挙制度・地方制度条項  投票価値の平等をないがしろにして、多数派の過剰代表を担保し、少数派を国会から排除する、またそれと連動して、地方自治体の構成や権限に制約を課す改憲、です。

 とはいうものの、改憲案の文言は固まっておらず、あくまでたたき台・素案にすぎないと、首相はいいます。そして「自民党は既に改憲のたたき台を提示している。野党各党にも案を持ち寄っていただき、憲法審査会の場で国民の期待に応える活発な議論を行ってほしい」(2019年10月8日参院本会議)と野党によびかけました。

 しかし改憲の枠ぐみ、とくにその柱だてについては、党内合意がすでにできているのででしょう。よりつよい権限をもつ完全な軍隊をもつべきであるという軍事主義的たちば(これは草案のたちばです)から、党内・石破(派)は、①にたいして異をとなえてきました。その結果、2019年秋の内閣改造で閣僚ポストをすべてうしないました。

 首相側近の萩生田(現・文科大臣)の口から「これからはワイルドなやり方で改憲審議を」、という乱暴な言葉が飛び出してきたのも(4月18日インターネット番組)、また大島衆院議長が「(改憲民投票法の改正問題について)臨時国会で合意を見つけてほしい」とのべたのも(10月7日衆院議院運営理事会)、いずれも不思議なことではありません。改憲国民投票法改正案の迅速な審議・成立~憲法審査会における憲法改正案の審議~国会の発議~改憲国民投票の実施をみすえての発言です。

 

 (2)スリム化の限界

 改憲構想のスリム化には、どのような限界があるのでしょう。いいかえれば、改憲構想①~④はなぜ残されたのでしょう。それにはいくつかの理由があります。

 第一に改憲論の起源から生じるスリム化の限界です。

 改憲論は、戦前の国家体制への回帰をのぞむ日本国内の復古主義勢力と、日本再軍備をもとめるアメリカ政府・軍に起源をもっています。自衛隊が創設されてからは、自衛隊にたいする憲法9条の制約をよわめて、アメリカ軍を支援し、アメリカの指揮の下で軍事行動をおこなう自衛隊をもった「戦争をする国」づくりが推進されてきたのです。したがってスリム化された改憲構想が①9条改憲をはずすことはなかったし、将来においてもそれはありえないでしょう。

 第二に、②~④はどれも草案のなかに原型がみられます(26、47、93、98、99条)。これらについては、2(1)でふれたように、9条改憲で実現する「戦争をしやすい国」との親和性を指摘できます。それらは9条改憲にとっての補完機能をもつということです。

 第三に、②~④には、9条改憲にたいするめくらまし機能があります。

 あとでのべるつもりですが、③の教育条件「整備」改憲をしなくても、国会と内閣の判断で教育予算を増額することについて憲法上の障害はありません。にもかかわらず、「安倍改憲は9条改憲だけではない」という装いのためには、③は有効だとかんがえられているのでしょう。

 第四に、②~④には、9条以外の改憲を求める勢力を引きつけ、それと取引するための八方美人的効果があります。

 たとえば③について、首相はある時期まで教育費無償化条項をかんがえていました。これは無償化改憲を公約に掲げる日本維新の会を取り込むための、政治的取引の材料だとかんがえられます。また④は、今後の人口変動にともない、合区が現行の四県二合区からさらに増えることをおそれた地方政治組織の要請(全国知事会2016年7月29日決議)にこたえるという意味合いがありました。

 このように改憲構想②~④には、9条改憲補完機能・めくらまし機能・八方美人的機能があります。②~④にたいして、「なくてもよい改憲」だという批判があります。たしかに立憲主義の立場から、その批判は重要です。しかしこれだけでは「あってもいいではないか」という反論がでてきます。そこに補完機能や八方美人的機能があることに注目し、「なくてもよい改憲」としてではなく、「あっては困る改憲」だと批判するべきです。 

 

