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2018-03-01

稲 正樹「安倍9条加憲論に対する憲法研究者のスタンスのあり方―木村草太氏「9条の持論、披瀝する前に」朝日新聞2018年2月22日(あすを探る・憲法・社会欄)を題材にして」

問題点1 政府の憲法解釈を欺瞞だという見解を批判している点→憲法13条を武力による自衛の根拠としているのは、大問題である。

 木村見解:まず、政府解釈を確認しよう。確かに、憲法9条の文言は、「国際関係における武力行使を一切禁じている」ように見える。しかし、他方で、憲法13条は、国民の生命や自由を国政の上で最大限尊重しなければならない旨を定める。政府は、強盗やテロリトのみならず、外国の侵略からも国民の生命等を保護する義務を負う。この義務は、国家の第一の存在意義とでもいうべきもので、政府はこれを放棄できない。そこで政府は、外国からの武力攻撃があった場合に、防衛のための必要最小限度の実力行使は「9条の下で認められる例外的な武力行使」だとしてきた。
こうした政府解釈を「欺瞞(ぎまん)」と批判する見解もある。しかし、その見解は、「外国による侵略で国民の生命・自由が奪われるのを放置することも、憲法13条に反しない」との前提に立つことになる。こちらの方がよほど無理筋だ。

  木村説のオリジンは、以下の田上説であろう。

 「わが憲法の基本原理として国民主権・人権尊重および国際協調の三原則が挙げられる。このうち、侵略に対して抵抗しないことが国際協調の原理に適するとはいえない。国民主権の国家ならば、国民は憲法を尊重擁護する義務とともに、憲法の前提とする国家の存立・防衛について責任がないとはいえない。殊に国家が国民の生命・身体および財産の安全を保障するために必要な制度であるとすれば、それは急迫不正の侵略に対し自己を防衛する権利がなければならない。憲法13条は、立法その他の国政のうえで国民の基本権を最大限度に尊重すべきものと定めるが、それは原則として国民の自由を侵してはならないとする消極的な不作為請求権の宣言のほか、国民の生命・自由・財産に加えられる国内的および国際的な侵害を排除するため積極的に国権の発動を要請する、公共の福祉の原理を含むものである。ここに、国内の公共の安全と秩序を維持する警察権とともに、国外からの侵略に対する国の自衛権の憲法上の根拠がある。憲法第9条の戦争の放棄はこのような前提の下で理解すべきである」(「主権の概念と防衛の問題」宮沢還暦『日本国憲法体系・第2巻総論』有斐閣、1965年、98頁。

 このような議論をするのではなく、
1.憲法13条の本質論を明確にしていく作業の必要性:13条は武力による国家の自衛論の根拠とはなり得ないものである。

 13条後段の、生命権を自由権や幸福追求権とは総体的に区別された人権として把握すべきであるという見解もある。その権利内容を、生命についての侵害排除権(国家に対する不作為請求権)と生命についての保護請求権(国家に対する作為請求権)に分け、前者をさらに、①戦争や軍隊のために自己の生命を奪われたり、生命の危険に曝されたりすることのない権利(平和的生存権)、②国家の刑罰権などによって自己の生命を剥奪されない権利、③生命の維持についての自己決定権、後者をさらに、④最低限度の生存を国家に要求する権利(狭義の生存権)と、⑤生命の侵害(の危険)からの保護を国家に要求する権利に分けることができるという見解である[1]。
人格権論に代えて、生命権論もしくは平和的生存権論として、立論していくことも可能ではないか。その場合、国家の戦争行為や軍事力に対する個人の生命その他の人権の優位性の思想をその核心として強調していくことが大切である。
なお、根森健説によれば、「生命権」が保障するものが本来国家による値切りを一切許さない程に重要な、個人の生存・生活の根本基盤である点を重視すれば、従来13条前段の「個人の尊重(個人の尊厳)」原則と理解されてきた条文の中に、「個人の尊厳権」という人権を認め、そこに生命権を位置づけることも考えても良いのではないか。あるいは、憲法13条前段と結びついた13条後段の「生命」規定が保障する人権として構成することも考えられるのではないか[2]。

 2.「核心的な行為形態がほかならぬ武力行使である『自衛権』によって国家を防衛しようとする考え方」と「もっぱら非軍事的な形態によって国民の生命や安全を擁護しようとする考え方」の相違を明確に主張することが大切ではないか:自衛権論の再検討の必要性。
その場合、後者の立場にこれまでの憲法学説は立っていると思うが、自衛権否認論なのか武力によらざる自衛権論なのか、後者の場合には「自衛権」の核心部分は放棄不可能、ただし「戦争予防型自衛権」「平和的安全保障権」として再構成すべきなのか、詰めて考えておく必要がある。

 問題点2 自衛隊違憲論は自衛隊の即時解体になるはずなのにそれを主張しないのは欺瞞だと述べている。自衛隊違憲論に立つ憲法学説が、憲法9条に適合的な安全保障政策と自衛隊の解編のための努力をしてきたことをことさら無視している。井上達夫氏の議論と同じ。知っていて無視しているのか、あるいはことさら自衛隊違憲論を貶めるために言っているのか。

 木村見解:さらに、仮に自衛隊が本当に違憲だとすれば、今すぐに自衛隊を解体しなければならないはずだが、自衛隊の即時解体までは主張しない。それこそが欺瞞でなくて、何であろうか。

問題点3 何を選択すべきかの問題の立て方がそもそも間違っている。

 木村見解:いま憲法をめぐって国民が議論すべきは、従来の政府が言う「専守防衛のための自衛隊」とすべきか、2015年の安保法制で拡大された「存立危機事態での限定的な集団的自衛権」を容認するかであろう。

 まとめ

 ・<安倍9条改憲の本質は、「武力によらない平和」という憲法9条と平和的生存権の根本規範を変質させるものである>。この論点を説得力をもって語ることに、今の憲法状況の下における憲法研究者の存在意義があると考える。木村草太氏の議論を挙手傍観していてはいけない。3.25の自民党大会での自民改憲草案に対する批判の仕方とも関連して。

 ・「専守防衛のための自衛隊」という俗論を打ち破る課題がある。安倍9条改憲は、「国民に愛されている自衛隊」(災害救助活動などが自衛隊の主たる任務であるというイメージをもとにした、9条の制約下で政府が作り出してきた自衛隊像、それを信じようとしてきた国民の側の意識のあり方)を打ち壊すものだということを、どれだけリアリティーを持って語れるか。

[1] 山内敏弘「基本的人権としての生命権」『人権・主権・平和―生命権からの憲法的省察』日本評論社、2003年所収。
[2] 杉原泰雄(編)『新版・体系憲法事典』青林書院、2008年、435-436頁。

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