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2020-08-14

飯島滋明(名古屋学院大学教授)「特措法の緊急事態宣言と安倍改憲の緊急事態条項」

許すな!憲法改悪・市民連絡会の第144回市民憲法講座(2020.6.20)での講演です

はじめに

私は授業で緊急事態宣言について、ドイツのメルケル首相とフランスのマクロン大統領のテレビ演説を学生に読ませてレポートを書かせました。フランスのマクロン大統領の演説を読んだ感想として、「なぜ外に出てはいけないかということがよくわかった。すごい説得力があった」という言い方をしています。ドイツのメルケル首相の演説では、「国民のことを考えているということがよくわかる。これだったら強制力があるなしに関わらず従うだろう」と話しています。

安倍首相の演説を見て感動したという人はどれくらいいるのでしょうね。私は聞いたことがないんですね。星野源さんの「うちで踊ろう」とコラボしたときに、ゆったり座ったりしていましたが、「ほっこりした」という学生もいましたので、ちょっと感覚がちがうのかなと思いますが、私はあの動画を見る前の日に、保育士さんが子どもたちを抱きかかえている場面を見ました。子どもたちはよくわからないので寄ってきたりしますね。保育さんは「来るな」とは言えないですね。それで抱きかかえていました。ああいう保育士さんたちが、あの場面を見たらどう思うのだろう。やっぱりそういったことに関する感性がまったくない人だ、国民感覚に沿っていないと思われるのではないということは非常に感じました。

改正新型インフルエンザ等特別措置法について

いま緊急事態宣言は解除されましたけれども、緊急事態宣言とは何なのかということです。2012年に新型インフルエンザ等特別措置法が成立します。これは民主党政権のもとでの特措法です。そして今年1月に、日本でも新型インフルエンザに対応しなければいけないのではないかということが問題になりました。立憲民主党などは1月末くらいから新型インフルエンザ等特別措置法を適用してコロナに対応するべきだと一生懸命主張していました。それがいいかどうかはともかく、適用できるというのはそうだと思います。けれども安倍首相はこれを適用しない、改正しなければいけない。新型インフルエンザ等特別措置法の「等」のところに新型コロナウィルスという文言を入れなければだめだということを主張して、3月に改正新型インフルエンザ等特別措置法を成立させます。この新型インフルエンザ等特別措置法に基づいて4月7日に緊急事態宣言を7都府県に出します。さらに7つの都府県だけではだめだということで4月16日、全国に拡大します。

4月7日の時点で、この緊急事態宣言は1ヶ月程度で5月6日には解除するということでしたが、さすがに1ヶ月では無理でさらに延長を決めます。延長を決めたけれども、5月14日に緊急事態宣言を一部解除します。さらに5月26日には緊急事態宣言を全面解除します。

ドイツの場合は政府だけで緊急事態宣言を出す、あるいは解除するというのはヴァイマールの過去から危険だということで、政府ではなく連邦議会です。日本の場合は総理大臣の一存で国会の審議もなしに緊急事態が宣言できてしまう。フランスの場合は、緊急事態に関するものとしては国会だけではなくて裁判所も関与しています。そうやって緊急事態宣言を出す法律あるいは憲法が、濫用されないようにということがドイツやフランスではなされています。日本の場合は総理大臣が専門家会議に聞いたという体にして、緊急事態を宣言できてしまう。そういうことにも問題があるということをあとで紹介します。

コロナ対策を口実とする改憲論議

さらに、この新型コロナウィルスを名目にして憲法改正論議が出てきています。これもドイツとかフランスとの大きな違いです。ドイツやフランスはいかに憲法違反させないようにするか、いかに民主主義あるいは人権を制限しないように、濫用しないようにするかという議論を進めるのに対して日本の場合はそうではない。例えば日本維新の会の馬場幹事長はこういうことを言っています。「感染症の拡大は良い教本となるはずだ。緊急事態条項について国民の理解を深めていく努力が必要だ」。それからこれも良く紹介されましたが「〔感染症拡大は〕緊急事態のひとつの例。憲法改正の大きな実験台と考えたほうがいいかもしれない」。自民党の伊吹元衆議院議長はこういうことを言っています。

憲法改正に関わっては2つの議論が出ています。コロナに関して、今の憲法体制では対応できない。だから憲法に緊急事態条項を導入してコロナに対応すべきだというのがひとつの改憲論です。もうひとつが国会機能の確保、このために憲法改正が必要だということを自民党は言い出しています。例えば新藤義孝さん、憲法審査会の与党筆頭幹事です。彼は主に2つのことを言っています。憲法56条は本会議の定足数について総議員の3分の1以上と定めています。万が一感染が国会議員に広がった事態を想定して、定足数を欠いても国会の機能を確保しうる、その方策を議論していくことをまず主張しています。もうひとつ憲法45条では衆議院議員、憲法46条では参議院議員の任期が明記されています。しかしコロナの感染が広がることによってこの任期中、衆議院の場合は4年間、具体的には来年10月21日に任期が切れます。そこまでコロナの感染が広がったことによって衆議院選挙ができない場合を想定して、憲法改正論議をすべきではないかということを新藤義孝さんは言っています。話を戻しますと、一つはコロナに対する対応のため、もうひとつは国会の機能を維持するという観点から憲法改正の議論を自民党や日本維新の会が始めている。これについては公明党も同じことを言っています。このことについて話をしてみたいと思います。

コロナを名目とする緊急事態条項の問題点

コロナを名目とする憲法改正がいいのかどうか、それから特措法について紹介したいと思います。コロナ感染を名目とする緊急事態条項導入の問題点についてですが、そもそも緊急事態条項とは何なのか。国家緊急権というのは戦争であったり内乱や自然災害が起こったりしたときに、特定の国家権力が、わざとドイツ、フランスに倣って行政権ではなくて「執行権」という言葉を使いますが、総理大臣とか大統領などの人たちについて、今は非常事態だから何をやってもいいと、憲法に従わずに行動していいとすることです。