 (3)4本柱というよりも「3プラス1」改憲

 それでは、安倍改憲は4本柱で成りたつ、という整理でよいでしょうか。

 4本柱を並列することは、「安倍改憲は決して9条だけではない」という印象をあたえます。上記(2)でのべたように、これは安倍改憲のめくらまし効果です。めくらましにまどわされないためにも、「4本柱」と並列的にまとめるのではなく、9条改憲を柱とした「1プラス3」改憲、ととらえるべきだとおもいます。

 

 

 3 9条以外の改憲―教育条件「整備」改憲のばあい

 

 (1)教育条件の劣化

 ここからは、教育条件「整備」改憲と選挙制度・地方自治制度改憲とをとりあげ、その意味をかんがえてみます。

 前者のてがかりとして、まず大学教育をとりまく現状を確認しましょう。

 私立大学のばあい、2016年度入学者の授業料は、対前年比で2.5%の値上げがありました。その結果、納付金全額は、対前年度比で1.3%増の1,333,418円です(文科省調べ)。

 国立大学のばあい、入学金や授業料は近年、横ばい状態です。ただ東京芸大・東京工大は19年度から引き上げました。また千葉大・一橋大は2020年度から引き上げる予定です。大学ごとの値上げを許容するのが、国立大学法人法および国立大学授業料省令です。国の文教予算の締め付け、あるいは大学間の強制的な競争によって追いつめられ、値上げに踏み切らざるを得ないという大学側の事情もあります。

 他方で2020年からは、低所得層にたいする国立大の授業料減免措置が拡大されます。それはよいのですが、同時に、国立大における授業料減免措置のための予算は廃止される予定です。そのために、中所得層の負担はいまより増えること(減免をうけていた学生の一部が、減免対象からはずされること)が確実視されています。

 さらに詳しくはのべませんが、学生支援機構による奨学金制度は、貸与型・有利子型が主流です。なかには将来の利子を含めた返済義務をおそれて、奨学金をあえて借りないという学生も少なくないようです。けっきょく、保護者からの仕送りや本人のアルバイトによって、学費や生活費は補填されることになります。

 また企業の新卒採用時期が早まっています。大学3年生からは、ほぼ年間を通して、「インターンシップ」「シューカツ」「内定式」「入社前研修」など、企業側の都合にしばられます。学生はそのため、大学の講義やゼミにますます出席しづらくなっています。学生たちは、卒業後の労働の機会を得ることの代償に、大学で学ぶ機会をうばわれているのです。

 このような状況が、大学教育に悪影響をもたらし、また若者の「教育を受ける権利」をおびやかしていることは、すでにあきらかです。問題を改善し解決するために、国がなにをすべきなのかをかんがえなくてはいけません。

 

 (2)教育条件「整備」改憲の効果

 条文イメージによれば、教育条件「整備」改憲とは、「国は、教育が国民一人一人の人格の完成を目指し、その幸福の追求に欠くことのできないものであり、かつ、国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み、各個人の経済的理由にかかわらず教育を受ける機会を確保することを含め、教育環境の整備に努めなければならない。」という文言を、あたらしく26条3項に置くというものです。

 これには現行26条1項が保障する「能力に応じて、ひとしく教育を受ける権利」を、主として経済面でサポートするという、積極的な意味がありそうです(なおこの点で、自民党自身が教育「無償」改憲といわないことには注意が必要でしょう)。

 しかし教育条件は、法律・行政・財政・地方行財政など、さまざまの手段でととのえられなければなりません。3(1)で指摘したように、それは労働の領域ともかさなっていますから、広い視野をもった対応が必要でしょう。そしてそれらがともなわなければ、教育条件「整備」条項は、絵に描いた餅におわります。

 もちろん現行憲法は、国や地方が必要な措置をとることをなんら制限しません。とすれば、教育条件「整備」改憲をしなくても、国が教育条件「整備」の施策を講ずればよいのです。このことからすると、教育条件「整備」改憲は、命題「改憲は、どうしても必要なばあいにだけおこなわれるべきだ」に反しています。

