コロナ禍への対策にはならない緊急事態条項(国家緊急権)の導入
清末 愛砂(室蘭工業大学大学院准教授)
新型コロナウイルス(Covid-19)の感染拡大問題が発生し、それが長引くにつれ、従来から改憲を主張してきた人たちの間から、「感染症対策として、憲法に緊急事態条項を導入すべきだ」という声がしきりと聞かされるようになりました。コロナ禍以前は、自衛隊の憲法明記が改憲項目の筆頭として主張されていましたが、最近ではあまり耳にしなくなりました。
感染症対策としての緊急事態条項(国家緊急権)の導入案に対し、憲法研究者の一人として、とても不思議な感覚を抱いています。もう少し正直に書くと、こうした主張に合理性があるとは思えません。それどころか、緊急事態条項の導入というのは、多角的な視点(例えば、健康な生活を営むための感染防止策、適切な医療へのアクセス、自粛要請から生じる不利益への損失補償、教育を受ける機会の保障といった幅広い権利や自治体の役割の観点等)から検討すべき適切な感染対策への弊害になりうるものです。
緊急事態条項とは、大規模な自然災害や外部からの武力攻撃等の<緊急事態>が生じたときに憲法秩序を停止し、非常措置の名の下で行政(の一部)に権限を集中させることを可能にする条項のことを指します。同条項に基づき非常措置が続いている間は、憲法が保障する各種の人権が制限されたり、否定されたりすることはが考えられます。そうなると、例えば、人々は非常措置に不満を覚えても、抗議の声をあげにくくなったり、生活を維持するための各種の補償を求める声を出しにくくなったりするでしょう。
コロナ禍というのは、言うまでもなく、感染拡大防止だけでなく、その防止策により人々の日常生活に多種多様な負の影響(例えば、休業や失職による困窮化等)が及ぶことを意味します。こういう状況に陥ったときにこそ、憲法上の権利を大いに活用し、困難なときを乗り越えることができるような施策の実施を強く求めることが必要です。この点に鑑みると、とりわけ困難なときに強い味方になるのが憲法だと言うことができるでしょう。
ここまで少しまわりくどい書き方をしましたが、「(コロナ禍のような)緊急時だから人権制限は仕方がない」のではなく、「緊急時だからこそ、人権保障がとりわけ重視されなければならない」のです。また、そうだからこそ、人々がともに生きのびることができるようにするための対策と憲法秩序を停止する緊急事態条項の導入は、相容れないと言わざるを得ないのです。
憲法研究者の一人として、コロナ禍に乗じた緊急事態条項の導入に強く反対します。