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2018-03-27

龍谷大学教授(憲法学)丹羽徹さんに聞く「文科省の教育内容『調査』 まさに『不当な介入』」

文科省が自民党議員の照会に応じて、公立中学校での前川喜平・前事務次官の授業をめぐって教育内容にメールなどで介入した問題について、丹羽徹龍谷大学教授(憲法学)に聞きました。(聞き手・若林明)

 文部科学省が出した質問メールによる調査は、明らかに教育内容に対する直接的な介入です。文科省は、「聞いているだけで、介入ではない。やめろと言ったわけではない」と言い訳するかもしれませんが、結果として、「やめろ」という効果を持ちます。それも、政権に近い政治家が文科省に言ってきたことが明らかになっています。政治権力が直接的に教育行政に対し介入をしてきて、行政が今度は権力的に地方教育委員会・学校に対して介入をしていったということです。まさに、「不当な介入」です。

 文科省が体罰問題などで、各県・市町村の教育教員会を通じて調査をすることはあります。文科省は、地方教育委員会に対して一定の行政調査をすることもあります。学力テストなどもそうです。それは、個々の教育活動を取り上げて、問題にするためにやっているわけではありません。教育内容にかかわる調査ではなく、実態把握のために調査です。

 「法令上問題が無い」という人がいますが、「不当な支配」については、1976年の旭川学力テスト事件の最高裁判所の判例が、「大綱的な基準の設定」として国家が教育内容・教育についてかかわっていい範囲の限界をもうけていて、現在でも有効です。国や行政が決めていいのは「大綱的」、つまり大枠だけです。個々の教育活動に口をはさむことはできないのです。これが基本的な枠組みです。最高裁の判例から見ても「問題」があるのです

 戦前の教育で国家が教育内容に介入して全部統制したことへの反省から、戦後、教育基本法で、教育は基本的に現場で自由な活動として行うことができるのです。それを担保するための規定として、国家の介入をいかに除去するかを目的として作られたのが、「不当な支配に服さない」という規定です。政治権力や行政権力からの自由という側面があります。

 教育は、人格の完成という大きな目的をもっていて、人の心の問題まで含めるような営みです。だから、国家や権力が基本的にかかわっていいことと、いけないことを明確に区別する必要があります。

 日本国憲法は26条で「教育を受ける権利」を定めています。その権利を保障するために、国や自治体は、教育内容ではなく、教育条件整備の面で役割を果たさなければなりません。

(しんぶん赤旗2018年3月27日3面の転載)

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