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2018-11-18

憲法ネット103発足1周年記念シンポジウム 憲法9条に適合的な非武装による安全保障の方法論とは‐ジーン・シャープ「市民的防衛」について           

2018年10月27日(土曜日)憲法ネット103発足1周年記念シンポジウムレジュメ

 

憲法9条に適合的な非武装による安全保障の方法論とは
‐ジーン・シャープ「市民的防衛」について

麻生多聞(鳴門教育大学)

「自衛のための武力行使」という正当化事由によって始終貫徹されていた近代以降の日本による帝国主義的な対外出兵

近代日本最初の帝国主義的対外出兵として位置づけられる台湾出兵(1874):「中国が「蕃地」を自国領と主張するのなら、日本が台湾でとった行動は自衛である」(大久保利通)。

20世紀に大日本帝国が戦った最後の戦争(太平洋戦争):「帝國ハ今ヤ自存自衞ノ爲蹶然起ツテ一切ノ障礙ヲ破碎スルノ外ナキナリ」「米國及英國ニ對スル宣戰ノ詔書」(1941)

「国土決戦教令」(1945年4月20日)
4条「神州ハ盤石不滅ナリ皇軍ハ自存自衛ノ正義ニ戦フ即チ将兵ハ皇軍ノ絶対必勝ヲ確信シ渾身ノ努力ヲ傾倒シテ無窮ノ皇国ヲ護持シベシ」
8条「国土決戦ニ散ズル全将兵ノ覚悟ハ各々身ヲ以ッテ大君ノ御楯トナリテ来寇スル敵ヲ殲滅シ万死固ヨリ帰スルガ如ク七生報国ノ念願ヲ深クシテ無窮ナル皇国ノ礎石タリ得ルヲ悦ブベシ」
11条「決戦間傷病者ハ後送セザルヲ本旨トス、負傷者ニ対スル最大ノ戦友道ハ速ヤカニ敵ヲ撃滅スルニ在ルヲ銘肝シ敵撃滅ノ一途ニ邁進スルヲ要ス戦友ノ看護、附添ハ之ヲ認メズ、戦闘間衛生部員ハ第一線ニ進出シテ治療ニ任ズベシ」
14条「「敵ハ住民、婦女、老幼ヲ先頭ニ立テテ前進シ我ガ戦意ノ消磨ヲ計ルコトアルベシ、斯カル場合我ガ同胞ハ己ガ生命ノ長キヲ希ハンヨリハ皇国ノ戦捷ヲ祈念シアルヲ信ジ敵兵撃滅ニ躊躇スベカラズ」」

「死ぬまで戦えという思想」の堅持と捕虜政策の転換

1899年ハーグ陸戦条約を批准していた日本政府。日清戦争、日露戦争、第一次大戦の宣戦詔書には「国際法規ヲ遵守」という文言あり(日本の国際的地位の向上と、西欧列強並の文明国の列に加わろうという意思によるもの)。⇒2つの理由から、日本は捕虜政策を転換。
①第一次大戦後の日本軍での精神主義の強調。1932年・第一次上海事変で中国軍捕虜となった空閑昇少佐が捕虜交換で帰還後に自決した事例が美談とされたことを契機に、「死ぬまで戦うべきであり、捕虜は恥辱」とする立場が強まった、②大戦後の日本の国際的地位向上により、文明国に並ぼうとする必要性が否定され、「これ以上の日本の発展は軍事侵略による以外ないとし、国際条件の制約を排除しようとするようになったこと」

日中戦争では国際法遵守を促す詔書が出されず、「帝国ハ対支全面戦争ヲ為シアラザルヲ以テ「陸戦ノ法規慣例ニ関スル条約其ノ他交戦法規に関スル諸条約」ノ具体的事項ヲ悉く適用シテ行動スルコトハ適当ナラズ」とする陸軍次官による支那駐屯軍参謀長宛通牒が各軍に示された(1937.8.5)。国際法適用の必要を否定するこの通牒は、「「俘虜」という名称の使用禁止規定」を含んでいた(「捕虜を作ることの禁止」として解釈可能)。1937年12月南京での捕虜殺害等中国人捕虜の組織的大量殺害の背景には、このような経緯があった。