 それどころではありません。教育条件「整備」改憲は、現在よりも低い教育条件を正当化する意味すらあるようにおもわれます。

 現行憲法26条1項には、給付請求権(国民が国家にたいして、具体的な給付を求める権利)の側面があります。国民には教育を受ける権利を具体的権利として保障し、国は教育制度を維持し、教育条件を整備すべき法的義務を負うとかんがえられています。ところが教育条件「整備」改憲は、国が負う義務を「法的義務」から「努力」へと劣化させています。それがとくにはっきりするのは、条文イメージの末尾部分「整備に努めなければならない」という箇所です。

 「健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を保障する生存権規定(25条1項)について、国は、国の努力義務をさだめたプログラム規定であり、国は努力する義務を超えて、国民に具体的な権利を保障する法的義務は負わないと主張してきました。26条の文言に「努めなければならない」という言葉をあえてつけたのは、教育条件「整備」条項にも25条と同じような理解をあてはめようという意図がみえます。そうなれば、将来における教育条件の引下げを正当化することができるでしょう。

 

 (3)国際人権規約との関係

 つぎに高等教育における条件「整備」改憲と国際法との関係をみましょう。

 現状は、国際人権規約にあきらかに反しています。同規約(A規約)13条1項は、「教育についてのすべての者の権利」をみとめ、また同条2項Cは「高等教育は、すべての適当な方法により、特に、無償教育の漸進的な導入により、能力に応じ、すべての者に対して均等に機会が与えられるものとすること」と規定しているからです。

 日本はこの条約を批准しています。またかつて2項Cに付けていた留保(国家がある条約に加わるとき、その条約の一部について拘束されないと宣言すること)を12年に撤回しています。つまり高等教育を無償に近づけることは、日本政府が国際社会にたいして負う国際法上の義務なのです。

 さらに憲法は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守する」とさだめます(98条)。ですから、大学生の「教育についての権利」の保障、高等教育の漸次無償化は、国際法から憲法のなかへ取りこまれています。つまり、これらのことは憲法上の義務でもあるわけです。この点でも教育条件「整備」改憲は不必要であり、命題に反しています。

 

 (4)教育にたいする国家の介入

 教育条件「整備」改憲の案には、教育が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割を担うものであることに鑑み」とあります。この点はどう評価できるでしょうか。

 たしかに教育条件がととのえば、その結果、社会や国家が豊かになる可能性はあるとおもいます。といって、それを教育の目標としてかかげるのは、さかだちしており、また危険でさえあります。なぜかというと、ある教育の内容や方法が「国の未来を切り拓く上で極めて重要な役割」をはたさないと国が認定すれば、それは、国の条件「整備」対象からはずされてしまうかもしれないからです。

 教育や文化にたいして、財政をつかって国家が介入するというおそれ。それは、あいちトリエンナーレの企画にたいする文化庁補助金打ち切り問題において現実化してしまいました。教育条件「整備」改憲は、政治に対する批判的な目をもつ主権者教育を委縮させ、少国民・軍国青年を育成する方向で、国家の教育統制をさらにつよめる根拠となるのではないでしょうか。

 

 

 4 9条以外の改憲―選挙制度改憲・地方自治制度改憲のばあい

 

 (1)選挙制度改憲とは

 つぎにみるのが、選挙制度改憲(合区解消改憲)および地方自治制度改憲です。

 条文イメージでは、「両議院の議員の選挙について、選挙区を設けるときは、人口を基本とし、行政区画、地域的な一体性、地勢等を総合的に勘案して、選挙区及び各選挙区において選挙すべき議員の数を定めるものとする。参議院議員の全部又は一部の選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、改選ごとに各選挙区において少なくとも1人を選挙すべきものとすることができる。」とあります。

 これが意味するのは、参議院選挙を都道府県単位で実施するとき、すべの都道府県から少なくとも1名の議員を選出するということです。

 自民党は、この改憲によって、地方の声を国政に反映させることができると説明しています。しかし住民の声を政治に反映させるという目的を達成するために、国会議員選挙制度をかえる以外の方法はないのでしょうか。またそれは改憲以外の方法では実現できないことでしょうか。もしその条件をみたす方法があるなら、選挙制度改憲は命題に反することになります。

