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2021-06-01

成嶋隆さん(新潟県憲法会議議長・新潟大学名誉教授)「〈土俵〉をゆがめてはならない!――「憲法改正国民投票法改正案」参院審議に向けての緊急意見書――」

2021年5月
新潟県憲法会議議長・新潟大学名誉教授 成嶋 隆

 本年5月11日、衆議院本会議において「日本国憲法の改正手続に関する法律」(いわゆる「国民投票法」)の改正法案が、立憲民主党の提案した修正案とともに可決され、参議院に送付されました。この動きは、国民の命と暮らしに深刻な危機をもたらしている新型コロナの感染拡大を「チャンス」(自民党・下村博文政調会長)ととらえ、まさにコロナ禍に便乗するかたちで改憲に突き進もうとするものであり、見過ごすことのできない重大な事態です。
 改憲=国の最高法規の改変という重要な問題が、いわば〈ドサクサ紛れ〉という異常なかたちで進められようとしている状況に、私たち市民はどのように立ち向かうべきかが問われています。そして、その対応策を見いだすためには、現在進行している改憲動向を、大局的な見地から的確に――学術会議任命拒否問題での菅首相の決まり文句を借りるならば「総合的、俯瞰的に」――読み解くことが求められます。
 本意見書は、緊迫の度を加えつつある改憲動向に対して私たちがとるべきアクションを模索するために、緊急に執筆したものです。考察が不十分であり、引用のしかたなども粗雑ですが、状況打開の一助となることを願って公表いたします。

  Ⅰ 憲法は〈疎ましい存在〉?

 立憲主義という見地からみた場合、戦後の日本政治には一つの〈異常〉があります。それは、「自主憲法の制定」(=憲法改正)を党是とする政党が長期にわたり政権を担い、その間、さまざまな改憲戦略を展開してきたことです。もともと憲法は、国民の人権を守るために公権力を拘束する最高規範であり、日本国憲法も99条で公務員の「憲法尊重擁護義務」を定めて、公権力担当者を拘束しています。その意味で、憲法は権力担当者にとっては〈疎ましい存在〉です。自民党の改憲戦略は、この〈疎ましい存在〉たる憲法それ自体を改変することによりその拘束を解除することをめざすものですが、そこには、後にみるように権力拘束規範としての憲法そのものを〈変質〉させるという狙いもひそんでいます。

  Ⅱ 〈安倍改憲〉――改憲の新段階

 自民党の改憲戦略が新展開をみせるのは、2006年に第一次安倍晋三内閣が発足してからです。「戦後レジーム(戦後体制)からの脱却」を唱え、現行憲法を「みっともない憲法」とこき下ろす安倍氏は、異常なまでに改憲に固執し、さまざまな改憲戦略をうちだしました。それらは、以下のように整理することができます。

 1 〈本丸〉としての明文改憲

 憲法改正の最終目標は、いうまでもなく明文改正、つまり憲法の条文そのものの改変であり、これが改憲の〈本丸〉です。自民党の改憲戦略における明文改正のテキストは、同党が2012年4月に公表した「日本国憲法改正草案」(以下、2012年案)であるとみてよいでしょう。この草案は、現行憲法のすべての条項に重大な改変を施すものであり、現行憲法を事実上〈廃棄〉するに等しい内容となっています。とくに重大な条項として、以下のものがあげられます。――

 (1)憲法尊重擁護義務規定

 現行憲法99条は「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員」に憲法尊重擁護義務を課していますが、2012年案102条は、1項で「全て国民は、この憲法を尊重しなければならない」とし、2項では「国会議員、裁判官その他の公務員」のみに憲法尊重擁護義務を課しています。ここには、①憲法を権力拘束規範から国民拘束規範に変質させている、②後述の天皇元首化とつじつまを合わせるかのように天皇の憲法尊重擁護義務を解除している、③内閣総理大臣を含む国務大臣の擁護義務も解除することにより、行政府による改憲提案を容易にしている、といった問題があります。