「恥を知る者は強し。常に郷党、家門の面目を思ひ、いよいよ奮励してその期待に答ふべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すことなかれ」の一節を含む戦陣訓は、兵士に対して投降し捕虜となることを厳しく戒めたものであり、捕虜禁止違反に対する重罰を定めた陸軍刑法の罰則と相俟って、太平洋戦争では戦局が絶望的な状況に至っても投稿することの許されない兵士による「玉砕」や自決につながった。

■侵略戦争の口実として始終自衛という概念が用いられた経緯、そして、その「自衛戦争」という枠組の中で、自国の将兵および非戦闘員が、「捕虜禁止」規定により、ハーグ陸戦条約以降の国際人道法により保障されていたはずの生存につながる諸権利を剥奪され、玉砕や自決、集団自決を強いられた経緯、さらに他国民も捕虜として人道的な待遇を受ける権利を認められず、組織的大量殺害等が行われたという経緯。⇒このような特殊日本的な歴史を踏まえ、日本は自衛目的の武力の保持・行使も禁ずる戦争放棄規定をもつに至った。

ジーン・シャープ「市民的防衛論(Civilian-Based Defense)」

シャープは、その学説が高く評価され、2009、2011年度にノーベル平和賞候補に挙げられた。「市民的防衛論」をめぐる論考として、谷口真紀「ジーン・シャープの非暴力行動論」人間文化-滋賀県立大学人間文化学部研究報告41号(2016年)、三石善吉「武器なき国防は不可能だろうか-ジーン・シャープの非暴力行動論をてがかりに」福音と世界71巻8号(2016年)、三石善吉「チュニジア革命と非暴力行動論」筑波学院大学紀要7号(2012年)、中見真理「ジーン・シャープの戦略的非暴力論」清泉女子大学紀要57号(2009年)、寺島俊穂「市民的防衛の論理」大阪府立大学紀要(人文・社会科学)39号(1991年)。

軍隊ではなく一般市民を防衛の主体とし、非暴力手段により市民生活を防衛するという安全保障方法論。軍事兵器を用いず社会自体の力を用いて、国内での権力簒奪や外国による侵略を防止し防御するもの。そこで武器として用いられるのは、心理的・社会的・経済的・政治的なものであり、このような武器の使い手は一般市民と社会における多様な組織。

武装による専守防衛論(“defensive defense”measures)でも無抵抗主義でもない。「軍事的な国防により軍事的勝利が保証されるわけではなく、敗北が常に起こり得る」として武装による専守防衛論を批判。他方「侵略に対して無抵抗の白旗論もとり得ない」という立場。「市民的防衛」は軍事力を用いないが「非武装」ではなく、「心理的・社会的・経済的・政治的な武器」を駆使して不正な侵略・占領に対し抵抗するための方法論。

武装による専守防衛論の問題点:①戦争が段階的に拡大する可能性、②一般市民の間に膨大な死傷者がほぼ確実に生じること。最終的に勝利したとしても、長期的な社会的・経済的・政治的・心理的な影響が残ること。武装による防衛と比較して、「市民的防衛の方が、死傷者、破壊の双方において遙かに少ない程度で済む傾向がある」。この議論は、佐々木弘通による、武装国家と非武装国家の両者をプロパティ(生命・財産・自由)の保全という視座から比較する議論と共通するもの。「戦力」を保持する武装国家が必ず国家構成員のプロパティを保護出来るかといえば、そうではなく、①どの程度の実力を備えれば抑止力たる「戦力」を保持したことになるかが常に不明確である点、②いざというときに現実に行使されない実力は抑止力たりえないため、「戦力」は必ず行使され得るという点、を前提として、相互に抑止力が働く状況が崩れた場合、武装国家間においては原則として現実に自衛戦争が遂行され、その戦争の過程で兵士や民間人に犠牲が出れば、その限りで国家構成員間のプロパティ保護に失敗することになる。さらに、戦争の結果が敗戦となる可能性もあるため、国家構成員間のプロパティ保護という規範実現のためには、戦争に至らないよう自国の主権を維持することが求められることになる。それでも侵略という事態が生じてしまった場合への対応方法が、佐々木の議論には欠けているため、「白旗論」として捉えられてしまう可能性がある。