 

 (2)中央集権の発想

 そもそも「住民の声にもとづく政治をすすめるために、国会議員選挙制度をかえなければならない」という主張の根底には、政治主体は国(中央政府)だ、という中央集権的な発想があるとおもいます。

 しかし台風や地震にそなえ、被災者をたすけ、迅速に復旧するために(これらいずれも、頻繁に自然災害にみまわれる日本において、喫緊の課題であることはまちがいないでしょう)、市町村には、国に依存しなくてもすむ体力をもつことが重要です。具体的には、①自治体の条例制定や財政の自主性をたかめる、②国主導の強引な合併推進をやめる、③公務員リストラ・非常勤化・民営化をやめる、といったことがあります。

 それに選挙制度改憲がかりに実現したとしても、地方住民の声が国政に反映される保証はまったくありません。現行制度下で、3年ごとに1名の参議院議員が沖縄から選出されています。にもかかわらず日本政府は、辺野古新基地建設に反対する県と県民の意思を無視して、基地建設を強行しているのですから。

 なお草案の緊急事態条項改憲では、内閣が緊急事態を宣言したのち、「内閣総理大臣は…地方自治体の長に対して必要な指示をすることができる」(99条1項)とありました。これは地方自治権を否定するものです。

 条文イメージからは、地方自治体の長にたいする指示権は消えています。ですが、条文イメージの緊急事態条項がさだめる内閣の政令制定権(「…内閣は、法律で定めるところにより、国民の生命、身体及び財産を保護するため、政令を制定することができる」(73条の二1項))を根拠にすれば、内閣が地方自治権を制限することもあながち不可能ではないでしょう。

 

 (3)合区解消改憲論の酷さ

 自民党は、合区制度(都道府県を選挙区とする参議院選挙で、有権者数の少ない県、具体的には島根・鳥取と、徳島・高知は、それぞれ2県をあわせて1選挙区とし、改選1名とするというもの)を目のカタキにしています。そして改憲によって合区を廃止し、度の都道府県からも最低1名の議員を選出すれば、投票率もアップするといいます。しかしこれは、安倍改憲の理由づけのうちもっとも酷いものの一つだといわざるをえません。

 というのは以下の理由からです。

①合区を解消し、各都道府県から最低1名の参議員議員を選出するには、有権者数に比例して、都道府県ごとに必要な議員数を配分すればすむことです。そのために改憲はまったく必要ありません。議員数をむりに抑えようとするから、やむをえず合区という公選法上の制度をつくっただけです。

 ②参議院選挙の投票率低下ははっきりしています。今回の第25回選挙(19年7月)ではついに50%を下回り、48.8%となってしまいました。でも投票率のいちじるしい低下は全国共通で、合区に限られた現象ではありません。それなのに低投票率を合区のせいにするのは、お門違いというものです。

 ③合区を導入して最初の第24回選挙(16年)で、島根の投票率は、前回の第23回選挙(13年)とくらべて上昇しました。また今回の第25回(19年)は、高知の投票率が前回24回とくらべて上昇しました。合区を採用したから投票率が下がる、というわけではないのです。

④合区制度が導入されてから、参議院通常選挙はまだ2回しか実施されていません。これだけで合区否定論のただしさが証明されたでしょうか。2019年参院選における投票価値の不平等が問われた裁判で、高松高等裁判所は、投票価値の不平等(最大で1対3.002)は違憲状態に達していると判示しました(2019年10月16日)。判決は合区制度批判論にふれて、「1、2回の選挙を経ただけで弊害ばかり強調するのは時期尚早である」と、合区否定論を批判しています。

 ⑤衆議院選挙においても、投票率の低下ははっきりしています。それがとくに顕著になったのは、小選挙区制を導入してからです。にもかかわらず、自民党は小選挙区制をやめようとはいいません。それどころか小選挙区制を維持することにやっきになっています。自民党は、低投票率のことなど、もともと深刻にうけとめていないはずです。

 

