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2020-05-03

鈴木 眞澄(龍谷大学名誉教授)

コロナ、マスク、そして日本国憲法

マスク着用の習慣がない国の人間にとっては、マスク配布が政策の目玉になることなど余程信じられなかったようです。そのコロナ禍ですが、今回のような未曽有の事態に対処すべく憲法に一般的な緊急事態条項を設けるべきで、それを主権者国民の決定に委ねればよいという議論がまたぞろ出てきました。これに対しては既にいくつかの反論が出されていますが、ここでは、まず、一時的にせよ特定の権力者に国政一般を委ねるという緊急事態条項は、国民の自由保障を本質とする立憲主義憲法にとって自殺行為になりかねないことを指摘しておきます。その上で、現代の立憲主義憲法では、民主主義を尊重するのは当然ですが、権力者は勿論のこと、主権者国民といえどもオールマイティーではないということを考えてみます。近代の歴史上、主権者であるはずの国民はときに重大な判断の誤りをおかしてきました。例えばヴァイマル憲法は国民主権体制でしたが、同時に規定されていた国家緊急権条項(同48条2項)を濫用したヒトラーに対して、ドイツ国民が喝采で応えたという史実はよく知られています。つまり、主権者国民といえども間違うことがあるという前提で、立憲・民主主義憲法が作られています。今回のコロナ禍で言えば、国民の居住・移転の自由や営業の自由を制限するためには、日本国憲法が既に予定している公共の福祉(同22条1項)の範囲内で、勿論厳格な配慮が必要ですが、法律を作って対応すればよく、憲法に一般的な緊急事態条項を書き込む必要など全くないのです。「主権者国民」という言葉に惑わされてはいけません。

最後にマスク繋がりで締めくくります。日本はよく「顔の見えない国」だと言われますが、そうでしょうか。日本には緊急事態条項を持たず、第9条を持っている立憲・民主主義憲法があります。この日本国憲法こそ世界に誇るべき「日本の顔」に他なりません。コロナ禍には必要でもこの「日本の顔」にマスクは全く必要ありません。

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