⇒「市民的防衛」軍事的手段とは異なる市民的な闘争手段(デモやスト等)を用いる。軍人ではなく一般市民による防衛であり、外国による侵略・占領・国内における簒奪を抑止し打破することを目的とする政策。
「市民的防衛」は、多様な非暴力行動あるいは非暴力闘争の技法を駆使する国防である。この技法は、一般市民や、社会における様々な集団、組織により用いられるもので、事前の準備・計画・訓練が必要とされる。非暴力抵抗の基礎的研究、攻撃者の政治組織の詳細な分析、厳しい抑圧に直面した場合に、いかにして市民の抵抗力を持続的に強化出来るのか、攻撃を受けた場合に最も有効な情報交信網を維持することが出来るか等をめぐる研究に基づき、非暴力の闘争形態を可能な限り有効にするためには何が必要かを理解し、攻撃者の弱点を鋭く衝く方法を洞察することが、市民的防衛成功のための条件とされる。
「市民的防衛」は、政治権力が社会における源泉(sources within each society)に由来するという理論に依拠している。この「権力の源泉」を拒否し分断することを通じて、大衆による支配者の抑制と侵攻者の打破が可能になるとシャープは主張する。

侵略に対する非暴力抵抗の事例として、シャープは、フランス・ベルギーによる侵略・占領からルール地方の防衛を図った1923年のドイツの事例、チェコスロヴァキアによるソ連・ワルシャワ条約機構による侵略・占領に対する1968~69年に行われた国防闘争の事例等を挙げる。この2件は、事前の準備も、事前の訓練もなく行われたものであり、洗練され、十分な準備と訓練を伴った、実際の「防衛」を担う非暴力闘争であれば、軍事的手段による防衛と比べて遙かに大きな潜在的な力を持つとされる。

外国による侵略、占領は、傀儡政権や従属的政府の樹立、住民を含めた完全な領土併合、経済的搾取、一定種類の資源の獲得、新しい住民に対するイデオロギー・宗教へのコミットメントの拡大、予想される軍事的脅威の除去、第三国攻撃のための装備・軍隊の輸送等という目的の下行われる。フランス・ベルギーによるルール地方侵略は、賠償金支払確保と、ラインラントのドイツからの分離が目的だった。1968年ソ連には、チェコスロヴァキアでの厳格な共産主義体制復活という目的があり、この目標達成のために、攻撃者は占領した国家を統治する必要があった。経済的搾取、物資輸送、イデオロギーの教化、住民立ち退きといった目的は、占領された国家の人および組織による多大な協力・支援がなければ達成出来ない。ただ国土を支配するだけでは目的達成とはいえず、侵略者はその住民と組織も支配する必要がある。抵抗する人々を取り締まるためのコストは、攻撃を仕掛けようとする潜在的攻撃者に大きく影響する。潜在的攻撃者はコストとベネフィットの計算を行い、成功する機会が小さくコストが高くつくのであれば、潜在的攻撃者が攻撃に及ぶことはなくなる。このような形で抑止力が機能するという展望をシャープは示す。
市民的防衛による抑止力を十分なものとするために、①「住民・組織による準備と訓練」、②「市民的防衛による動員可能で強力な防衛能力があることを、あらゆる潜在的攻撃者に対し正確に認識させる情報伝達プログラム」が必要とされる。事前の準備に含まれるものは、抑止効果と諫止効果の強化、戦略的な評価および計画、心構えの用意(混乱、恐怖、不安感の解消)、社会の組織・公務員・警察・留守部隊・政府機関による攻撃に備えた非協力と、公然たる拒否を行うための訓練、緊急事態対処の確立、備品・食糧・飲料水・エネルギー源・交信・その他の資源の備蓄、市民的防衛戦略の専門家組織の確立等。