本来立憲主義というのは個人の権利・自由を守っている、「みなさんにはこういう権利があります」「こういう自由があります」ということを守っています。それを国家権力、政治家や大統領、内閣総理大臣あるいは国会議員、裁判官は守りなさい、ということが立憲主義の考え方です。でも戦争や内乱あるいは自然災害のときにはそんなことは言っていられない、憲法は守らなくていい、権利・自由は守らなくていい、ということが緊急事態条項、国家緊急権になります。これを憲法に書き込むということが緊急事態条項です。

フランス、ドイツでは法律で対応

今年の5月3日に、安倍首相は自衛隊を憲法に書き込むことが必要だといっています。懲りない人ですよね。それ以上に憲法を改正して緊急事態条項を憲法に書き込むべきだということもいっています。この問題点としては、まず本当に憲法を変えなければできないことなのか。

例えばフランスの場合、憲法36条に戒厳令があります。その戒厳令を使わないで、そういう危険な方向に持っていかないようにと法律で対応しています。3月23日に公衆衛生緊急事態法がつくられています。この法律を5月10日に改正して、7月10日まで延長されることになっています。あくまでも緊急事態の法律なので長くても2ヶ月です。日本の場合、改正特措法は2年間適用されますけれども、これでは長すぎる。フランスの場合は2ヶ月で区切られています。新聞などを見たら10月まで延ばそうかという議論も出ていて、もしかしたら延びるかもしれませんけれども、少なくとも、今の段階では7月10日までとなっています。もともとは7月24日までにしようという話でしたが、長すぎるということで7月10日にしたんですね。1ヶ月後になればフランスの状況も変わっているかもしれませんけれども、2ヶ月でも長いという考え方で議論されています。

ドイツにも、もちろん緊急事態条項に関するものもあります。でもそういったものを適用するのは危険だということで、あえて法律で対応しています。法律で対応して、生活補償などは申請して2日くらいでお金が振り込まれたとテレビでも報道されています。

みなさんのうち10万円の給付金をすでにもらった人って、どのくらいいますか。私は一昨日くらいに書類が届きました。アベノマスクは届いていますか。まだ届いていない人もいるんですよね。欲しいかどうかはともかくとして。余談ですが私は大量に持っているんです。なぜかというと医療関係者が使えないということで。医療現場にはかなり早い段階で届いています。私は医療の法律もやっているのでお医者さんとの関係もあって、これは使えないと。これも5月中にほとんど届いていないという話ですよね。緊急事態宣言が解除されてから届いたという人がたくさんいる。ドイツやフランスでは補償がすぐにされる。

いま日本で求められている対策は法律で対応できる

いま日本で求められている対策として「PCR検査の拡大、医療体制の充実、マスク・防護服の調達、隔離施設の確保、休業補償、DV対策、精神的支援、学生への学費等の支援、高齢者の健康確保」などがあると思います。「DV対策」は特にジェンダーの視点から無視できないことです。これは国際的な問題になっています。ただでさえDVが問題になっていて対応が取れていないのに、結局家にいろということとになると、ますます加速するということで大きな問題なっています。あるいは精神的支援、「1ヶ月ずっと家にいろ」と言われておかしくなってしまう人もいます。外に出ることはどれだけ幸せかということが実感でわかった人も多いと思います。

あるいは学生への学費等の支援です。学生と接していて感じますけれども、アルバイトが切られてしまう。特に地方の人などは戻れない。帰ってくるな、などと言われてしまう。お金もないしバイトもできない、家でポツンといる。学費も大変なことになる。今バイトができはじめたので、やっと何とかなるという学生もいますが、やっぱり学費が大変だと言っている学生がいます。学生の13人にひとりが退学を考えているし、入学しても費用がないということになってしまいます。高齢者も「外に出るな」といわれたことで歩けなくなってしまう。歩くということの大切さは認識していただいたと思いますけれども、それがひとつの健康維持になる。歩けないと足腰が弱ってしまう。こういったように日本で求められていること、政府がやるべきとされていることはたくさんあります。

この中で憲法を変えなければできないことって何ですかね。全部法律で対応できると思います。法律すら必要ないかもしれない。憲法改正によって緊急事態条項を導入しなければ解決できない問題があるのであれば、それを挙げてもらうことが必要です。古い話になりますけれども、亡くなられた佐々淳行さん、テレビなどで危機管理のプロだと言っていた方です。彼は憲法を変えろということをさんざん言っていましたが、何が具体的な対策として求められているかというと「ヘリコプターを買え」ということしか言っていない。ヘリコプターを買うのに憲法を変えなければいけないのか。

東日本大震災のときに瓦礫がたくさん出てくる。その瓦礫を処分するのは憲法29条の財産権の侵害になる。このために緊急事態条項が必要だということをもっともらしく言うけれども、これだって法律で対応できます。29条3項には「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる」という規定があるわけですから法律をつくれば対応できるんです。ですから憲法を変えなければ対応できないなんていう話はありません。憲法を変えるべきだというのであれば、一体何が憲法を変えなければだめなのかということをまず挙げてもらうことが必要だと思います。

安倍自公政権のコロナ対策は適切か

いまコロナの政策で世論調査の統計を取っても、日本政府が十分対応できていると答える人はあまりいないと思います。これは憲法のせいなのか。マスクについて菅官房長官は2月12日に何と言ったか。「来週以降には増産体制が整う。マスク不足はすぐにでも解消できる」と発言をしました。やっぱりほら吹きですよね。私は彼が信用できないと思ったのは第1次安倍内閣のときからです。彼は総務大臣で、NHKに対しても干渉すべきだと言ったんですよ。安保法制のときに何と言ったのか。長谷部恭男早稲田大学教授などが自民党から推薦されながら、集団的自衛権行使は憲法違反だと言ったときに、菅官房長官は「安保法制や集団的自衛権行使が憲法違反じゃないと言っている憲法学者はいっぱいいる」と言ったんですよ。憲法学会の誰の発言だろうと思って、「たくさん?」と思ったら3人なんですね。そしたら「数じゃない」と言い出す。ですからあの人はほら吹きだ。メディアなどが取り上げてさも慎重な人だみたいなことを言っていますけれども、安倍首相と一緒で根拠のないことを平気で言う人なんですね。マスクが安くなったのはアベノマスクが出回ったからだ、というような言い方をしています。

