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2019-12-30

憲法ネット103出版記念・2周年記念シンポジウム「現代日本における『表現の不自由』の現状― あいちトリエンナーレ2019芸術作品弾圧事件から考える」

現代日本における『表現の不自由』の現状― あいちトリエンナーレ2019芸術作品弾圧事件から考える

成澤孝人(信州大学)

1 事実の確認

(1)概要

2019年8月1日にはじまった国際芸術祭「あいちトリエンナーレ2019」の中の企画展「表現の不自由展・その後」が、一部の政治家と多くの人々からの電話やファックスなどの攻撃をうけ、たった三日間で実行委員長大村秀草知事が展示の中止を決定した。

 

(2)政治家の発言

河村たかし名古屋市長 「日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止にしていただきたい」

菅官房長官 あいちトリエンナーレが文化庁の助成事業であることに言及したうえで、「補助金交付の決定にあたっては事実関係を確認、精査したうえで適切に対応していく」

松井一郎大阪市長「税投入してやるべき展示会ではなかったのではないか。」

 

(3)一般市民からの抗議

8月1日~31日 電話 3,936 件、メール 6,050 件、FAX 393 件 10379件

脅迫

①ガソリン携行缶を持って館へおじゃまします。

②愛知芸術文化センターへの放火予告のほか、愛知県内の小中学校、高校、幼稚園へのガソリン散布して着火する。

③愛知県庁等にサリンとガソリンを撒き散らす。

④高性能な爆弾を仕掛けた。

⑤愛知県職員らを射殺する。

(中間報告26頁)

 

①のガソリン携行缶→7日、容疑者は威力業務妨害罪で逮捕され、11月14日有罪判決

 

(4)中止への抗議

参加アーティストからの抗議+作品展示の中止

2019年8月6日 ・トリエンナーレに参加するアーティスト72組が、ステートメントを発表する(9月25 日現在88 組)。

・イヌ・ミヌク氏、パク・チャンキョン氏の2人が、展示を中止し、展示室を閉鎖しステートメントを掲出する。

8月10 日 ・CIR(調査報道センター)が、展示室を閉鎖する。

8月12 日 ・米国の美術雑誌「ARTnews 」のウェブサイトに海外作家 11 人、外国人キュレーター 1 人が一時的な停止を決めた公開書簡を掲載する。

8月20 日 ・出展中の海外作家8組が、展示中止や変更を行う。

9月3日・田中功起氏が、展示内容を変更する。

9月11 日 ・出展作家35 組が、不自由展を含めこれまで中止・変更された全展示の再開を目指すプロジェクト「 ReFreedom_Aichi 」を始めると発表する。

9月24 日 ・キャンディス・ブレイツ氏が、展示室を閉鎖しステートメントを掲出する。(ただし、土日祝はこれまで通り展示を行う。)

(中間報告24頁)

 

各界からの抗議声明

 

(5)検証委員会

8月9日大村知事が「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会」の立ち上げを表明

第一回(8月16日)、第二回(9月17日)、第三回(9月25日)、中間報告(9月25日)

 

(6)仮処分申し立てから再開へ

9月13日申立 当日に20日、27日、30日の審尋期日→30日に和解→10月8日に条件付き再開

トリエンナーレ実行委員会は、「不自由展実行委員会」をはずして再開しようとしたが、断念。

 

(7)文化庁による補助金7800万円の不交付決定

 

2 憲法上の問題点

(1)基本的事項

A公権力が、芸術作品への援助を決定したなら、基本的には、表現の自由の法理で保護される。→公権力による内容規制の場合、やむにやまれぬ利益がなければ、展示を中止できない。敵対する聴衆が存在するだけでは、やむにやまれぬ利益とはいえず、警察力をもって排除できないほどの具体的危険性が要求される。

 

B 中止をするだけの具体的危険性の有無

会場は比較的平穏だった。

大村・津田 中止の理由は、電話・ファックスでの抗議への職員の対応が限界に達したというのであり、政治家の発言が原因ではないと強調

電話・ファックスだけであれば、対応可能ではないか。→この点において、不自由展実行委員会の岡本有佳は、トリエンナーレ実行委員会側が十分に準備、対応したかについて疑問を呈している(『あいちトリエンナーレ「展示中止」事件』(岩波書店、2019)21-22、30、33-36)

 

C 問題は脅迫

主催者は、このような卑怯な暴力の示唆に屈するべきではなかったのではないか。→自分が気に入らない展示は、脅迫電話でつぶすことができるというメッセージになる。

 

(2)政治家の言動

河村たかし名古屋市長

名古屋市の分担金負担を背景になされた中止の要求は、広い意味での検閲にあたる。

→私的な立場からの発言であり、実行委員として権限を有する市長の発言としては容認できない(福嶋敏明「市長による抗議の自由?―「表現の不自由展・その後」をめぐる騒動から考える」時の法令2087号(2019)。

「日本人の心を踏みにじる」‥要するに自分が気にくわないというだけ。

→暴力行為を示唆する抗議がなされている状況で、そのような動きを後押しする効果

菅官房長官の言動→実際に補助金が不交付となる。

(3)まとめ

政治家と強硬な市民が一体となって、暴力を示唆することによってある表現の発表を中止に追い込んだ。→表現の自由を侵害するもの

補助金の不交付は、実質的には内容を問題とするものであり、許されない。‥訴訟に注目

 