防衛戦略は、攻撃者による目的に応じて異なる。攻撃者の目的が経済的搾取であれば、防衛戦略・手段は経済的なものとなり、攻撃者の目的が政治的・イデオロギー的・領土的・集団殺害等であれば、最適な防衛戦略も異なることになる。例えば、フランス・ベルギーの目的はルールの備蓄石炭の押収であったため、ドイツ側の防衛努力の重要な部分は、占領者を石炭貯蔵にアクセスさせないことに絞られ、炭鉱労働者のストライキ、鉱山占拠、輸送労働者によるボイコット等が多用された。チェコスロヴァキアにおけるソ連の侵略では、共産党とドプチェク首脳部のスターリン主義者への交代という政治的で大規模な目的があり、抵抗運動は非常に強力な心理的・社会的・政治的圧力をかけてスターリン主義者による協力政府の樹立の妨害に範囲を絞っていた。

「非暴力の市民的防衛など非現実的」であり、「市民的防衛」成功のためには「人間の本性」をめぐる根本的な変革が必要では?という批判に対し、シャープは、非暴力闘争の事例が人類史を通してきわめて広範に至る場所で生じていること、それも、根本的に変革された高次の本性を持つ人間によってではなく、今日を生きる我々と同様に不完全な人々によって行われるものであることを指摘する。シャープによれば、非暴力抵抗に及ぶことが出来る力というものは、必ずしも、利他主義、寛容性、愛の信条、もう片方の頬を向けること(マタイ5-39)、「自己犠牲」により悪を除去したいという願望、これらのいずれに基づく必要もない。

シャープは、過去の歴史的経験から非暴力抵抗の事例として成果を挙げたものを198にわたって抽出し(198 Method of Nonviolent Conflict)、これを54の「非暴力的抗議」(非暴力的非協力・非暴力的介入には至らないものであり、デモ行進、署名活動、ピケ、ポスター掲示、公的集会等)、103の「非暴力的非協力」(経済的な非協力としての不買、ストライキ、税金支払い拒否、政治的な非協力としてのボイコット等)、41の「非暴力的介入」(断食、座り込み、第二政府の樹立等)に区別している。