 (2)天皇元首化規定

 現行憲法1条(「天皇の地位・国民主権」)は、天皇を「日本国の象徴」「日本国民統合の象徴」としていますが、2012年案1条(「天皇」)は、ここに「天皇は、日本国の元首であり」という文言を付け加えています。これは、現行の「象徴天皇制」を戦前と同じ「元首天皇制」に変質させるものです。条文のタイトルから「国民主権」の語が削られたこと、天皇の行為について求められる内閣の「助言と承認」(現7条)が、内閣の「進言」(=上位の人に意見を申し上げること)に改められている(2012年案6条)ことなど、この改正案は、現行憲法の基本原理の一つである「国民主権」を、実質的に「天皇主権」に逆戻りさせるような内容となっています。

 (3)戦争放棄条項

 現行憲法は前文で平和主義の基本理念や「平和的生存権」をうたい、9条1項で戦争の放棄を、同2項で戦力の不保持・交戦権の否認を定めています。これに対し2012年案は、前文における平和主義の宣明を削除し、9条については、1項を現行規定のままとしつつ、2項を「前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない」に改め、さらに9条の2として、「内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する」との規定を付け加えています。戦争放棄条項の核心部分である2項の削除により、正真正銘の「戦力」である「国防軍」の保持を可能としたことなど、現行憲法の平和主義を全面否定するものです。(9条のおかれた第2章のタイトルが「戦争の放棄」から「安全保障」に変えられたことも示唆的です。) 

 2 〈からめ手作戦〉:解釈改憲

 解釈改憲とは、憲法条文を恣意的に解釈することにより、条文の本来の意味をねじ曲げ、事実上、明文改憲と同様の効果をもたらすという手法です。明文改憲という正面作戦を避け、〈からめ手〉から攻めるものといえます。その例は枚挙にいとまがありませんが、真っ先に思い浮かぶのは、安倍内閣が2014年7月に閣議決定というかたちで、〈憲法は集団的自衛権の行使を容認している〉との解釈をうちだした例です。この閣議決定が、結果的に2015年の安保法制の制定に道を開いたことに示されるように、ここには、国会によるチェックを受けない閣議決定が、国会における違憲立法の制定(次にいう〈外堀作戦〉)のきっかけとなるという構図がみてとれます。

 3 〈外堀作戦〉:違憲立法

 多くの国民の反対を押し切って成立させられた安保法制は、憲法の平和主義を蹂躙する違憲立法ですが、このような立法は、憲法理念を外側から侵食し、憲法の規範性を換骨奪胎する役割を果たします。その意味で、改憲戦略における〈外堀作戦〉ということができます。違憲立法についても多くの例がありますが、注意すべきことが三つあります。一つは、違憲立法が制定されると、それに〈違反〉する事態が改憲の新たな〈口実〉として利用されるという事情があることです。たとえば、前出の2012年案に国旗国歌条項(3条)がおかれたのは、1999年に国旗国歌法が制定されたにもかかわらず、教育現場などで国旗掲揚・国歌斉唱への抵抗が続いていることから、同法の規定を憲法規定に〈格上げ〉して国旗国歌への忠誠を強権的にとりつけようとの意図にもとづくものとみられます。第2は、違憲立法のなかには、改憲を〈先取り〉するものもあるということです。代表例は、第1次安倍政権が発足した2006年に断行された教育基本法(以下、教基法)の全面改正です。憲法施行の年である1947年に制定された(旧)教基法は、「準憲法」「憲法付属法」などと呼ばれたように現行憲法と一体関係にある法律でした。このことから同法は憲法とともに明文改正のターゲットとして位置づけられていました。しかも、同法が、占領下における制定という特異な出自から、憲法とともに〈押しつけ〉の烙印を押されていたことや、「基本法」の名称をもつものの法形式上は一般の法律と同格であるという事情もあったことから、〈改正しやすい教基法から〉という改憲戦略を導きました。2006年の教基法改正は、改憲への〈露払い〉ともいえるこの戦略が成功したことを意味します。この教基法改正は、前述のように改憲の〈先取り〉の意味をもちますが、それを象徴的に示すのが、改正教基法2条5号の「愛国心」条項です。「伝統と文化を尊重し、……我が国と郷土を愛する……態度を養う」ことを「教育の目標」とするこの規定は、いわば〈改憲後の国民像〉を先取り的に示すものといえるからです。違憲立法の第3の(そして、おそらく最大の)問題点としてあげられるのは、違憲立法により〈違憲の既成事実〉が作られ、その〈既成事実〉に合わせる方向で〈規範〉(=憲法)を改変するという力学が働くことです。本節のタイトルを〈外堀作戦〉としたのは、このような事情をふまえたものです。