3 検証委員会の中間報告

中間報告→責任を津田氏にあるとして、厳しく非難。

「芸術監督は以下の諸点において学芸業務の最高責任者としてふさわしくない行動や言動、情報発信を行ったといえる。

(1)本来業務に関する判断、あるいは組織運営上の問題点

①不自由展実行委員会のかたくなな姿勢は早くからわかっていたにもかかわらず、自らの個人的関心を優先させ、交渉上、組織としては通常ではありえない判断と譲歩を続け、結果的に展覧会の開催を強行し、中止の事態に陥り、関係各方面に多大な損害を与えるとともにあいちトリエンナーレ及び、愛知県庁に対する県民や協賛企業からの信頼を大きく失わせる事態を招いたこと。

②不自由展実行委員会に展覧会のキュレーションを委ねてしまい、結果としてあいちトリエンナーレの期待水準に達しない、また「芸術の名を借りた政治プロパガンダ」と批判される展示をみとめてしまったこと。

(3)ジャーナリストとしての個人的野心を芸術監督としての責務より優先させた可能性

⑩2015 年の不自由展の拡大版を「あえて今回公立美術館で開くことに意義がある」と不自由展実行委員会と当初から合意していたが、これは人々が公的機関に期待する役割から逸脱したものであり、いくら芸術祭であるといっても、県民からの理解がたちどころにはえられるとは思われない。また、このことはプロのジャーナリストとして当然、想定し得たはずだが、それにもかかわらず、芸術監督は無理に無理を重ね、キュレーターチームや事務局からの懸念を振り切り、愛知県美術館での展示を強行した。このことはジャーナリストとしてはもしかすると長い目で見た時にひとつの業績になりえるかもしれない。しかし、税金でまかなわれる県の施設を使用する芸術監督に求められるべき当然の分別、あるいは INTEGRITY(高潔さ)を著しく欠いた行為であり、違法ではないが到底、県民の理解はえられない。」

 

 

中間報告は、原因である脅迫行為や政治家の圧力は不問にして、混乱をもっぱら津田氏と不自由展実行委員会のせいにしている。

人々が公的機関に期待する役割とは?

税金でまかなわれる県の施設を使用する芸術監督に求められるべき当然の分別とは?

⇒結局、多くの人から攻撃されるような展示はするな、ということに等しい。

⇒本件で、一番問題だったのは、トリエンナーレ実行委員会が、日本社会における「天皇タブー」と「戦争責任の隠蔽体質」を甘く見ていたことではないか。どうやってその問題と立ち向かいながら表現活動をしていくかが問題の本質であるのに、検証委員会の検証は、そこにはふたをして、「税金でまかなう」以上は、県民の理解をえられない企画をやった者に責任があるという結論に至った。→なぜ再開したのか説明がつかないのではないか?

 

4 日本における表現の不自由

(1)あいちトリエンナーレ事件の評価

・これまでの日本の美術館などで展示を拒否されてきた作品を集めて、日本社会の不寛容をあばきだそうとした企画趣旨は、非常に重要な問題提起であった。津田氏の試みは高く評価されなければならない。

・しかし、その趣旨と重要性が、トリエンナーレ実行委員会のスタッフには十分に伝わっていたとはいえない。

・このように非常に困難な問題について、トップダウンで企画を実現しようとしたところにそもそも無理があったのでは?‥津田氏は、スタッフの積極的な協力をえられなかった印象。「中間報告」の表現の自由への冷淡さ→日本における「表現の不自由」状況を改めて浮かび上がらせた。

・新しい現象‥21世紀日本社会の「歴史修正主義」の台頭が影響した⇒ふつうの市民の右傾化、戦争責任忘却≒嫌韓、嫌中 このような右翼的な市民が、積極的に表現を妨害する状況にどう対処するか、という新しい問題。

 

・トリエンナーレ参加の他の作家たちが、中止に反発し声明、憲法学者も含むさまざまな声明→再開への第一歩

・裁判所の仮処分

・不交付の訴訟は、負けるわけにはいかない。

 

(2)表現の不自由の歴史

2004年 立川テント村事件、葛飾マンションビラ配布事件、堀越事件、世田谷事件⇒刑事罰

それまで認められていたポスティングを住居侵入罪または国家公務員法102条違反で有罪に(無罪になったのは堀越さんのみ)。

→日本では、この手を使った政治弾圧がいまだにおこなわれているし、これからもありうる。

Cf 大阪駅前コンコース通行事件、ろくでなしこ事件

日本社会の表現の自由に対する冷淡さは、今にはじまったことじゃない。

 

上で挙げた諸事件‥刑事罰による弾圧

本件は芸術への援助‥一つ上のレベルでの話になっていることはきちんと評価すべきだし、さまざまな努力によって再開を勝ち取ったことも重要。

委縮せずに、同様の試みを続けていくことが必要。

 

ヘイト・スピーチ問題

「言論には言論で」の意義 表現の自由は、わたしたちの命綱でもある→自由を最大限保障する法理を捨てるべきではない。

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