公式声明:1.パブリック・スピーチ、2.反対または支持の手紙、3.組織や機関による宣言、4.署名のあるパブリックな声明、5.告発と意図の宣言、6.グループまたは多数による請願、より広範な聴衆とのコミュニケーション:7.スローガン、風刺画、シンボル、8.バナー、ポスター、プラカードディスプレイ、9.リーフレット、パンフレット、本、10.新聞、雑誌
11.ラジオ、テレビ、12.空中文字、地上文字、グループによる表現:13.代表団の設置、14.模擬的な賞の授与、15.グループでのロビー活動、16.ピケを張る、17.模擬選挙、象徴的なパブリック行動:18.旗や象徴的な色のディスプレイ、19.象徴を身に纏う、20.祈りと礼拝、
21.象徴的な品の配布、22.脱衣による抗議、23.自分の所有物の破壊、24.象徴的な照明、25.肖像のディスプレイ、26.抗議としての落書き、27.新しい標識や名前の掲示、28.象徴的な音を鳴らす、29.象徴的な返還要求行動、30.粗野な身振り、個人に対する圧力:31.当局担当者への”付きまとい”、32.当局担当者をなじる、33.抗議対象者と親交を深めて当方の影響を及ぼすこと、34.終夜監視、演劇、音楽:35.ユーモラスな寸劇やいたずら、36.演劇や音楽会の上演、37.歌を歌う、行進:38.マーチ、39.パレード、40.宗教的な行進、41.巡礼、42.車列行進、死者に対する栄誉:43.政治的な葬送、44.模擬的な葬儀、45.示威的な葬儀、46.埋葬地の参拝、パブリックな集会:47.抗議あるいは支持の集会、48.抗議の会合、49.偽装した抗議の会合、50.討論会の実施、撤退と放棄:51.立ち去る、52. 沈黙、
53.勲章の放棄、54.背を向ける、社会的非協力の方法・人物の排斥:55. 社会的なボイコット、56.選択的で社会的なボイコット、57.リシストラータ(女の平和)的ボイコット、
58.破門、59.聖務禁止令、社会行事、習慣、機関に対する非協力:60.社会的ないしはスポーツ活動の一時停止、61.社会的行事のボイコット、62.学生ストライキ、63.社会的不服従、
64.社会的機関からの脱退、社会制度からの撤退:65.家に閉じこもる、66.完全に個人的な非協力、67.労働闘争、68.避難所の設置、69.集団失踪、70.抗議の移民(ヒジュラ)、経済的な非協力の方法(1)経済的なボイコット・消費者による行動:71. 消費者ボイコット、72.ボイコット商品の非消費、73.緊縮家計作戦、74.家賃の不払い、75.賃貸借の拒絶、76.全国消費者ボイコット、77.海外消費者ボイコット、労働者・生産者による行動:78.労働者ボイコット、79.生産者ボイコット、仲介業者による行動:80.卸・小売業者ボイコット、所有者と経営者による行動:81.小売業者ボイコット、82. 土地賃貸・売却の拒絶、83.ロックアウト、84.産業支援の拒否、85.商人「ゼネスト」、有産者による行動:86.銀行預金の解約、87.料金、会費や税金の支払拒否、88.負債、利息支払の拒否、89.資金、信託の解除、90.政府に対する支払の拒否、91.政府発効通貨の拒絶、政府による行動:92.国内経済封鎖、93.小売業者のブラックリストへの記載、94.輸出業者に対する経済封鎖、95.輸入業者に対する経済封鎖、96.国際貿易の経済封鎖、経済的非協力の方法(2)ストライキ・象徴的ストライキ:97.抗議ストライキ、98. 急の立ち去り(稲妻スト)、農業ストライキ:99.農民ストライキ、100.農場労働者ストライキ、特定のグループによるストライキ:101.賦役の拒否、102.受刑者ストライキ、103.職人ストライキ、104.専門職ストライキ、通常の産業ストライキ:105.会社ストライキ、106.産業ストライキ、107.同情ストライキ、部分的なストライキ:108.一部スト、109.バンパーストライキ、110.減産ストライキ、111.順法ストライキ、112.仮病、113.辞職によるストライキ、114.限定ストライキ、115.選択的ストライキ、複合的産業ストライキ:116.一般的ストライキ、117.ゼネラルストライキ、ストライキと経済閉鎖の組み合わせ:118.同盟休業、119.経済停止、政治的非協力の方法・権力の拒絶:120.権力への忠誠の保留・撤回、121.公的サービス拒否、122.文章やスピーチによる抗議の提唱、政府に対する市民的非協力:123.立法府のボイコット、124.選挙のボイコット、125.政府の雇用や就職のボイコット、市民による服従に替わるもの:126.政府省庁、諸機関のボイコット、127.政府による教育機関からの退学、128.政府が支援する機構のボイコット、129.警察等への協力の拒否、130.標識・表札の取り外し、131.公務員への指名の受託拒否、132.既存機関の解散の拒否、従順な市民に替わるもの:133.消極的で緩慢と従う、134.直接の監督が不在である限りにおいての不服従、135.庶民的不服従、
136.フェイント不服従、137.集会または会合の解散の拒否、138.座り込み、139.徴兵、国外追放に対する非協力、140.潜伏、逃亡、偽名の使用、141.「正統性に欠ける」法律に対する市民的不服従、政府職員による行動:142.政府による支援に対する選択的な拒否、143.命令や情報系統の遮断、144.遅滞、妨害を起こす、145.一般事務従事者による非協力、146.司法関係者による非協力、147.警察関係者による意図的な非効率化および選択的非協力、148.任務遂行拒否、政府による国内的行動:149.準法的な回避、遅延、150.地方政府による非協力、他国政府による行動:151. 外交等の代表の変更、152.外交行事の遅延やキャンセル、153.外交的な承認の保留、154.外交関係の断絶、155.国際機構からの脱退、156.国際機関に対する参加の拒否、157.国際機関からの除名、非暴力介入の方法・心理的介入:158.自己犠牲、159.断食、a)倫理的圧力を加えるための断食、b)ハンガー・ストライキ、
c)サティヤーグラハ(非暴力不服従)的断食、160.逆提訴、161.非暴力的なハラスメント、物理的介入:162.座り込み、163.立ち尽くし、164.無許可乗車、165.入場禁止の海や池への無許可の侵入、166.歩き回り、167.無許可で祈祷、168.非暴力的な襲撃、169.非暴力的な空襲、170.非暴力的な侵入、171.非暴力的な介入、172.非暴力的な妨害、173.非暴力的な占拠、社会的介入:174.新たな社会的行動パターンの確立、175. 統治機関への過大な仕事の要求、176.業務停滞、177.集会での介入演説、178.ゲリラ演劇上演、179.代替的な社会機関を立ち上げること、180.代替的な通信システムを立ち上げること、経済的介入:181.逆ストライキ、182.居座りストライキ、183.非暴力的な土地占拠、184.封鎖を無視すること、185.政治的動機による偽造、186.妨害的な買占め、187.資産の差し押さえ、188.投げ売り、189.選択的な支援、190.別の市場を立ち上げること、191.代替的な輸送システムの立ち上げ、192.代替的な経済機関の立ち上げ、政治的介入:193.行政システムを仕事で過負荷に追い込む、194.秘密警察の身分の暴露、195.投獄を自ら希望する、196.「中立的な」法律に対する市民的不服従、197.非協力的な形での労働従事、198.二重統治と並行政府。