 4 〈呼び水作戦〉:「改憲4項目」

 2017年の憲法記念日に安倍前首相がいわゆる「9条加憲論」をうちだしたことを一つのきっかけとして、自民党は、改憲機運を盛り上げることを期待して、2018年3月に「改憲4項目」と呼ばれる改憲メニューを提唱しました。いずれの項目も、欺瞞と矛盾に満ちたものですが、自民党がこれらを明文改憲への〈呼び水〉ないし〈露払い〉として位置づけていることはたしかです。以下、その問題点を検討したいと思います。

 (1)自衛隊の明記

 この改正提案は、安倍前首相の「9条加憲論」にもとづくものです。現行9条1・2項を残したうえで、9条の2として、「必要な自衛の措置」のための「実力組織」として「自衛隊を保持する」という条文を追加する案が有力視されています。
 この提案で問題となるのは、安倍前首相がこの案を提唱する際に次のように述べていたことです。――「多くの憲法学者や政党の中には自衛隊を違憲とする議論が今なお存在している。自衛隊の存在を憲法上にしっかりと位置づけ、『自衛隊が違憲かもしれない』などの議論が生まれる余地をなくすべきだ」、「自衛隊員たちに『君たちは憲法違反かもしれないが、何かあれば命を張ってくれ』と言うのはあまりにも無責任だ。」――この論法には少なくとも二つの問題点があります。一つは、「多くの憲法学者」の違憲の主張に耳を貸さずに安保法制の成立を強行した例のように学者や専門家の異論・反論を無視するのが〈アベ政治〉の常套手段であったところ、こと自衛隊の問題については、憲法学者の違憲論を引き合いに出して9条改正の理由?にしているということです。歴代自民党政権は、一貫して自衛隊を「合憲」だと公言してきましたし、安倍前首相自身も「(改憲案が)国民投票で否定されても(自衛隊が合憲であることは)変わらない」(2018年2月5日・衆院予算委員会)と述べています。このスタンスに立つならば、違憲論を突っぱねることでコトは済むはずです。にもかかわらず違憲論の存在を改憲の口実にしたのは、合憲論を主張した場合、自衛隊を憲法上〈認知〉するだけのために憲法を改正する理由がなくなるからです。もう一つの問題点は、自衛隊員の心情を一方的に決めつけ、もっぱら感情論に訴えようとしている点です。安倍前首相の論法は、平たくいえば、“今の9条のもとでは自衛隊はいわば日陰者的な存在であり、自衛隊員たちは「こんな憲法のもとではやってらんねえよ」という気持ちでいる。だから憲法のほうを変えなければならない”というものです。しかし、自衛隊員の心情が本当にこのようなものであるといえるのかは疑問です。ここで一つの参考となるのは、自衛官の養成機関である防衛大学校の卒業生のうち自衛官への任官を辞退する者の比率です。ここ10数年の推移をみると、自衛隊が海外の戦闘地域に派遣されるときや、集団的自衛権の名のもとに自衛隊が海外での戦争に関わる可能性が高まったときには辞退者が増え、逆に災害救援活動など国民の緊急のニーズに応える活動に従事する可能性が高まったときには辞退者が減るという事実があります。つまり、自衛隊員が望んでいるのは、安倍改憲が狙っているような、海外で武力を行使する〈普通の軍隊〉で人殺しに従事することではなく、9条のもとで厳格に歯止めをかけられた自衛隊で、真に国民の命や暮らしを守るための活動に従事することではないのか、ということです。数年前の朝日新聞の読者川柳欄に、「9条があって入った自衛隊」というのがありました。この句の投稿者がどのような属性の人なのかは不明ですが、自衛隊員の〈本音〉は、こういうことなのかもしれません。
 「自衛隊明記」提案について最後に指摘したいのは、「明記」されるべき自衛隊が、専守防衛を建前とする必要最小限度の実力組織ではなく、安保法制により集団的自衛権の行使を認められた〈フルスペック〉の軍事組織であるという点です。そのように変質した自衛隊を憲法上明記することは、裏を返せば、これまでは9条のもとで否認されてきた(はずの)集団的自衛権を前提とする安保法制という違憲立法を、憲法により〈認知〉する(合憲化する)ことをも意味します。〈安保法制廃止〉の主張がいちだんと困難になることは目に見えています。