 (4)投票価値の不平等な選挙

 選挙制度改憲がもたらす負の効果にも目をむけましょう。それは、選挙制度のありかたの基準として、人口とともに「行政区画・地域的な一体性・地勢等を総合的に勘案する」ことから生じます。条文イメージによれば、これは衆参両議院選挙におよびます。

 こういう基準で選挙制度を構築すれば、法の下の平等(14条)を原則にすえた(すえるべき)現在と違って、投票価値の平等があいまいになることは避けられません。すなわち選挙制度改憲が実現すれば、いま以上の不平等選挙が許容されるでしょう。投票価値の平等をもとめて市民が裁判をおこし(たとえば上記(3)のような裁判)、公正な選挙制度の実現をはかることは難しくなるとおもわれます。

 

 

 5 「9条改憲でもいまとなにも違いはない」論

 

 (1)加憲と「うわがき」

 つぎは、以下は安倍改憲の主たる柱である9条改憲についてです。

 自民党の改憲構想は、9条1項には手を付けず、9条2項をターゲットにしてきました。ひとつには、現代国際社会では「戦争の違法化」が確立しており、9条1項改憲はそれとさえ矛盾するからです。

 そしてもうひとつの理由は、9条2項の戦力不保持条項さえ葬ることができれば、たとえ9条1項の戦争放棄条項が残っても、「戦争をできる国」づくりは可能だと判断したからでしょう。

 しかし安倍首相は9条1項と2項を残したまま、自衛隊を明記する条項を書き加えようとしています。これは形式的には「加憲」の一つです。背景には、9条2項の削除に難色を示す公明党へのソンタクがあるとおもわれます。そこで先にのべたことですが、首相は、2項削除(それは草案の書き方でもありました)にこだわった石破派をおさえこみました。そうして条文イメージでは、2項が残されました。

 加えられる条文(9条の二)は、第1項で「前条[現行9条のこと]の規定は、我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとることを妨げず、そのための実力組織として、法律の定めるところにより、内閣の首長たる内閣総理大臣を最高の指揮監督者とする自衛隊を保持する。」、また第2項で「自衛隊の行動は、法律の定めるところにより、国会の承認その他の統制に服する。」というものです。

 

* 9条2項が「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」と規定する一方、加憲で「自衛隊を保持する」とすれば、憲法のなかに矛盾する条項がならぶことにならないでしょうか。この問題について、「後法優先の原則」というかんがえ方に依拠して、「自衛隊を保持する」ことをきめた新条項が優先するから、戦力不保持の2項は効力を失うという議論があります(うわがき肯定説)。

 それにたいし、一見矛盾する諸条項もできるだけ調和的に解釈しなければならない、というかんがえ方があります。「加憲」が成立しても、9条2項は生きているから、二つの条項を調和的に解釈する作業が残るという議論です(うわがき否定説)。

 このことについて、わたしはうわがき否定説が妥当だとおもいます。その理由は以下のとおりです。

①一般に後法優先の原則とは、相互矛盾する(かにみえる)複数の条項について、裁判所がとる解釈手法の一つです。しかし「加憲」行為は、それ以前の段階にあるので、後法優先の原則で割り切る場面ではありません。

②もし条文相互に矛盾があるなら、国会は、優先させたい条項を残し、それに反する条項を削除できます。改憲発議でもおなじです。その作業をあえてせずに発議をするのは、「既存の9条2項と自衛隊を明記する新条項とは矛盾しない」と国会が判断したことを推定させます。

③後法優先の原則は、同じ水準の規範のあいだで適用されるものです。しかし9条2項は、憲法制定権者が憲法制定権を行使した結果です。また新条項は、憲法改正権者が憲法改正権を行使した結果です。日本国憲法では両者は区別されます。この点からも、後法優先の原則があてはまる場面ではないとおもいます。

④9条平和主義は、日本国憲法の根本規範として、改憲できないとされてきました(改正限界説=通説)。この限界をこえた改憲は、「加憲」という手法をとろうととるまいと、無効なのです。この点でも、後法優先の原則があてはまる場面ではないとおもいます。