※⇒「相手側が拷問や強制収用等のテロ行為によって組織の壊滅をはかることはないであろうこと、つまり相手方が占領活動に関わる戦争法規を遵守するであろうことが前提となる」こと、「かりに運動に参加する市民に犠牲者が出た場合には、それに良心の呵責をおぼえ、士気を阻喪するであろうほど、相手側の兵士が一般にcivilisedであるという前提を置いていることが問題となる」という非暴力抵抗論への批判。

勿論、市民的防衛者への抑圧は厳しいものとなることが予測され、逮捕や拷問、殺害、ライフラインの切断、強制収容所への送致、虐殺が行われるかもしれない。市民的防衛における人的犠牲が過小評価されるべきではないことを、シャープは強調している。浦田一郎が指摘するように、「非武装平和主義は、「一国平和主義」と揶揄されるような気楽なもの」では決してない。「しかしそれでも、軍事的紛争と比較すれば、市民的防衛には、死傷者、破壊の双方において遙かに少ない程度で済む傾向がある」。

市民的防衛の2つの柱:第1に、侵攻者への服従や協力を拒むことにより実現されるものとしての、侵攻者の力の源泉を切断する方法、第2に、侵攻者による残虐な行為が逆効果を招来し、侵攻者の力を結果的に脆弱化させてしまうというプロセスを踏まえた「政治的柔術」の方法。たしかに、この第2の柱としての政治的柔術は、長谷部が指摘するように、侵攻者のcivilizationに依拠するものでもあるが、市民的抵抗論において、この政治的柔術が常に有効なものとして位置づけられているわけではなく、「市民的防衛」は侵攻者のcivilizationのみに依拠するものではない。

「侵攻者のcivilizationに基づく非暴力抵抗の成功」という事例は稀にのみ生じるもの。、むしろ、国際社会の第三者に対する体面が損なわれると判断される場合、武力侵攻の継続におけるコストが過剰と判断される場合、現状を踏まえて侵攻者内における意見が分裂し、非暴力抵抗主体側の要求に応じる方が得策と判断される場合、非暴力抵抗主体側の意向を拒絶することから生じる経済的損失を最小限に抑えたいと判断される場合等、リアリズム的な見地からの帰結を要因とした事例が、最も発生する可能性が高いとするシャープ。

「生命・自由・幸福追求に対する国民の権利」(憲法13条)を挙げ、「政府には、国内の安全を確保する義務が課されていること、外国からの武力攻撃があった場合に、それを排除するための必要最小限度の武力行使を行うことは、政府が国民の生命・自由等を最大限尊重する義務(憲法13条)を果たすための行為(憲法第9条の下で「例外的に許容される」武力行使)として正当化できる」という木村草太の主張。