安倍首相も同じようなことを言っています。でも結局5月25日、緊急事態宣言が解除された段階でも8割近くにアベノマスクは届いていない。結局は260億円くらいと言われていますが、当初は466億円と言われていました。しかも1世帯2枚で、3人家族では対応できない。これが本当に合理的な政策だと思っていたのかどうか。マスクを配るのが当たり前だとしても私たちの税金という意味で本当に260億円を使う価値があるのかどうか、そこをちゃんと考えないといけないと思います。

これに使うのであれば人工呼吸器あるいはお金に困っている学生などの支援に使った方がいいのではないか。こういったことは経済学者じゃなくても考えつくことです。タレントのデヴィ夫人なども、マスクの発注額は90億円なのに、「その差額、376億円はいずこへ?」と述べた上で、「このようなコロナウィルスの脅威にまで、利権をむさぼる政治家、行政、商社関係者達、天罰下るべき!!」といっています。安倍首相のことをかばうわけではないですが、ちゃんと説明すれば納得すると思うんですよね。ドイツやフランスの首相とか大統領のことを紹介したのは、彼ら彼女らは一生懸命国民のために訴えているから従うのでしょう。このアベノマスクにしてもどこの企業に発注したのかも説明しない。やっぱり説明責任を果たしていないという意味でも、マスクが配れないのは憲法のせいでも何でもない、政治の問題だと思います。

定額給付金も、用紙が私のところに届いたのは一昨日です。安倍自公政権のコロナ対策が遅くて不適切なのは憲法どころか法律のせいですらない。ロイターの2020年2月25日付けでは、「Where’s Abe?(安倍さんはどこにいるの?)」という皮肉が掲載されました。要するに何もやっていないだろうと外国から批判されています。このときはオリンピックをやりたいということで積極的な対応を取らなかった。コロナ感染者がたくさんいることになると東京ではできないという議論になってしまいます。それは怖いということで後手後手の対応になってしまった。その結果がこのニュースです。これに関しては小池さんも同罪だと思います。実際に自分達の対応が適切でない、早くもないことを棚に上げて、その責任を憲法のせいにするのは責任転嫁だと思います。ここはしっかり訴えていく必要があると思います。

よく憲法学者は憲法が大切だと憲法をお経のように唱えている、だから変えたくないんだろうという言い方をされます。私の先輩の愛敬浩二さんなどとも話しますけれど、憲法を変えてはいけないなんて思っていません。必要なら変えればいいんです。ただ安倍さんたちのような変え方をしたらとんでもないことになる、だから変えないということが、多くの憲法学者の意見です。天皇制をなくせというなら私は喜んで賛成します。あるいは刑事手続きに関して、もっと被疑者の権利保障は喜んでやるべきだと思います。今のとんでもないえん罪のことを考えれば、国選弁護を憲法上認めるとかそういう憲法改正はあっていいと思います。ですから憲法をいじってはいけないなんていうことはまったく考えていませんけれども、こういう緊急事態条項を入れましょうとか、憲法9条を変えて世界中で戦える国づくりをしましょうとか、こういうことを言うから反対しましょうということになる。そもそもコロナに関して対応できないのは憲法のせいではなく、政府の対応のまずさだということを訴えていく必要があると思います。

全く別物の「緊急事態宣言」と「緊急事態条項」導入

緊急事態条項に関する改憲論については、やはり注意する必要があると思います。いまの法律に基づいて緊急事態宣言が出されましたけれども、これに対しては世論でも賛成の人は多いと思いますね。この緊急事態宣言と緊急事態条項は同じなんだと、世論を誘導しようとしている節が見られます。けれども、それはまったく別物だということも私たちは主張していくことが必要だと思います。

どう違うのか。5月26日までなされた特措法に基づく緊急事態宣言では、あくまで警察あるいは総理大臣ができることは憲法の枠内です。一方、緊急事態条項は国家緊急権と呼ばれるものを憲法に書き込むことです。緊急事態宣言が出されたときに、私は警察がどういう動きをするのか非常に警戒していました。もしかしたら根拠のない身体拘束とか事実上の強制力を及ぼすのではないかと。あれができなかったのは、やっぱり憲法上の緊急事態条項ではないからです。

災害対策基本法というものがあって、それに基づいて指示や要請が出た場合、行政法的には警察はつかまえてもいいということになっています。レッカー車の移動とか、駐車違反の自転車の撤去のように、人に関しても「そこにいるな」という指示を出して、従わない場合に警察は身体拘束をして動かしてもいいということにはなっています。それに近いことをやるのではないかと思っていました。特に特措法45条に基づく指示や要請を出したときに。でも大阪府警のようなところでもどうしていいかわからないと言っていたということは、やはり憲法の規範が生きていたからだと思います。

憲法で言いますと、「奴隷的拘束及び苦役からの自由」ということが18条にあります。むやみやたらに警察官が身体拘束をしてはいけないということが憲法の規定にあります。あるいは31条の「適正手続主義」。もちろん警察官が逮捕するようなことはあるでしょう。あるいは身体拘束ということもあるでしょうが、そうであっても人権を守りながらやりなさいということが、31条の要請です。あるいは「残虐な刑罰の禁止」、36条です。殴ったりしてはいけないということも含まれます。むやみやたらに捕まえたり、どこかに強制的に移動したりしてはいけない。憲法33条、35条の「令状主義」では、警察官がやってはいけないことがたくさん書かれています。ですから特措法に基づいて何かされたとしても、この規定は生きてきます。改定特措法には土地や建物を取り上げてもいいと書いていますけれども、この場合でも憲法より下ですから29条3項に基づいてお金は払わなければいけないことになります。あるいは政府の批判や出版を禁止するということなども、憲法21条を根拠に許されないということになります。特措法上はそうなります。