 

 (2)「いまとなにも違いはない」のか

 この9条改憲には、どういう効果があるのでしょうか。①の文言はなお流動的で、現時点の検討には限界があります。それをお断りしたうえで、以下の点を指摘します。 

 安倍首相は、「憲法に自衛隊を明記する条項を加えてもいまと違いはない」から心配にはおよばないといいます(「現行の第9条2項の規定を残したうえで自衛隊の存在を憲法に明記することによって自衛隊の任務や権限に変更が生じることはないものと考ええております」衆議院予算委員会2018年2月5日)。しかしこれをかんたんに信じるわけにはいきません。

 ①「いまと違いはない」改憲を実現するために、他の課題をあとまわしにするのは、政治的エネルギーと時間の無駄遣いで、非合理的すぎます。改憲国民投票の実施には、政府試算によれば850億円あまりのお金がかかるといわれます。「いまをなにもかえないこと」のために多額の国費を支出するのは、国費の不当な支出にあたるのではないでしょうか。とすれば、改憲を主導する側は、この改憲によっていまと違った国家がつくられるとかんがえているはずです。

 ②改憲と連動して、憲法より下位の法律や予算、命令、裁判の判決などがかわることは避けられません。

 憲法が自衛隊条項をもたず、自衛隊の存在に疑義があったからこそ、国にはできなかったことがたくさんありました。もし自衛隊が憲法で正当化されるならば、自衛隊の組織は肥大化し、その権限は拡張するでしょう。また連動して、法律や予算、命令、裁判の判決なども変質していくでしょう。

 じっさい集団的自衛権の行使について、内閣自身が違憲と判断してきたことは、よく知られています。この見解を変更し、集団的自衛権の行使を合憲とした(14年7月)延長上に、集団的自衛権行使を限定的に容認した15年の安保法(戦争法)制定と第3次日米ガイドラインがありました。憲法解釈によって運用がかわるのであれば、明文改憲によって運用が変わることは当然です。

③条文イメージは「我が国の平和と独立を守り、国及び国民の安全を保つために必要な自衛の措置をとること」、そして「そのための実力組織」とかきます。たんに「自衛隊の存在を憲法に明記する」にとどまらない、<+α>にふみこんだ書きぶりです。というのも、同項がさだめた目的につながる自衛隊の活動が正当化される危険性があるからです。したがって、「いまと違いはない」とはいえません。

 

 (3)「いま」とはいつのことか

 「いまと違いはない」かどうかをかんがえるとき、基準となる「いま」とはいつなのかが問われます。

 安保法が成立した後の「いま」。「9条をかえてもいまと違いはない」と首相がいうとき、そこで念頭にある「いま」とは、おそらくこれを指します。集団的自衛権の(限定的な)行使や、平時からの米艦護衛が容認されている「いま」。あるいは、自衛隊がホルムズ海峡に派遣された後であれば、自衛隊が単独で海外の紛争地域にのりこむことのできる「いま」です。安倍改憲が成立しても、集団的自衛権の(限定的な)行使、平時からの米艦防護はつづけるはずです。その意味ではたしかに「いまと違いはない」かもしれません。

 しかし憲法にとっての「いま」とは、1946年に日本国憲法がほんらい予定した秩序のある状態をいうのではないでしょうか。その意味の「いま」からみれば、集団的自衛権の行使どころか、個別的自衛権の行使や、自衛隊の存在すら憲法違反と判断されるかもしれません。

 このように「いま」とはいつか、それ次第で「いま」と「安倍条改憲後の状況」は、隔たりもすれば広がりもするといえます。安保法や第3次日米ガイドラインのある現状(2019年)を受け入れるのではなく、ふたたび9条の掲げる平和主義にたちもどるべきではないでしょうか。そうすると、「いま」と「9条改憲の後」とのあいだには、とても大きな隔たりがみえてきます。

 以上のように、この9条改憲の結果は「いまと違いはない」とはいえないのです。

 

 

 6 おわりに―国家、社会、そして軍事的組織の変容

 