 (2)緊急事態条項の創設

 緊急事態条項とは、戦争・内乱・大規模自然災害などの非常事態に際して、憲法秩序を一時停止し、内閣に権限を集中させたり国民の基本的人権を制限するなどしてこれに対処することを定める条項です。日本では、旧憲法(大日本帝国憲法)の緊急事態条項が濫用されたこともあって、現行憲法にはこの種の規定がありません。こうしたなか、大規模災害などが起こるたびに、緊急事態条項をもつべきだとの主張がなされ、それが改憲案に盛り込まれるという経緯があります。たとえば2012年案に盛り込まれた緊急事態条項(98・99条)は、前年の「東日本大震災における政府の対応の反省も踏まえて、緊急事態に対処するための仕組みを、憲法上明確にしました」(自民党『日本国憲法改正草案Q&A』)と説明されています。今般の改憲4項目中の緊急事態条項創設の提案も、2016年の熊本地震を受けてのものです。当時、内閣官房長官であった菅首相は、地震直後の記者会見で「今回のような大規模災害が発生した緊急時において、国民の安全を守るために国家や国民がどのような役割を果たすべきかを、憲法にどのように位置づけていくかということは極めて重く大切な課題と思っている」と発言しています。そして今また、新型コロナ禍が深刻化するなかで緊急事態条項論が噴出している感があります。この主張を最も明け透けに唱えるのは、改憲派の論客の一人である櫻井よし子氏の次の発言でしょう。――「私たちの国は特殊です。各国のように、強い措置を何もとれない、権利や自由を制限できない。」「なぜ、こうなっているかは法律をみればよく分かる。非常事態でも、総理も知事も命令する権限をもたない。それは憲法に由来している。」(2020年5月3日開催の改憲派「憲法フォーラム」での発言)
 以上の事例は、緊急事態条項の創設という改憲項目が、「惨事便乗型改憲」(水島朝穂・早稲田大学教授)を代表するものであることを如実に示しています。
 ここでは、緊急事態条項導入論の問題性について、直近の事例である新型コロナ禍問題に即して簡単に述べたいと思います。さしあたり、以下の諸点を指摘することができます。
――①現行憲法のもとでも、たとえば「公共の福祉」規定(12・13条など)を根拠として人権を制限することは可能であり、現に現行法の多くに社会の共同利益を守るための私権制限の規定がおかれています。新型コロナの感染拡大を招いたのは、むしろ現行法を適切に運用せず、対応が〈後手後手〉に回ったことが原因の一つであるといえます。②憲法のいかなる規定が新型コロナの感染拡大の防止を阻害しているのかが具体的に示されていません。櫻井発言のように危機から脱却できないことをすべて憲法のせいにするのは、悪質な〈印象操作〉にすぎません。③今回のコロナ禍では、憲法25条2項の「公衆衛生の向上及び増進」義務を国が怠り、国立感染研のスタッフ数や保健所数を削減したりしたことが医療の危機をもたらしたこと、また、憲法の保障する生存権(25条1項)、営業の自由(22条)、財産権(29条)などが軽視され、たとえば休業措置に対する損失補償が十分になされなかったことが事態を悪化させている一因であるといえます。④総じて、危機にあたっては、憲法とその拘束を受けた現行法により対処するのを原則とすべきです。緊急事態条項により憲法を〈一時停止〉し、罰則などの〈強権発動〉をもって対応することは、逆説的に危機対処の実効性を損ない、国家・社会の破局をもたらすことになるでしょう。