しかし憲法上の緊急事態条項だとどうなるかというと、コロナが感染している、だからコロナを感染させないということを口実に、警察官がつかまえてどこかに連れて行ってしまうということが憲法上許されることになってしまいます。土地とか家屋を強制的に取り上げたとしても、非常事態だからということでお金を払わなくてもいいということになる可能性が出てきます。法律の下で行われる非常事態というのは、あくまでも憲法に従ってやらなければいけない。憲法29条3項では、もし個人の財産または土地を取り上げたりしたときには補償しなさいと書かれていますので、法律でやる場合はこれを補償しなかればいけないんです。しかし緊急事態条項は憲法を守らなくていいという規定ですから、土地などを取り上げても憲法違反にならない可能性が出てきます。内閣あるいは警察官などが憲法を守らなくていいというのが緊急事態条項ですから、政府を批判したら捕まえてしまう、あるいはそういった集会を許さないということも憲法上許される可能性があります。

アルジェリア危機への国家緊急権の発動

フランスの例を挙げますが、1961年にアルジェリア危機を名目にしてフランスで国家緊急権が発動されました。1961年ですから、1945年の第2次世界大戦のあとで、フランスでアルジェリア独立を巡ってパリが占領されるという事態も起こりそうになったということで、ときの大統領であったド・ゴールが憲法16条に基づいて緊急事態を発動していろいろなことをしました。そのときに何が行われたかというと、警察官に少なくとも48人が殴り殺されています。第2次世界大戦以降です。そのフランスの公文書を見ますと、水攻めとか拷問ということが出てきます。少なくとも48人ですからもっといるかもしれません。確かに反乱が起こりそうになったけれども、反乱自体は4日間で収束されている。

でも結局緊急事態はその後2年間続けられています。テロが起こるかもしれないという口実です。政府批判の出版も許されないということも2年間続いています。私が一番目を疑ったのは、本人が出席していない状況で死刑判決が出されている。その死刑判決が無効になったのは1980年代です。1961年に起きた緊急事態の発動によって、本人が出席しない状況で死刑判決が出されている。20年近くその死刑判決は有効だった。憲法上緊急事態宣言が発動されるとこういったことが起こります。「人権」というものが生まれた国フランスでさえもこういったことが起こる。第2次世界大戦が終わって人権を大切にしなければいけないということが国際的に広がっているはずにもかかわらず、こういうことが起こり得るんですよね。

ヴァイマール共和国の実例

今度はドイツの例を紹介します。ヴァイマール憲法の緊急事態条項は1919年から1933年まで250回以上発動されます。ヒトラーが250回発動したわけではなく、ヴァイマール共和国の時代に250回発動されています。初代大統領エーベルト、1925年まで大統領でしたが、彼のときに反乱とか暗殺が横行します。ヴァイマール共和国が生き延びられなかった理由のひとつに、優れた指導者がいなかったということがいわれます。なぜ優れた指導者がいないのかというと、暗殺が多かったんですね。暗殺が起こるたびに緊急事態条項が発動されて、犯人の取り締まりなどをやった。ヒトラーも1923年に反乱を起こしています。その反乱の対応のためにも緊急事態条項が発動されています。初代大統領のエーベルトの時代の緊急事態条項の発動は、やむを得なかったのではないかという議論の方が恐らく多いと思います。

日本でも緊急事態条項は必要だという人もいるかもしれませんけれども、これが悪用されたらどうなるのかということです。初代大統領エーベルトが亡くなってヒンデンブルクが2代目大統領になります。ヒンデンブルクは元軍人です。あまり政治に関心がなく、総理大臣に勝手に政治をやれといいます。1932年に総理大臣になったパーペンとか、1933年に総理大臣になったヒトラーみたいにとんでもない人が出てくると悪用されます。緊急事態宣言は大統領が出すもで、総理大臣が「どうしますか」と持ってくる。それに対してだめならだめだとはねつければよかったけれども、ヒンデンブルクは元軍人で政治に関心がなかったので、「好きにしろ」ということでどんどん発動してしまった。それでパーペンという人が悪用する。プロイセンというところが当時のドイツの5分の3を占めるところでしたが、そこの総理大臣を緊急事態条項でつぶしてしまったんですね。例えば、東京都知事を緊急事態条項でクビにして東京都の役所を全部軍隊で占領するようなことをやりました。これで地方自治が破壊されてしまった。ですからナチス独裁の前段階とドイツではいわれています。

そのあとヒトラーが何をやったかというと共産党、社民党、労働組合を徹底的に弾圧します。ヒトラーが総理大臣になったのが1933年1月で、その年の秋までに10万人をつかまえてしまいます。つかまえた理由が「精神的におかしい」ということです。ですから収容所に送って「教育」しなければいけないと、保護検束をします。あるいはヒトラーに背く人たちをつかまえてしまう。さらに1933年3月23日、授権法と呼ばれるヒトラーが法律をつくって適用できるようにする。何でもできますよね。「私の目を見たものを死刑にする」、法律をつくって適用してしまう。これが全権委任法、授権法といわれるもので、そういうものをヒトラーはつくってしまいます。それ以降、法律もサインは大臣がしなくなります。ヒトラーだけです。ヒトラーだけが法律を作れてしまうものですから、法律の数が増えます。そういうことによって緊急事態条項が悪用されて、もっとも民主的、もっとも進歩的といわれたヴァイマール共和国はたった14年間で終わってしまいます。

