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2020-05-03

稲 正樹(元国際基督教大学)

憲法から見た新型コロナウィルス対策の問題点

 私からは、政権与党の新型コロナウィルス対策について、憲法からみた問題点をいくつか述べたいと思います

 第1に、憲法に基づく政治とは、国民の生命と暮らしを守り抜くという当たり前のことであり、それが余りにも蔑ろにされております。

 憲法13条は、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」と規定しています。新型コロナに対する法と政策の基本は、この国民の「生命権」を確保するものでなければなりません。

 生命権には、国家に対して生命についての侵害排除を求める不作為請求権だけではなくて、国家に対して生命の保護を請求する権利としての側面があります。後者には、憲法25条の健康で文化的な最低限度の生存の保障を国家に要求する権利いわゆる生存権と生命の侵害(の危険)からの保護を国家に要求する権利があります。

 憲法13条は、単に国家が国民の生命を侵害してはならないという意味だけではなくて、国民がその生命を第三者から侵害されようとした場合には、国家としてはそのような侵害(の危険)から国民を保護する責任を負っている。国民としてはそのような場合に国家の保護を求める権利があることを明らかにしています(詳しくは、山内敏弘『人権・主権・平和ー生命権からの省察』日本評論社、2003年を参照ください)。

 しかしながら、いま私たちが目の前にしているのは、PCR検査を受けたくても受けさせてもらえず、「軽症」患者を自宅に放置したまま、死ななくてもよい人々を死に至らせる政治です。

 医療現場への緊急支援体制に万全を期すことなく、第一線で働いている医療関係者や病院に裸で戦うに等しい犠牲を強いている政治です。

 都民の血税を使ってテレビ広告に登場しては、ひたすら三密を避けて家に閉じこもる必要性を声高に述べる知事。

 ろくな休業補償もないままに自粛を強要する政治。水島朝穂さんは「検査なき自粛」と「補償なき自粛」を叫ぶ日本の現状は「法治国家」ではなく「放置国家」だと喝破しています。

 いまこそ、これらの政治を変えて、国民の生命権の確保と保護を第一にする政治に転換しなければなりません。科学者の知見に基づかない、思いつきの政治判断があってはなりません。科学者の判断を優先させるべきです。PCR検査をすれば医療崩壊になるから家でじっとしていろと言い放つ人たちだけを集めた、いい加減な専門家会議ではなくて、国民の命を確保するためにはいま何が必要なのか、どのような体制を構築すべきかを真剣に考える科学者の起用と登場が待たれます。

 学校を閉鎖して家にいることしかできない子どもたち。その子どもたちを横に見ながら働きに出ざるを得ない家庭がたくさんあります。憲法には子どもたちの教育を受ける権利、学習権が規定されています。子どもたちの教育を受ける権利をどのように保障していくのか。政府や自治体はその手立てを一体どれだけ真剣に考えているのでしょうか。

 休業補償も受けずに真っ先に首を切られていく非正規労働者、経営破綻に直面するや中小の商工業者。憲法29条3項は「私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用いることができる」と規定しています。この損失補償の規定や憲法25条の生存権の規定、憲法27条の労働権の規定をテコにして、「自粛と補償はセットだ!」という声を大きくしていきましょう。若尾典子さんは、「おいちにいることができるように政府は具体策を実施しなければいけない。おうちは食べさせてはくれないから、おうちにいるためには休業補償がすぐに必要だ」と言っています。

 第2に、今回の緊急事態の発令によって、表現の自由、報道の自由、集会の自由、移動の自由、財産権といった憲法の基本的人権が制約・侵害されています。コロナの感染防止のためにこれらの基本権は制約されてもやむを得ないのでしょうか。

 感染と拡大の防止のためには、これらの権利や自由の最小限の規制はやむをえません。しかしながら、これらの規制や制約は真に必要な場合にとどめるべきです。必要性・緊急性の要件の充足と比例原則にのっとって行われるべきものだと考えます。コロナ後の世界をいまからあれこれ言うのは早すぎますが、権利や自由の行使を自粛し、制限していれば、私たちのエンパワメントのちからが自然に損なわれてしまします。国民主権と民主主義を支える力量をつけていきたいと考えます。

 最近見た動画において、東大先端研がん・代謝プロジェクトリーダーの児玉龍彦さんという方が、大量検査をしてコロナ感染者を突き止め、感染者に接触した人たちをピンポイントで明らかにすることによって感染拡大を防ぐ、precision medicine(精密医療)の必要性を力説していました。感染の拡大を放置したアメリカ、イタリアではなくて、韓国・台湾・香港・シンガポールなどの東アジア諸国の成功例に学ぶべきだという提言です。

 この提言には大いに共感したのですが、スマホ・アプリによる個人行動の履歴の収集と利用にあたっては、徹底した個人情報保護とプライバシーの確保という観点からの厳しい歯止めがあってしかるべきです。感染の拡大防止と個人情報の両立を可能にする細く・困難な道をどのように切り開いてくべきか。それこそ国会できちんと議論すべきことではないでしょうか。

 コロナの押さえ込みに成功した韓国モデルを個人的自由の抑制と国民の健康権の確保という観点からどう考えたらよいのか。まだ答えの出ていない難問ですが、よく考えてみます。日本の現政権は同調圧力と大規模感染の結果実現するであろうという免疫拡大と社会的弱者の犠牲によって、問題を糊塗しようとしています。下層市民の切り捨てで、危機を突破しようとしているのだと思います。

 第3に、自民党は新型コロナ危機の最中の4月3日に「新型コロナウイルス感染症と憲法論議について」という文書を出し、「緊急事態における国会機能の確保」という観点から「憲法審査会開会の必要性」を主張しました。西村経済再生担当相は4月27日に特措法による休業要請に応じない店舗などが相次いだ場合、罰則を伴う強い指示を可能とする法改正を検討すると発言し、

同日に安倍首相も、「今の対応や法制で十分に終息が認められないのであれば、当然、新たな対応も考えなければならない」と述べたと報道されています。

 政権与党は不要不急の憲法審査会を開催して、なんとか改憲発議に持ち込むことを虎視眈々と狙っています。「究極の火事場泥棒」としての憲法審査会の開催強行を許してはいけません。コロナ危機の中で行われた直近の共同通信の世論調査では、大規模災害時に内閣の権限を強め、個人の権利を制限できる緊急事態条項を憲法に新設する案について、賛成51%、反対47%という結果がでており、警戒すべきです。

 2018年3月に自民党が提示した安倍4項目改憲案の中には、国会議員の任期延長を可能にし、内閣に緊急政令の制定権を与える緊急事態条項が入っています。緊急事態条項の憲法規範化がもたらすものは、緊急や必要が法を破ってきた歴史を繰り返すことです。コロナの後にやってくる世界が荒涼とした監視社会と行政独裁国家になってしまうことを、を私たちは許してはいけません。

 コロナ対策のかげで、政府による辺野古の埋め立て工事の設計変更の沖縄県への申請や政府が検察中枢の人事を意のままにできる検察庁法改正案なども現在進行しています。国は辺野古の埋め立て工事に狂奔することをやめ、ひとまず工事の中止を決断し、コロナウィルスで苦しむ国民の命の救済と生活の補償、医療現場への抜本的な支援のために、国民から拠出された血税を使うべきです。検察幹部を政治に従属させようとする暴挙を許してはいけません。こうした問題にも、国民の命と暮らしを守れと言う声を大きくするとともに取り組んでいきたいと考えます。

 引き続き「安倍9条改憲ノー!改憲発議に反対する全国緊急署名」に頑張って取り組んでいきましょう。

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