 (3)教育の充実

 この提言は、より具体的には高等教育および幼児教育・保育の無償化を提唱するものです。現行憲法は26条で「義務教育の無償」を定めていますが、この無償措置を義務教育以外にも拡げようという趣旨です。もっとも、自民党が示した条文案では、幼児・高等教育の無償化という文言はなく、「経済的理由によって教育上差別されない」といった文言がおかれているにすぎません。ここでは、この改憲項目を「教育の無償化・充実」と解したうえで、その欺瞞性や政略性を指摘したいと思います。――①まず、義務教育以外の教育の無償化は必ずしも改憲を必要とせず、現行憲法のもとで可能であるばかりか、国際人権規約や子どもの権利条約などに照らせば、むしろ憲法上および国際法上の要請であるということです。実際、2010年には時の民主党政権のもとで高校無償化が立法措置により実現しましたし、安倍政権のもとでも、内容的には多くの問題点を含むものの、「幼児教育・保育無償化法」および「高等教育無償化法」が制定されています。「教育の無償化・充実」のための改憲が不要であることは、これらの事実によって証明されています。②「教育の無償化・充実」提言が欺瞞的であることの第2の理由は、それが、教育無償化を含む教育条件整備について、歴代自民党政権が一貫して消極的ないし敵対的な姿勢をとってきたことを一切不問に付していることです。憲法・条約上の教育条件整備義務に背を向け、これを怠ってきたのは、ほかならぬ自民党政権でした。たとえば自民党政府は、国際人権規約の批准に際して、中等・高等教育の漸進的無償化を締約国に求める条項を、「財源確保の困難さ」などを理由に留保しました。また、高校無償化措置についても、政権に復帰した自民党は「効果がない」としてこれを廃止し、所得制限を伴う制度へと後退させました。③第3に、この提言が〈改憲ウイングの拡大〉という政治的思惑にもとづく、きわめて政略的なものであるということも指摘されねばなりません。もともと「教育無償化」という改憲メニューは、日本維新の会の「憲法改正原案」(2016年)が改憲項目の筆頭に掲げていたものです。一方、同案における9条改正は、改憲項目としては5番目に位置していました。この事情のもとでは、「9条改憲を最大の狙いとする自民党としては、このような日本維新の会を取り込み、9条改憲に積極的に賛同させるためには、日本維新の会が、改憲項目の第一にあげていた『教育の無償化』を自民党の重要な改憲項目とする必要があった」(山内敏弘・獨協大学名誉教授)との観察が成り立ちます。まさに、党利党略の極みといわねばなりません。

 (4)参議院の合区解消

 この提言は、「選挙区……その他両議院の議員の選挙に関する事項は、法律でこれを定める」とする憲法47条に、「参議院議員の……選挙について、広域の地方公共団体のそれぞれの区域を選挙区とする場合には、……各選挙区において少なくとも1人を選出すべきものとすることができる」との文言を付け加えるというものです。「合区」というのは参議院選挙における1票の格差を是正するために二つの都道府県を一つの選挙区とするもので、これによれば参議院に代表を送ることができない都道府県が生じるので、各都道府県から1人を選出可能にするというのが「合区解消」の趣旨です。これについては、「合区の解消には参議院選挙区の定数を増やしたり、選挙区選出をやめて比例代表に一本化するという方法もあり、必ずしも憲法改正による必要はない」(自民党改憲案に反対する憲法研究者声明、2018年4月)との指摘があてはまりますが、よりつぶさに検討していくと、「べつに憲法を変えるような話ではない」どころか、「憲法を変えると余計に悪い結果になってしまう」(本秀紀・名古屋大学教授)ことが明らかとなります。本教授は、このことを次のように解説しています。――「自民党の案は、参議院について、都道府県から改選ごとに少なくとも1人を選出可能にするという選挙制度をつくるんだとしました。そのように改憲すると、憲法にそう書いてあるので、合区はできなくなるわけですね。その結果、何が起こるかというと、当然一票の格差がさらに開いて、仮に以前最高裁によって『違憲状態』だと判断された程度に至っても、憲法で参議院議員に『都道府県代表』という性格づけが新たに与えられるので、『格差もやむなし』との可能性が高い。今でもなお、比較的人口の少ない地域で自民党は強いので、結果として、政権与党を利する改憲案となるでしょう。」(本「憲法をめぐる情勢と安倍改憲の問題点」法学セミナー2018年6月号21頁)
 5 改憲論議の〈土俵〉の歪曲
 以上、安倍改憲戦略について整理してきましたが、最後に、まさに今、問題化している改憲手続の改悪について検討します。この戦略は、改憲の是非が争われる〈土俵〉のルールをゆがめることにより、改憲の〈ハードルを下げる〉ことを狙うものです。
 改憲手続について定める憲法96条は、①各議院の総議員の三分の二以上の賛成による国会の発議と②国民投票における過半数の賛成という二つの手続要件を定めています。憲法改正について一般の法律の制定改廃の場合よりも厳しい要件を課しているのは、いうまでもなく現行憲法が硬性憲法(改正しにくい憲法)であるからです。国家権力を拘束して国民の人権を保障することを使命とする憲法が硬性憲法であることは、立憲主義に最も適合的なのです。
 安倍改憲戦略は、上記の手続要件のいずれについても改変を加えようとするものですが、その原型は、前出の2012年案100条に示されています。そこでは、①の国会の発議要件を、現行の「総議員の三分の二以上の賛成」から「総議員の過半数〔による議決〕」に変えるとともに、②の国民投票については、単なる「過半数」ではなく「有効投票の過半数」の賛成を承認要件としています。

