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2021-05-03

軍事独裁政権の怖さ

石村 修(専修大学名誉教授)

 日本国憲法66条2項には、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない」と規定される、所謂「文民(civilian)」条項がある。一見、見落としされそうな規定であるが、この条項があることの意味は大きい。
 今、ミャンマーではクーデターが起こり、スー・チー政権は軍事力で倒され、軍事独裁政権が樹立されている。その軍隊と警察が一体となって、一般の市民に銃を向けている映像に、世界が驚愕している。国家は国民の生命・身体・財産を本来は守らなければならない。その国家権力の象徴たる軍隊と警察が一体となって、無抵抗な国民を武力で拘束し、殺害している。歴史上で繰り返されてきた、軍事政権の恐ろしさが、この21世紀でも繰り返されるとは誰が予測したであろうか。
 殺戮兵器である武器は通常人は所有できず、例外的に警察と軍隊が所有しているが、これは公的な権限の最終手段であって、なんら正当性が欠けたところではその使用は控えなければならない(警察比例の原則)。これが近代法治国家の最低限の確認事項であり、それは人の生命が尊いものであるという認識からくるものであった。ところが政治の世界では、選挙という民主主義の手続によるのではなく、武力をもって支配権の変更を進めるクーデターが繰り返されてきた。日本でも昭和史に描かれた、「5・15」事件、「2・26」事件は、クーデター未遂であったが、これは、軍が最終的には政権を乗っ取り、無意味な戦争へと進んでいった道程の前触れであった。明治憲法体制は、天皇大権を後ろ盾にして軍部が政府を経由せずに独走できる構造を容認していた(帷幄上奏)。軍人が直接天皇を動かし、大権行使としての戦争を宣言することができたのである。1930年代に陸・海軍制服組が公然と政府に入ってきたとき、議会は無力化されてしまった。こうした経緯を顧慮して、新憲法が作成された時点で、アメリカ憲法にあった文民条項が日本国憲法にも引き継がれたのは、戦争を行ってきた国への厳しい戒めであった。
 この文民条項は、残念ながらミャンマー憲法にはなかった。逆に議会の場に、選挙以前から軍部は議席を確保し、軍部の意向がなくては法が通らない構成にあった。ミャンマーは、それでも民意は成長していた。民主化の波はインドシナ半島の全体をカバーし、これによって経済的な発展を遂げていた。こうした傾向に懸念をもった軍部が、1962年のクーデターを再現したのである。軍隊は存在しないことが望ましいし、もしも存在したとしても、その軍部を議会と政府がコントロールできなければ、真の民主的な法治国家であるとは言えない。アジアの中にこうした無法体制に与する国家が依然としてあることを、この度のミャンマーの事例は思い出させてくれた。恐怖をもたらす軍事拡張競争は、一刻も早く終わらせなければならないし、その先頭に日本はあるべきである。憲法記念日は、こうした9条の精神を再確認する日でなければならない。

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