「この説明は、たしかに、近代立憲主義のもとで、また、近代立憲主義の原理に関連づけて武装・軍備の根拠を実質的に示そうとする場合に、唯一可能な説明方法であろう。それゆえ、この説明は、戦力不保持規定をもたない国の、軍事力の実質的根拠としてならば、成立できるであろう。そして、軍事力に対する制約を画するものとして、意味をもつであろう。しかし、日本国民は、みずからの生命・自由・幸福追求、もっとひとこといえばみずからの個人としての尊厳を確保するために、あえて、9条を日本国憲法のなかに規定したはずである。すなわち、9条の存在自体が、13条による自衛権論によって「戦力に至らない自衛力」を根拠づけることを否定したもの、と見なければならないであろう」

「国家の存続のためには、国民の自由が犠牲にされる危険性が常にある。特に全体主義によって個人を圧殺した過去の反省は、日本国憲法下において国家や国民の安全について考える際にも、徹底して個人の視点に立つことを要請する。そのため、「武力による平和」への深い懐疑が、個人の自由という視点からは引き出されるのである。軍事力はいかなる理由であれ、いったん行使されれば、誰かしら、特に弱い人間から先に、犠牲を強いられることになるからである。そもそも憲法13条とは、「国家の存続」という、誰にも否定することができない公益がふりかざされることに異を唱える、最後の方法にこそならねばならないのではないか。憲法9条の下で「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」を用いて、国家が武力を行使できるケースを増やすことに、筆者は違和感を禁じ得ない。もし憲法9条をもちつつも、「国民の生命、自由及び幸福追求の権利」のために、国には安全を確保する義務があるということを正面から認めるとなると、相当に議論のあり方はこれまでとは変わるはずである。なぜなら従来の政府解釈は、これに比べれば「自衛権が否定されない」、「例外的に武力行使できる場合がある」という、迂遠な、遠慮がちな議論だったのであり、そのために面倒な議論をたくさんしなければならなかったからである。それが不要となることをも意味するのである」

 

1. 石井孝『明治初期の日本と東アジア』(有隣堂、1982年)152頁。
2. 藤原彰『餓死した英霊たち』(筑摩書房、2018年)247‐250頁。
3. 藤原、前掲註2、251‐253頁。
4. Gene Sharp, Civilian-Based Defense- A Post-Military Weapons System, Princeton University Press, 1990, at ⅶ.
5. Ibid., at 4.
6.  Ibid., at 5.
7.  Sharp, Supra note 4, at 146.
8.  佐々木弘通「非武装平和主義と近代立憲主義と愛国心」憲法問題19号(2008年)93‐97頁。
9.  同上93‐94頁。
10.  河上暁弘『平和と市民自治の憲法理論』(敬文堂、2012年)154頁。
11. Sharp, Supra note 4, at 5-6.
12.  Ibid., at 7.
13.  Ibid., at 7.
14.  Ibid., at 18.
15. Ibid., at 85-86.
16. Ibid., at 87.
17. Ibid., at 117.
18. Ibid., at 92-93.
19. Ibid., at 120.
20.  Gene Sharp, From Dictatorship to Democracy – A Conceptual Framework for Liberation, Serpent’s Tail, 2012, at 124-135.
21. Ibid.
22. 長谷部恭男「平和主義と立憲主義」ジュリスト1260号(2004年)60頁。
23. Sharp, Supra note 4, at 95-96.
24. 浦田一郎『現代の平和主義と立憲主義』(日本評論社、1995年)79頁。
25. Sharp, Supra note 4, at 146.
26.  Sharp, Supra note 4, at 58-60.
27. 大澤正幸・木村草太『憲法の条件』(NHK出版、2015年)147頁。
28.  樋口陽一『現代法律学全集2・憲法Ⅰ』(青林書院、1998年)440頁。
29. 本報告の全体的な内容、そして樋口によるこのような指摘を裏づける制憲者意思の分析を踏まえた歴史的論証をめぐる詳細な議論については、麻生多聞『憲法9条学説の現代的展開‐戦争放棄規定の原意と道徳的読解』(法律文化社、2019年2月刊行予定)の参照を請う。
30. 青井未帆『憲法と政治』(岩波書店、2016年)76‐77頁。下線は麻生。

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