 (1)96条先行改憲論

 自民党が政権を奪還した2012年12月の総選挙の翌日、安倍前首相は記者会見において改憲への意欲を述べるとともに、いわゆる「96条先行改憲論」を初めてうちだしました。これは、上記の2012年案における国会発議要件の変更(「三分の二以上」→「過半数」)を内容とする憲法改正を先行させようとするものです。前出の自民党『日本国憲法改正草案Q&A』は、その理由を「国民に提案される前の手続きを余りに厳格にするのは、国民が憲法について意思を表明する機会が狭められることになり」、「主権者である国民の意思を反映しないことになってしまう」と説明しています。安倍前首相は、この提案が幅広い国民の支持を得られるものとみていたようですが、提案自体が〈土俵のルール〉の改変を〈現在の土俵〉で争わなければならないというディレンマを抱えていたことや、その党利党略性があまりにも明白であったことなどから、96条改憲論は世論の支持を得ることができませんでした。しだいにトーンダウンし、2013年7月の参議院選挙でも政権与党はこれを選挙の争点とすることを断念しています。

 (2)国民投票法

 上記のように、96条先行改憲戦略はその拙速さゆえに挫折をみたわけですが、自民党はこれに代わる、より巧妙な改憲手続改変の手法を用意していました。それが、第1次安倍政権下の2007年に制定され、現在、その「改正」の是非が問われている国民投票法です。
 前にみたように、憲法96条自体は改憲手続を詳細には定めていません。このことは、手続の詳細が法律に委ねられていることを意味します。したがって、改憲の手続法として国民投票法を制定すること自体には問題がありません。問題はその内容です。
 国民投票法は、国会の発議および国民投票という憲法改正の二つのステージの双方につき具体的な手続を定める法律です。発議手続の定めにもいくつか重大な問題点がありますが、ここでは、国民投票の手続を定める部分について検討します。同法の制定当初から指摘されていた主な問題点は次のとおりです。――①最低投票率の規定の欠如、②承認要件としての「有効投票の過半数」、③公務員・「教員者」の国民投票運動の過剰な規制、④投票運動でのCM規制の欠如。
 これらのうち、①は、憲法改正国民投票が成立するために最低限必要な投票率が定められていないという問題です。極端な場合、投票率が有権者の1割程度であっても国民投票が成立してしまいます。②は、2012年案にも取り入れられたものですが、その問題点は、白票=消極的反対票が「無効票」として排除されてしまうところにあります。テレビCMで洪水のように流される改憲案の宣伝にうさん臭さを感じて白票にした有権者や、抗議の念からあえて白票を投じた有権者の意思は投票結果に反映されなくなります。③は、主権者国民の自由な意見表明が最も求められるべき憲法改正について、一部の有権者の言論・表現の自由が不当に侵害されることを意味します。とくに公務員は法令で「政治的行為」が禁止されていますので、まっとうな国民投票運動が「政治的行為」と決めつけられてしまい、罰則を科されるおそれがあります。最後に④は、たとえばテレビ・ラジオCMについていうと、投票日の15日前までは「憲法改正案に対し賛成又は反対の投票をし又はしないように勧誘する」CMは無制限に放送することができ、また投票日前2週間も「賛否を勧誘」しないCMならば投票日まで放送できることになっているという問題点です。この結果、多額の政党交付金を得るなどして潤沢な広告資金を用意できる自民党などの改憲派政党が広報戦略上、圧倒的に有利となります。改憲問題対策法律家6団体連絡会の声明(2021年4月20日)は、これを「金で改憲を買う」問題だとして厳しく批判しています。
 以上からすれば、この法律が定める憲法改正国民投票のありようは、一部の有権者が猿ぐつわをかまされ、改憲派がカネの力でメディアを支配するなかで国民投票運動が行われ、投票結果の判定においては実質的な反対票が葬り去られる、というものにならざるをえません。最高法規の改正の是非が争われる〈土俵〉である改憲手続は、憲法制定権者である国民の意思を正しく反映しうる公正なものでなければなりません。改憲の〈土俵〉をゆがめ、その公正を損ねる国民投票法は、この要請に真っ向から反するものです。