女性の選挙権はスイスは1971年です。フランスだって1946年です。ヴァイマール共和国では1919年に、男女平等だと憲法に書いたわけです。実際にそれが適用されたかどうかはともかく、そういった進歩的な内容を持っていました。大統領というのもヴァイマール共和国のもとでは直接選んでいました。もっとも民主的、もっとも進歩的といわれたヴァイマール共和国がたった14年間で幕を閉じたのは、この緊急事態条項が原因です。緊急事態条項が自然災害に必要だという議論もよく聞くけれども、万が一悪用されたときは逆にとんでもないことになる。こういう危険性があるということはしっかり認識していただくことが必要だと思います。

「緊急事態における国会機能の確保」を口実にする改憲論

先ほど新藤義孝さんの話を紹介しましたが、コロナの拡大によって国会議員がたくさん感染してしまう。3分の1以上が出席できないような状況になってしまうかもしれない。そのために憲法上何らかの対策が必要ではないか。もしかしたらコロナの感染が大変な状況になって来年10月21日の衆議院選挙ができないかもしれないから、延長するなりの規定を作った方がいいのではないか、ということを主張していました。今もホームページで紹介していたと思います。

コロナ感染で定足数が満たせない、3分の1を満たせない場合を想定しての憲法改正の論議についてです。さきほど私のパソコンに映っていたのは授業で使っているTeamsというものです。あるいは弁護士さんたちとの打ち合わせではZOOMを使うことが多いですが、別に憲法には「その場にいろ」ということは書いていません。もちろんこれを原則にしてはまずいと思います。やっぱりTeamsやZOOMではちゃんと話しきれないところがあるので、基本的には現場にいることが原則ですけれども、例外的な状況に限ってZOOMやTeamsを使ってはいけないということは憲法的には書かれていません。ですから公職選挙法とかそういうもので、臨時的な措置をとればいい。ヨーロッパ議会では、暫定的な措置として7月31日までRemote Voting(遠距離投票)、ZOOMでのやりとりをしましょうということになっています。

EU議会の資料を見ると各国の取り組みも紹介されていて、スペインではもっと前からやっています。下院では議院規則の82条、上院では92条を根拠にして、妊娠している女性や重大な病気を持っている人については、リモート投票を認めるということが行われています。確かに原則はやっぱり現場にいることが大切だと思いますけれども、緊急的な場合にこれをしてはいけないということは憲法に書かれていないと思います。むしろ憲法58条では何を「出席」と見なすかは、多くの議員が議論に十分に参加し、採決できる状況にあるという範囲内で一定程度、各議院の裁量が認められていますので、例外的な場合にやむを得ないかたちでこういったことを設けることは憲法上違反とはされないと思います。ですからこの問題も別に憲法をいじる必要はない。この3分の1という要件に関しても、いろいろな対応の仕方があります。これも憲法を変えなくても対応できるということは紹介したいと思います。

コロナ感染で投票ができない場合を想定した改憲論

次に、憲法45条で衆議院の任期は4年間になっていて、46条で参議院の任期は6年になっています。万が一、4年目や6年目にコロナの感染で投票ができないことを考えて、憲法を変えることを議論した方がいいのではないかと新藤さんは言っています。しかし自民党や公明党の議員に聞いてみたいのですが、オリンピック、パラリンピックはあきらめたんでしょうか。そんな状況だったら当然できないですよね。もしこの議論が必要だったらという話ですけれども、そうであればオリンピック、パラリンピックは無しになると思います。それでいいのであれば、その議論をしてもいいとは思います。

でもこれも今日の講座だって距離を取って対応できていますし、今はスーパーなどでも距離の確保などは普通に行われているわけですから、やり方を変えればいくらでもできます。投票所などでの投票者間の距離の確保、期日前投票の期間を長くするなどの対策を公職選挙法などで決めれば良いだけです。公職選挙法すら変える必要はないかもしれない。その場の運用で済んでしまう話かもしれません。例え法律を変える必要はあったとしても憲法を変える必要はまったくない。新藤さんにすれば、こういう議論を打ち出せば乗ってこざるを得ないと思ったのでしょうが、こうやって簡単に返せる議論なんですね。実は、新藤さんのおじいさんは硫黄島の戦いでアメリカ軍に恐れられた栗林中将です。栗林中将は合理的な作戦を考えてアメリカ軍を苦しめたということで、アメリカでも評価が高いですね。彼の中にあったのは、日本の官僚化した固定観念に縛られた考え、それに対するアンチテーゼとしてある程度合理的な作戦をとったのだと思います。そのお孫さんがこのレベルですかね。おじいさんは泣いているんじゃないかと思います。

こういったように憲法を変えろという議論を大きく分けますと、コロナ対策の関係で緊急事態条項を導入しろということ、あるいは国会もコロナ感染のために国会議員が3分の2以上病気になってしまうかもしれない、選挙ができないかもしれない、こういう議論に対しては憲法改正は必要ないということを紹介させていただきます。

改正特措法の何が問題なのか

改正特措法に関しては何が問題なのか。根本的な問題点として、メディアでいわれているのは罰則や強制力がないということがあります。よく取り上げられていたのは休業要請に従わないパチンコ店がありました。これらを例に挙げた上で、やはり強制措置がないからだ、休業要請に従わない企業に対しては罰則を設けるべきではないか。これは安倍首相も国会で言っています。 感染症の拡大を防ぐという目的から、外出の自粛や休業要請、これに違反した人や企業に対して罰則を設けることは、憲法的にはもちろんできます。やろうと思えばできます。

憲法学者によっていろいろな議論があると思いますが。ここでは2つ挙げたいと思います。例えば憲法25条2項「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」――「公衆衛生」という言葉があります。やはり感染症の拡大を防ぐ、公衆衛生を守るために外出を禁止するということ自体が憲法違反になるということは、憲法上は言えないと思います。あるいは憲法13条には「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」。感染症を防ぐという「公共の福祉」の観点から外出は自粛してください、守らないと罰則を設けますということは憲法上可能です。ただもしそれをやるのであれば生活保障、休業補償も公権力の法的義務として入れるべきだと思います。

