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2022-05-01

日本国憲法75回目の施行記念日に

菅原 真(南山大学教授)

 日本国憲法には「外国人」の権利に関する規定は存しない。しかしながら、制憲過程において、総司令部案(マッカーサー草案)には「一切ノ自然人ハ法律上平等ナリ政治的、経済的又ハ社会的関係ニ於テ人種、信条、性別、社会的身分、階級又ハ国籍起源ノ如何ニ依リ如何ナル差別的待遇モ許容又ハ黙認セラルルコト無カルヘシ」(13条1項〔→現行14条1項〕)、さらには、より明確に「外国人ハ平等ニ法律ノ保護ヲ受クル権利ヲ有ス」(16条)といった規定が置かれていたことは広く知られている(下線部引用者)。これらの規定ないし文言は1946年3月6日案(憲法改正要綱)において削除され、現行日本国憲法にはついに規定されることがなかった。その結果、「外国人の人権」享有主体性については解釈問題となったのである。

 今日、外国人の人権それ自体を否定する憲法学説は存しない。それは第一に、「人権」とは「人間が人間であるというだけで当然持っている権利」と観念されていること(人権観念のそもそも論)、第二に、日本国憲法98条2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。」と規定しており、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約、拷問等禁止条約、女性差別撤廃条約、子どもの権利条約などの人権条約を締結した日本国は、内外人平等原則の順守義務を有すること(国際人権の展開とその誠実順守義務)、を主な理由とする。

 こうして、外国人の人権については、「憲法第三章の諸規定による基本的人権の保障は、権利の性質上日本国民のみをその対象としていると解されるものを除き、わが国に在留する外国人に対しても等しく及ぶものと解すべきであ」る(「マクリーン事件」最大判1978年10月4日・民集32巻7号1223頁)とする「権利性質説」が通説・判例となった。

 もっとも、通説と判例の間には、その前提において大きな相違がある。「マクリーン事件」判決では、「外国人に対する憲法の基本的人権の保障は、(…)外国人在留制度のわく内で与えられているにすぎないものと解するのが相当である」としているからである(下線部引用者)。この判決の下線部の説示について、元最高裁判事の泉徳治は、学説同様、否、それ以上の激しい筆致で「完全な誤り」と表現している(泉徳治「統治構造において司法権が果たすべき役割第2部(6)マクリーン判決の間違い箇所」『判例時報』2434号(2020年4月11日号))。

 しかしながら、この「マクリーン事件」判決の法理は、入管行政に大きな影響を与え、外国人は「在留制度の枠内」でしか憲法上の人権は保障されないのだから「煮て食うも焼いて食うも勝手」との認識に基づく運用がなされ続けるに至った。

 こうした中で、昨年、画期的な2つの下級審判決がくだされたことは、特筆すべきである。名古屋高判2021年1月13日(判タ1488号126頁)および東京高判2021年9月22日(裁判所ウェブサイト)は、それぞれ異なる論理に基づき、難民不認定処分に対する異議申立てをおこなっていた難民申請者たる被退去強制者について、「裁判を受ける権利」を保障せずにチャーター機送還(集団送還)の方法によって強制送還をおこなった入管当局の行為は、行政事件訴訟法等の規定や趣旨に違反するとともに、国家賠償法1条1項の適用上違法であると判断したのである。

 もっとも、前者のケースでは、「自由権規約〔14条1項〕及び難民条約〔16条1項〕上の『裁判を受ける権利』と結びついて自由権規約の『効果的救済』で実質的な司法アクセスを認めたのに対し、憲法上の裁判を受ける権利及び適正手続を認めなかった」。このことは、まさに「不可解」(安藤由香里「難民申請者の裁判を受ける権利―司法審査を受ける実質的な機会の保障」新・判例解説編集委員会(編)『新・判例解説Watch』vol.29(2021年10月号))であるといえよう。

 これに対して、「入管職員が、控訴人〔=被退去強制者〕らが集団送還の対象となっていることを前提に、難民不認定処分に対する本件各異議申立棄却決定の告知を送還の直前まで遅らせ、同告知後は事実上第三者と連絡することを認めずに強制送還した」という事案である後者のケースでは、東京高裁は、これらの入管の行為が「控訴人らから難民該当性に対する司法審査を受ける機会を実質的に奪ったものと評価すべきであり、憲法32条で保障する裁判を受ける権利を侵害し、同31条の適正手続の保障及びこれと結びついた同13条に反するもので、国賠法1条1項の適用上違法になるというべきである。」と判示し、明確に憲法32条違反、憲法31条・13条違反を認容した。

 しかしながら、この後者の判決においては、「マクリーン事件」判決への言及はない。そのことを認識しつつ、憲法学においても「難民申請者」や「入管施設収容者」の人権はその研究対象として極めて重要であること(昨年3月、名古屋出入国在留管理局の施設において、十分な医療を受けられぬまま、スリランカ人のウィシュマ・サンダマリさんが衰弱死するという事件が発生したことは記憶に新しい)、さらに「マクリーン事件」判決の克服のための理論構築が求められていることを指摘し、とりわけ後者については、今後の自分自身の研究テーマの一つとすることをこの場を借りて表明したい。

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