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2022-05-01

憲法記念日メッセージ

成澤  孝人(信州大学)

 日本国憲法が施行されてから、4分の3世紀がすぎました。この間、日本国は、直接に戦争に手を染めずにきました。それが可能だったのは、何よりも、わたしたち日本国民が、戦力の不保持を定めた憲法9条を手放さずに歴史を歩んできたからです。

 この憲法の背景には、大日本帝国が起こした侵略戦争が、数千万人のアジアの人びとの命を奪ったこと、同時に、アメリカ合衆国による日本列島に対する攻撃が壮絶なものであったことがあります。特に広島と長崎に落とされた原子力爆弾の非道性は、一切の戦争を否定する日本国憲法9条の正当性を浮かび上がらせました。

 「戦争だけは二度としてはならない」。この言葉は、加害と被害の歴史的体験をもつこの国で数えきれないほど繰り返し唱えられてきました。しかし、今年の憲法記念日ほどこの言葉の重みをかみしめるべき時はないでしょう。 

 かの地では、現在も、銃弾や爆弾が人の命を次々と奪っています。戦争は、長期化すると予想されています。

 ロシアによるウクライナ侵略行為は、どのような理由があっても正当化することはできません。明確な国際法違反であり、厳しく非難されなければなりません。そのことを前提とした上でですが、ロシアによるウクライナ侵略の背景に、NATOという集団的自衛の組織があったことは、深刻な問題として残っています。

 集団的自衛は、「抑止力」の名の下に、正当化されています。しかし、抑止力なるものは、均衡を維持している限りにおいて役に立つものであり、それが破られてしまえば、「戦争」というむきだし暴力の前に人びとを投げ出すことを意味するのです。

 人々の間の殺し合いを止めるために国家が必要であるように、国家の間の殺し合いを避けるための仕組みが必要です。力による力の抑制でしかない集団的自衛はその仕組みとしては不十分なものだとしかいいようがありません。それに対して、憲法9条は、国家による殺し合いの可能性を除去することによって、諸国民の安全を守るための規範です。いまこそ、全世界の国民が等しく恐怖と欠乏から免れ平和のうちに生存する権利があるという日本国憲法前文の理念を実現するべく努力することが、世界中の政府と人々に求められているのではないでしょうか。

 9条の理念から考えるならば、ウクライナ侵略戦争の惨状を目の当たりにし、国際社会と諸政府がやらなければならないことは、停戦を実現するために必死の努力をすることだと思います。果たして、現在、その努力はなされているでしょうか。これ以上の武力衝突は、人命という何よりも尊いものをさらに犠牲にすることになります。  

 ウクライナ侵略戦争の現状をみると、世界は100年前の状況に戻ろうとしているのではないかという錯覚に陥ります。しかし、世界戦争のシナリオだけは絶対に避けなければなりません。この戦争を一日も早く停止させ、平和的手段で紛争を解決するような国際秩序を構築していかなければなりません。それを実現するのは決して集団的自衛ではありません。日本国憲法9条の理念は、そのような国際秩序の形成に役立つでしょう。

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