パチンコ屋さんとか居酒屋さん―さきほどの安倍首相のパートナーは違いますよ―、生きるために仕方なくやっている人はいますね。ですからただ法律違反だ、悪質だと言える性格のものかというと、生きるためにやむを得なくやったという人もたくさんいると思います。その人たちに対して、「悪人だ、だから罰則を設ける」というのは憲法上やりすぎだと思います。ですから罰則を伴う、そうやって感染症を防ぐということは憲法上やむを得ないこともあると思います。それをやるのであれば、憲法25条1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する」を根拠にして、ちゃんとした補償をすべきです。これが無くて罰則だけ設けるということであれば、それこそ憲法違反だということも場合によっては言わざるを得なくなるかもしれません。「お金は払いません、ただし働くな、働いたから罰則だ」、そういうことになりますよね。

これも聞き慣れない言葉かもしれませんが、「生存権の自由主義的側面」ということです。憲法25条の生存権についてですが、どうしても自力で生活できない方は出てきます。失業などで働けなくなってしまった、本人のせいではないにもかかわらず働けない状況が出てくる。そういう人に対しては、国あるいは自治体がちゃんと健康で文化的な最低限な生活を補償しなさい。それができければそれに見合うような法律をつくって、場合によっては裁判で争うことができる。これがいわゆる「生存権」だと一般的に言われていたと思います。生存権裁判と言われた朝日訴訟や堀木訴訟はじめ、いろいろありましたけれども、それは生存権の社会的側面です。

憲法25条にはその前提の自由権的な側面があります。それは何かというと、「生命や最低限度の生活を国や自治体に侵害されない権利」、「生きることを奪ってはいけない」ということがあります。例えば生活できないほどの高い税金を課してみたり、生命そのものを奪うということは、憲法25条1項の自由権的側面を侵害するもので憲法違反だとされています。「お前ら働くな、ただし補償もしない」ということであれば、そもそも生きること自体を否定することにつながりかねない。公衆衛生の観点から外出するな、営業するな、それに違反したら罰則だということは可能ですけれども、それをやる以上はそれに見合うだけの休業補償であったり生活保障を法的にやらなければ、憲法違反になる可能性があるということです。どうもこの頃のメディアは、産経とか読売のような保守的なメディアだけではなくて、リベラルなメディアでも罰則を付けろということを主張する人たちもいるようですが、この議論は抜けていると思います。

フランスの例を挙げます。先ほど3月23日に公衆衛生緊急事態法ができたと紹介しました。その2日後に「オルドナンス」、行政立法でこういう特別な補償を迅速にやっています。これだけではなくてたくさんあります。障がい者の方、生活困窮者のための社会保障の権利の行使、給付期間の延長、申請手続きの簡素化などです。ドイツもそうですが、本来ならば書類はちゃんと書かなければいけないけれども、とりあえず書類はあとでいいから簡単に出せということをやっています。オルドナンス317号で、「国、自治体、企業による『連帯基金』の創設、財政的危機にある企業・個人事業主への資金援助」、322号「病欠者に対する追加手当の支給、大賞従業員の拡大等」、324号「失業手当の支援機関の延長等」などがあります。

あるいは3月27日の346号のデクレも行政立法のひとつですが、それとあわせて「企業は従業員に額面給与の70%の支払い、企業が従業員に支払った額は6927ユーロまで全額国が補助。」ということを公衆衛生緊急事態法ができてから4日後にフランスはやっています。フランスではこうして迅速に手続きが取られています。フランスでは罰則がある、ドイツでも罰則があると言われています。フランスでは罰則がきついということは確かです。しかしこういった補償があるということも紹介しないとバランスを欠くのではないかと思います。

緊急事態宣言の要件があいまい

では、今年3月に変えられた改正特措法の問題ですが、緊急事態宣言の要件があいまいだということが挙げられると思います。読み上げますけれども、「①新型インフルエンザ等(国民の生命及び健康に著しく重大な被害を与える恐れがあるものとして政令で定める要件に該当するものに限る)が国内で発生(改正特措法32条1項前段)、②当該疾病の全国的かつ急速なまん延により国民生活および国民経済に甚大な影響を及ぼす恐れがあるものとして、政令で定める要件に該当する事態(改正特措法32条1項後段)」、この2つの要件が満たされた際、首相は「新型インフルエンザ等緊急事態」を認定できる(法32条1項)。要するに新型インフルエンザが広がっている、国民経済が悪くなるかもしれない、こういうことが首相の判断ひとつでどうにでも変えられてしまう、そのあいまいさが残ると思います。

もうひとつ言うと、特にドイツの例を挙げたいと思います。法的には大統領、実際には総理大臣――行政権が緊急事態を認定したことが、とんでもないことになった。ということで今ドイツでは連邦議会が認定することになっています。日本ではこれが総理大臣の一存でできてしまう。立憲民主党なども国会を関与させろということをいっていますけれども、結局国会の事前の報告だけで済んでしまっている。ドイツ基本法の115条では緊急事態、ドイツが攻撃されそうになったときには連邦議会が認定します。総理大臣ではなくて大統領に権限を移すことになっています。総理大臣に好き勝手にやらせないということがドイツの規定になっていますね。この規定はいまも生きています。新型コロナウィルスであってもメルケル首相が何でもできるというのは危険だということで、あくまでも連邦議会と州政府がやることになっています。こうやって国会の関与が強くなっています。

