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2020-05-01

菊地 洋(岩手大学教育学部)

憲法記念日に寄せて

 このメッセージを作成している4月30日現在、岩手は日本で唯一新型コロナウイルスの感染者がまだ発生していません。PCR検査数が少ないだけなのか、本当に感染者がいなのかと、県民は疑心暗鬼になっています。首都圏と同様に、街中を歩いていても多くの商店は営業の自粛要請によって店を閉じています。目に見えないウイルスと闘うため、感染防止という観点からはやむを得ない措置かもしれません。しかし、私たちは、これが日常の風景として見慣れてしまってもよいのでしょうか。

 それぞれの街で頑張っておられる商店の営業の自由が制約されるのであれば、それに見合うだけの補償がなされなければならないでしょう。しかし、私たちが選んだ代表が侃々諤々しているはずの国会は、コロナ感染によって本当に困っている人々のための議論をしているのでしょうか。コロナウイルスに罹患し苦しんでいる人々、コロナウイルスに向き合い最前線で闘っている医療従者、コロナウイルスの感染を広げないために営業や移動の自粛を求められている人々、感染リスク軽減のために自宅待機を求められ学ぶ権利を侵害されている学生など、コロナウイルス感染症の影響で苦しんでいる人々は数多くおられます。

  数日前、全国民に一律10万円の特別給付金の支給が決まりました。しかし、この給付は本当に必要だったのでしょうか。この議論の過程で、給付金の目的が大きく変わってしまいました。限られた財源であるからこそ、本当に困っている人々へ手厚い給付を考えるべきだったのではないかと思います。代表民主制と民意のズレ、以前からも言われてきましたが、今回のコロナ対策でも露呈したのではないでしょうか。

 日本国憲法では、国民を個人として最大限に尊重することと、「生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利(いわゆる幸福追求権)」を国政の上で最大権に尊重することを13条で謳っています。コロナウイルスの感染拡大と予防措置にともなう自粛要請によって、私たちの様々な人権が制約を受けている時だからこそ、この条文の意味を私たちはきちんと考える必要があるのではないでしょうか。

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