 (1)9条改憲と国家の変容

 安倍改憲、とくに9条改憲がもたらすであろう国家と社会の変容を網羅的に確認して、この文章をまとめようとおもいます。

 まず国家の変容についてです。9条改憲は、直接には積極的な自衛隊の活動を正当化します。国家権力作用全体も、軍事に重点を置いたものとなるでしょう。

 

 (2)9条改憲と財政の軍事化

 しかし9条改憲は、軍事的なものに正当性をあたえることによって、間接的に社会の諸領域に軍事化をもたらすのではないか。このことの影響も無視できません。

 第一に、財政の軍事化です。

 国家の軍事化にともない、軍事費の支出への歯止めが失われます。

 1930年の国家予算全体のうち軍事費の占める割合は28.5%でした。戦争末期の1945年になると72.6%にまで上昇しています。第二次大戦末期、国家予算の7割が戦争のために費やされていたのです。軍事費への支出が無制限になるというのは、こういう社会で暮らすということです。

 軍事に公共性を認めていない日本国憲法との関係で、政府は、防衛予算のGDP1%枠という上限を不文律として設定しました(15大綱。ただし関係経費までふくめれば、2019年度予算ではその数字は1.3%になります)。しかし戦闘機やミサイル防衛設備など、安倍内閣が武器爆買いをつづけるなかで、それは上限に近づいています。もし9条改憲が実現すれば、この上限は早晩廃棄されることは想像に難くありません。

 

もちろん、「防衛予算が1%以下におさまるなら9条に反しない」というわけではありません。しかし憲法との関係を意識して、自民党政府自身が1%という枠を提示し、それをおおむね遵守してきたことの意味は無視できないとおもいます。

なお憲法と1%枠の関係について、中曽根首相の次の発言は重要です。「しかし我々は、これについて[防衛費が無制限に膨張すること]は厳重な歯止めをつくっております。かぎはちゃんとかかっておるのであります。それは何であるかといえば、憲法や憲法に基づいて我々がここでここで国民の皆さんにお誓いしてきたことです。専守防衛あるは軍事大国にはならない。非核三原則を守る、そして節度ある防衛力を我々は心がける、そのことをはっきり申し上げておるのであります。」(中曽根康弘首相。1927年2月2日衆院本会議)

 

 (3)9条改憲と科学の軍事化

 科学の領域はどうでしょうか。文教予算の締め付けがきびしくなる一方で、軍事技術研究にたいする支援は手厚くなっています。防衛装備庁のまとめる安全保障技術研究推進制度では、毎年100億円ほどの予算が組まれています。

 これにたいして、「将来の装備開発につなげるという明確な目的に沿って公募・審査が行われ、外部の専門家でなく同庁内部の職員が研究中の進捗管理を行うなど、政府による研究への介入が著しく、問題が多い。学術の健全な発展という見地から、むしろ必要なのは、科学者の研究の自主性・自律性、研究成果の公開性が尊重される民生分野の研究資金の一層の充実である。」と、日本学術会議は批判しています(日本学術会議声明2017年3月24日)。しかし研究費が削減するなかで、研究をすすめるために軍事研究にかかわらざるをえないという選択をする研究者もいます。このような問題は、国の財政によって左右されてしまいます。

 

 (4)9条改憲と産業の軍事化

 つぎに産業の軍事化です。「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない」(9条2項)ことをさだめた日本国憲法の下で、兵器産業は公共性をもちません。むしろ「公共の福祉」(22条1項、29条2項)との関係で、厳格に規制されるべき領域です。

 また「全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」(前文)との関係ではどうでしょうか。国内で人権を抑圧したり、他国を侵略したり、他国の領土を不法に占拠する国家にたいして、武器を輸出したり軍事技術を供与することも許されないはずです。このように、9条と前文は、平和な産業をもとめています。

 しかし日本政府は、武器輸出禁止原則から武器輸出奨励策(2014年 防衛装備移転三原則)に基本政策を転換させてしまいました。そうしたなかで、海外への兵器輸出が増えることもかんがえられます。