フランスについては、今回驚いたことがあります。立憲民主党の国会議員の人たちと話すということで、5月29日に話しました。その前に資料をつくろうと法律家の弁護士の人たちと準備して、私が5月10日くらいに送りました。翌日フランスの新聞を見たら、憲法院が公衆衛生緊急事態法は憲法違反だという判決を出したことが大きく載っていたんですよ。ですから資料は作り直しです。裁判所が国会のつくった法律は憲法違反だと判断した。緊急事態だからいいなんて判断はしていない。

憲法裁判所だけではなくて、フランスでは行政裁判所というものがあります。行政裁判所の最高裁判所「コンセイユ・デタ」が次のような判決を出しました。ひとつ目は4月29日に「国が亡命者の登録受付を実施しないのは、『亡命権』に対する重大かつ明白な法行為」として、内務大臣などに5日以内などの条件で亡命者リストへの登録受付の再開等を命令。」で、行政裁判所が内務大臣に命令していますね。

ふたつ目は翌日ですが、「自転車を利用するということは往来の自由、権利のひとつだ」「確かに移動は制限されるけれどもどういった場合に移動してはいけないかということを明確にしていない。だから自転車での移動は認められるということを国は大々的に宣伝しろ」、こういうことも国に対して行政裁判所が命令しています。内閣総理大臣がやっているからいいのだと裁判所は言っていませんね。国がやっていることに対しても、裁判所は人権侵害だということで救済しようとしている。ですから外国の例で言うと、何でも人権を制限しているという議論ではとらえ方として正確ではないと思います。不当な人権侵害に対しては裁判所が介入して、認めないという立場がフランスではとられています。日本でも緊急事態宣言だから一律に外出禁止だなどということは認められていないんです。これがフランスの行政裁判所の判決です。

特措法は「国会」「裁判所」の統制なし

今度は憲法院ですが、全部が憲法違反だとしたわけではありません。やはり外出禁止はやむを得ない側面もあるだろう、個人の生命を守るということは国の役割ですから、外出を自粛させるということは憲法上、政府の提言としては許される。ただ12日間監禁した人に対して裁判所による救済がないのは問題だ。裁判所による救済があるということを前提に、その規定は合憲だとする規定があります。これがフランスで言う合憲限定解釈といわれるものです。法律をそのまま適用したら憲法違反だ。ただ12日間一切外出できないということを認めることはできない。裁判所による権利救済が認められるのであればその規定は良しとする。これが1点目です。

2点目は、この人は感染したかもしれないという個人情報をソーシャルワーカーに渡すのは憲法違反だという判断をしています。もちろん病気にかかった人の情報を医療関係者が持つのはやむを得ない側面はあるでしょう。しかし病気にかかったという個人情報、プライバシーの権利に関わることを誰に対しても渡すことはやり過ぎだ。そこで一定の枠を引いてソーシャルワーカーに渡すのは憲法違反だという判決を憲法院は出しています。これにしたがって法律は書き換えられています。このように行政裁判所、「コンセイユ・デタ」とか憲法院という憲法裁判所が関与しています。

もともと公衆衛生緊急事態法は3月23日につくられました。それを2ヶ月延ばすと5月23日です。それをさらに2ヶ月延ばすと7月23日 になります。日本の新聞ですと5月3日くらいに、公衆衛生緊急事態法は7月23日まで延ばされると書いてありました。しかし5月3日から4日の間に国会で議論があって、それは長すぎると7月10日に変えられています。政府が出したから何でもいいとはなっていません。むしろ国会は、これはまずいといろいろ変えています。憲法裁判所で憲法違反だと判決を出したことによって、政府が出した法律からさらに内容が変わっています。フランスやドイツでは国会あるいは裁判所の関与があることによって、政府がコロナ対策だから何をやってもいいというようにはなっていません。むしろ権利・自由を守るために行政裁判所などが関与すべきだということがフランスやドイツの議論です。こういうところも日本は少し学ぶべきだと思います。

1789年「フランス人権宣言」を憲法院の規範に

今言った憲法院の判決ですが、フランスでは1789年の「人及び市民の諸権利に関する宣言」いわゆる「人権宣言」と言われるものですが、これが裁判規範になっています。この2条、4条、14条を持ち出して、フランスというのは人権を守る国なのだということを憲法院は言っています。1789年の規定が裁判規範の規定になっているんです。つまり、古くてもいいものはいいんです。安倍首相などの自民党の政治家は「新しい時代に新しい憲法」という言い方をしていますけれども、古くてもいいものはいいんです。

もっというと彼らは「新しい時代の新しい憲法」といっていますが、内容は古いすよね。どうも大日本帝国憲法に戻そうとしているのではないかと。「男女平等はいけません」とか、本当に女性に受け入れられると思っているのでしょうか。私は2004年の論点整理などを見て本当にびっくりしました。「男女平等の規定は日本の価値からいって見直すべきだ」 とか堂々と言っているわけです。いま憲法14条で男女平等となっていますけれども、あれがおかしいから見直せといった場合「女性が上で男性が下」となるのか。恐らくならないですよね。ヴァイマール憲法だって1919年に男女平等を定めたのに、それ以前に戻そうとするわけです。

ですから「新しい時代の新しい憲法」と言っていながら古い時代に戻そうとしている。古くてもいいものはいいと思います。アメリカに押しつけられた憲法だと言いながら、彼らがやっているのはアメリカのためにたたかうという、アメリカの要請を憲法上で具体化することです。 彼らの憲法論議は本当にめちゃくちゃだということも紹介させていただきました。

いま政治がすべきことと私たちの行動

先ほどフランスのマクロン大統領の演説を学生に読ませたという話をしました。3月16日のテレビ演説でマクロン大統領は、「いま私たちが取り組んでいるのはコロナ対策だ。年金対策などもやっているけれども、こういったものはとりあえず置いておいて、まずはコロナに全力を尽くすべきだ」と言っています。それはそうだと思いますよね。ところが安倍首相や自民党、公明党がやろうとしていることは何なのか。検察庁法を変えようとしている。種苗法を変えようとしている。国民が気がつかないだろうと思ってどさくさに紛れてこういうことをやろうとしているのは、誰が見てもわかると思います。それだけではなくて憲法審査会を開いて何としてでも改憲手続き法、メディアの言い方だと国民投票法、これを変えようとしている。本来やるべきことは憲法改正だの改正検察庁法ではないはずです。必要だというのならばそれこそコロナが終わってからやればいいということです。

