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2020-05-02

成澤 孝人(信州大学教授)

新型コロナウイルス対策特別措置法上の「緊急事態宣言」下における憲法記念日によせて

4月28日に共同通信社がおこなった世論調査によると、「大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法改正し新設する案に賛成51%、反対47%だった」ということです。

 数字はかなり拮抗しています。しかし、もし、賛成した方々が、この案を、現在おこなわれている「新型コロナウイルス対策特別措置法」による「緊急事態宣言」と同じようなものだと考えていたのであれば、大きな間違いだといわなければなりません。現在おこなわれている「緊急事態宣言」は、憲法の上に書かれた「緊急事態宣言」と、性質が全く異なるからです。

 「内閣の権限を強め、個人の権利を制限でき」る憲法上の緊急事態宣言は、内閣が立法権も掌握するのが普通です。そうすると、内閣は、市民に対して、国会の制定する法律によらず、直接にさまざまな命令をすることができることになります。

それほどまでに強力な国家緊急権が憲法に書かれることがあるのは、人権を保障するための国家そのものが崩壊してしまっては人権保障もありえないという、真の意味で例外的な状況に対処するためです。つまり、国家緊急権とは、将来の人権を保障するために、現在の人権を制限して、国家崩壊の危険を乗り切ろうとするものです。ですので、よりはっきりいうならば、戦争や内乱という国家が崩壊する危険がある場合に発動されるための権限です。戦争を否定した日本の憲法は、そのような権限は、日本には必要ないと考えました。現実的に考えてみてください。現在の日本において、国家そのものが崩壊するような危険がどのくらいあるでしょうか。

 それでも「大規模災害時には強力なリーダーシップが必要だ」という意見があるでしょう。しかし、災害がおきたとき、中央政府はそれほど効果的に動けないものです。災害対策は、基本的には、被災した地域の行政が中心となっておこなったほうがうまくいくでしょう。

また、大規模災害時には、内閣がリーダーシップを発揮しなければならないという意見には、憲法に緊急事態条項を書かなくても、現行日本国憲法の下で、大規模災害時に内閣が強力なリーダーシップを発揮できるような法律を制定すればよい、と反論しておきます。現在の「新型コロナウイルス対策特別措置法」は、そういう法律の一種であり、現憲法の下で、より強力な法律を作ることも十分に可能です。もし、首相がリーダーシップを発揮していないようにみえるとすれば、それはご本人の問題であって、憲法の問題ではありません。

 日本では、人権を保障する国家の構築は、まだ道半ばです。憲法を変える議論をはじめるよりも、現行憲法下でしなければならないことがまだまだたくさんあるのではないですか?

まずは、新型コロナウィルスの克服を、政府も社会も目指さなければならないのではないでしょうか。そのために、まず、現行憲法を使い切ることが大事でしょう。生活困窮の問題も、休業補償の問題も、学生の学ぶ権利の問題も、日本国憲法を根拠にすることによって、政府に対して要求がしやすくなるはずです。その要求は、表現の自由を行使してなされるのです。

反対に、国家緊急権は、そのような要求を抑圧するために使用される危険性が高いのです。新型コロナが蔓延し、市民が苦しんでいるその時に、権力者が国家緊急権のための議論を始めようとするのは、悪い冗談でしかありません。

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