 いったん企業が兵器の開発・製造に依存しはじめると、こんどはそこから抜け出ることはむずかしくなります。そして兵器の開発・製造によって利潤を得る構造を維持するために、資本の力で国家や社会にはたらきかけるようになるのです。アメリカのアイゼンハワー大統領が離任演説のなかで「軍産複合体による不当な影響力の獲得を排除しなければならない」「その影響力が、我々の自由や民主主義的プロセスを決して危険にさらすことのないようにしなければならない」と述べとことはよく知られています(1961年)。 

 そのためには、産業界全体が軍事に依存するまえに、それを防がなくてはなりません。

 社会の軍事化については、これまであげた財政の軍事化、科学の軍事化、産業の軍事化のほか、労働の軍事化、教育の軍事化、メディアの軍事化などがあるとおもいます。このことは、日本国憲法のもとで培われてきた人々の平和を愛好する感性にも影響をあたえるのではないでしょうか。つまり、国民意識の軍事化が憂慮されます。

 

 (5)9条改憲と自衛隊の軍事組織化

 自衛隊は軍事「的」組織です。が憲法9条の縛りをうけて、軍事組織(軍隊)とは法的に一線を画してきました。しかし9条改憲で正当性をもてば、自衛隊は(刑事法や民事法をはじめとする一般市民社会の法秩序のしたにある)軍事「的」組織から、(市民社会の法秩序の外にある)軍事組織に、不可避的に近づきます。

 わたしたちが平和的な国家・社会を構築するためには、究極的には、国家権力の非武装化すなわち自衛隊の解体が必要だとおもいます。しかしまずは、憲法・市民・メディアの力で、それを一般市民社会の法秩序のしたにしっかりおき、その軍事組織化をふせぐことが重要な課題となっているでしょう。

 近年、自衛隊や防衛大学校における深刻なセクシャルハラスメント・いじめ・暴力の問題が報じられています。軍事的組織のなかで、基本的人権が十分に尊重されていないことのあらわれではないでしょか。また日誌廃棄・隠蔽や、制服組の暴走(自衛官の政治的発言など)などの問題は、国民主権・議会制民主主義が行き届いていないことを意味します。いずれのケースでも、軍事的組織である自衛隊が、市民社会の法秩序からはずれかかっています。

 自衛隊あるいは国防軍の設置を9条で明記すること。通常の裁判所とはべつの軍事裁判所を設置すること。こういうことによって、自衛隊にたいする市民社会の法秩序の統制が強化される。このことは、日本において立憲主義や「法の支配」をたてなおすうえで必要だ。このように主張する改憲論者がいます。しかしなぜ現状を追認して、自衛隊を憲法にかくと、自衛隊内部のいじめやシビリアンコントロールからの逸脱が防げるのか。わたしには、その関係がまったく理解できません。

 むしろ9条改憲と、それを柱として構成される「1プラス3改憲」は、こういう現状にたいしてる憲法がもつ歯止めの力を弱めるおそれがあります。

 

 

参考文献

 

自民党「日本国憲法改正の考え方~『条文イメージ(たたき台素案)』Q&A~」

改憲問題対策法律家6団体連絡会『自民党改憲案の問題点と危険性』

同『自民党憲法改正推進本部作成改憲案(4項目)「Q&A」徹底批判』

永山茂樹「自民党・安倍改憲の危険・矛盾・葬り方」前衛2019年5月号

同「改憲・国家改造の内容、手法、そしてアキレス」法の科学50号

上脇博之『安倍「4項目」改憲の建前と本音』(日本機関紙出版センター 2018年)

清末愛沙ほか『自民党改憲案にどう向きあうか』(現代人文社 2018年)

清水雅彦『9条改憲 48の論点』(高文研 2019年)

纐纈厚『自衛隊加憲論とは何か―日米同盟の深化と文民統制の崩壊の果てに』(日本機関紙出版センター 2019年)

阪口正二郎ほか『憲法改正をよく考える』(日本評論社 2018年)

しんぶん赤旗経済部『軍事依存経済』(新日本出版社 2016年)

 

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