また、国会を軽視しています。10兆円の予備費、マスクの260億円だってどれだけちゃんと使われているのかという話です。GO TOキャンペーンだって首相自ら「ゴートー・キャンペーン」と言い間違えるくらいです。予備費を使わなければいけないということであっても、それならずっと国会を開いていれば良かった。民主党政権に対して安倍総理は「悪夢だ」と言っていますけれども、評価は別にして東日本大震災のときは8月まで国会をやっていました。枝野さんは目の下に隈をつくるくらい一生懸命やっていたと思います。一方の安倍首相はコーヒーを飲んでまったりしていた。そして6月17日で国会を閉めてしまう。やる気があるのかということになると思います。

今回の改憲論では自然災害に対応するとずっと言い続けていますけれども、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨、去年の千葉県の豪雨の被害もまだ復興していないことがテレビなどでも紹介されています。自然災害にも全然対応できていない。今年2月5日の段階で福島の避難者はまだ4万人以上います。政府が対応できていません。憲法改正のための国民投票について、総務省のホームページを見ればわかりますが、850億円かかります。この850億円を被災者のために使った方がよっぽどいいだろう。私も学生と接していて、お金がなくて大変だという学生がたくさんいます。大学を辞めなければならないといっている学生に対して、850億円をどう使うか、マスクに260億円使うのだったらもっと別の使い方があると思います。にもかかわらず、そういったことに使おうとしない。やっぱりこの政治のあり方に対して、大きく声を出していくべきだと思います。

失業者もリーマン超えになる可能性もある。失業者が増えると残念ながら自殺者も増えてしまう。特に今回は4万人以上になるという危険性を指摘した試算もあります。そうだとしたら検察庁法改正とか憲法改正なんていう議論よりやるべきことはたくさんあります。こういったことを主張していくべきです。

改憲勢力、自民党、公明党、維新の会が憲法審査会を開こうという動きがあるならば、今やるべきじゃないとしっかり言って、憲法審査会を開かせないように働きかけていくべきだと思います。

政治を動かす「世論」!

改正検察庁法のときに弁護士の方たちと一緒に立憲民主党などに対して、やめさせろということを言いましたけれども、最初は腰が重かったですね。でもツイッターの数が増えて世論が大きく変わったとき、立憲民主党は「私たちは初めから反対でした」というようになった。でもそこを責めてはいけないんですよね。やっぱり国民世論が変われば政治家も動きます。初めは腰が重いな、どうしようと頭を抱えたけれども、ツイッターデモが始まって、900万、1000万という数字になった途端、自分達は初めから反対だったと堂々と言うようになった。私たちの世論が政治の流れを変えることができてきたんだと思います。10万円の給付金だってそうです。安倍首相は、初めは渋っていたけれども、公明党などに押されて結局渋々やらざるを得なくなった。やっぱり芸能人などが目立つことが嫌みたいで、芸能人に対する攻撃があったと思います。

きゃりーぱみゅぱみゅさん、彼女などが叩かれたことにコメントをくれた学生がいます。「やっぱり政治に口出すとこういう目に遭うんだ。あまり関わらないようにしようということになってしまう」。そうやって政治に関心を持たせないようにすることが、ある種のネット右翼たちの戦略だと思います。ですから芸能人などの発言を擁護する、あるいは高田さんとか私にも「人間じゃない」とか書き込みをされます。そういった書き込みに対して反論は十分にすべきだと思います。今回、芸能人のツイッターなどを調べてみましたが、頭に来ているのはこの改正検察庁法だけではないなということは非常に感じました。「もうこれ以上は」とか、今まで我慢してきたけれども、という感じの表現が多いですよね。「もうこれ以上ひどい国にしないでくれ」と、いままでの政治もひどいと思っている人が多いと思います。むしろ憲法改正国民投票に近くなりそうな場合に、言うと叩かれるからやめようと思わせないために、そういう芸能人に私たちが「がんばれ」ということも非常に大切だと思います。

ある評論家がきゃりーぱみゅぱみゅさんに対して、「歌手だから知らないだろうけど」という書き方をしていました。その人は、私たち憲法学者が「憲法のことを知らないんだから黙っていろ」と言ったら黙るんでしょうか。彼が面白いなと思ったのは検察官も定年になって退職したら収入がなくなるじゃないかと言っていました。でも検察を辞めたって、だいたい公証人か弁護士になるんです。公証人になら年収3000万円ですよ。彼も現場を知らないわけです。でも知らない人がいうことは大切だと思うんです。いろいろな世代の人がいろいろなものの感じ方で言っていいでしょう。20代の女性が政治に対してこう思っている、それを封じたら民主主義は成り立ちません。そして国民主権の国家であれば、主権者である国民が言うということは当然の権利です。発言をするなということは主権者であることを辞めろということと等しい、そこを批判するべきだと思います。

フランス人権宣言の11条、1789年につくられましたが、公務員は国民に対してちゃんとした説明をしなければいけないという規定があるんですよね。もし国民が疑っているということになれば、きちんとした説明をするのは政治家の責任となるわけです。国民が納得できないような説明しかできない政治家こそ問題だということは、主権者であれば言うべきだと思います。そういった反論をしていくことが必要です。こういった集会も、SNSやいろいろなところで発信して主権者であれば当然言っていいんだ、あるいは緊急事態条項はこのままでいったら大変なことになると言っていきましょう。新藤さんは国会の機能がどうのこうのと言っているけれども、こういったものは法改正やあるいは運用でも大丈夫だということを広く訴えていく必要があると思います。

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