 (3)国民投票法「改正」問題

 冒頭に述べたように、現在、焦眉の課題として取り組まなければならないのは、国会で審議中の国民投票法の改正問題です。この改正は、2016年に数次にわたって改正された公職選挙法の諸項目(名簿の閲覧、在外名簿の登録、共通投票所、期日前投票、洋上投票、繰延投票、投票所への同伴)といわば〈平仄を合わせる〉かたちで現行法を改正するというもので、提案理由は「投票環境向上のための法整備」とされています。
 問題は、この改正案が、先にみた現行法の問題点を是正するものとなっていないどころか、現行法をさらに改悪する内容となっていることです。前出の法律家6団体連絡会の声明では、たとえば期日前投票時間の短縮や繰延投票期日の告示日の短縮などにより「投票環境が後退」する、洋上投票や在外投票に関する改正案の定めでは「投票できない国民が出てくる」といった問題点が指摘されています。要するに、このまま改正案を成立させると、改憲の〈土俵〉がより一層ゆがめられることになるのです。
 私たちは、得票率と議席率とが著しく乖離し、構造的に死票を生み出す小選挙区制によって、国民代表の選出に民意が正しく反映されず、国会に〈虚構の多数派〉が作られるという経験をとおして、選挙制度や(国民・住民)投票制度という民主主義の〈土俵〉がゆがめられたり、壊されたりすることがいかに危険なことであるかを思い知りました。この経験知をふまえるならば、私たちは〈土俵〉の歪曲の危険性にもっと敏感でなければならないでしょう。
 なお、改正法案の衆院での可決の際に、合わせて可決された立憲民主党の修正案は、有料広告のあり方などの問題について3年間検討するという趣旨の附則を盛り込んだものです。立憲民主党はこの修正による歯止め効果を期待して与党案に賛成しましたが、従来、違憲の疑いが濃厚な立法に付される「付帯決議」や「附則」の類が、多くの場合、結局反故にされ、違憲立法の歯止めにはならなかったことを想起するならば、この選択の是非は厳しく問われるでしょう。
 
  Ⅲ 〈安倍改憲〉を継承する〈菅改憲〉
 改憲問題は今、安倍政権の後を受けた菅政権のもとで展開しています。〈アベ政治〉を継承することを表明した菅首相は、今年5月3日の改憲派の憲法集会において国民投票法改正案を「憲法改正に関する議論を進める最初の一歩」と位置づけるなど、〈安倍改憲〉路線を引き継いで改憲を断行する意思を示しました。そして、この発言にみられるように〈菅改憲〉路線においても、〈土俵〉を歪曲して改憲のハードルを下げるという戦略の〈有効性〉が意識されているように思われます。
 菅首相の政治手法は、〈アベ政治〉のそれを継承するものですが、学術会議任命拒否問題や、現下のコロナ対応策などをみると、異論・反論を排除し、説明責任を果たさず、誤りを認めることもなく頑迷固陋に強権政治を推し進めるという政治手法は、〈アベ政治〉のそれよりも危険かもしれません。そのような菅政権のもとで、明文改憲という最終目標に向けた〈環境整備〉ともいうべき巧妙な戦略が着々とうちだされている今、私たちがとるべき選択は、「立憲主義の土俵を壊す安倍・菅政権が設定する『土俵』に乗るべきではない」(水島朝穂)ということではないでしょうか。

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