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2021-05-03

デジタル監視社会の憂鬱(ゆううつ)―― 2021年5月3日憲法記念日に想うこと

根森 健(東亜大学大学院教授)

■はじめに
 東京・大阪などでは2年連続で緊急事態宣言の中で迎える、なんとも憂鬱なゴールデンウィーク、憲法記念日である。オリンピック開催さえ「悲劇」にしてしまいかねないような失政の積み重ねで、今やひたすらワクチン接種待ちの全く収束の見えない事態が続いている。しかも、憂鬱さはますます深まるばかりだ。立憲主義(=権力分立と人権保障)を核心とする日本国憲法を無視・破壊する政治が、菅政権に変わっても、さらに増幅され、透明性を欠いた暗闇政治が続いているのだから。日本学術会議議員の説明無しの任命拒否や、制度の厳格化が際立つ出入国管理法の改正案など、その例の枚挙にいとまがない。
 このメッセージでは、そうした一例として、明るい未来の社会(デジタル社会)を目指すといわれる「デジタル改革関連法案」―― 衆院を通過し、参院で審議中。俗に、「デジタル監視法案」とも言われている―― を取り上げることにする。

■目指すは、Society 5.0だというが…
日本政府は、2000年の高度情報通信ネットワーク社会形成基本法(IT基本法)以降、20年かけて、いわば、「Society 5.0」に実現に向けて、IT戦略やITインフラ整備を積み上げて来た。内閣府によると、このSociety 5.0とは、「サイバー空間(仮想空間)とフィジカル空間(現実空間)を高度に融合させたシステムにより、経済発展と社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会(Society)。狩猟社会(Society 1.0)、農耕社会(Society2.0)、工業社会(Society 3.0)、情報社会(Society 4.0)に続く、新たな社会を指すもので、第5期科学技術基本計画において我が国が目指すべき未来社会の姿として初めて提唱され」たものだという(https://www8.cao.go.jp/cstp/society5_0/)。このようなソサイエティ5.0は、超スマート社会ともいわれている。
 もう少し、説明を見てみよう。
「 Society 5.0で実現する社会」
 これまでの情報社会(Society 4.0)では知識や情報が共有されず、分野横断的な連携が不十分であるという問題がありました。人が行う能力に限界があるため、あふれる情報から必要な情報を見つけて分析する作業が負担であったり、年齢や障害などによる労働や行動範囲に制約がありました。また、少子高齢化や地方の過疎化などの課題に対して様々な制約があり、十分に対応することが困難でした。Society 5.0で実現する社会は、IoT(Internet of Things)で全ての人とモノがつながり、様々な知識や情報が共有され、今までにない新たな価値を生み出すことで、これらの課題や困難を克服します。また、人工知能(AI)により、必要な情報が必要な時に提供されるようになり、ロボットや自動走行車などの技術で、少子高齢化、地方の過疎化、貧富の格差などの課題が克服されます。社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会となります。」

■「デジタル改革関連法案」の国会提出 ―― 明るい未来社会形成法案か?デジタル監視法案か?
今般、政府は、新型コロナウイルス感染対策に関して、「10万円」特別定額給付金や接触確認アプリ「COCOA」に関するトラブル等々で露呈したデジタル化の遅れを、「デジタル敗戦」と自認する中、それを逆手にとって、デジタル化を進めるためと称して、新法や改正法を含む63本もの関連法案を束ねて一括審議する形で「束ね法」案として、「デジタル改革関連法案」を国会に提出し、審議を進めている。ちなみに、安倍政権時代からの「得意技」ともいえる、重要法案の「束ね法」としての一括審議は、国会での十分な審議を妨げるものであるし、よほどの専門家でもない限り全容を把握しにくい、主権者である国民軽視の立法作業に通じるものであり、これ自体問題の大きいものである。
 この「デジタル改革関連法案」は、デジタル社会形成基本法案、デジタル庁設置法案、デジタル社会の形成を図るための関係法律の整備に関する法律案、公的給付の支給等の迅速かつ確実な実施のための預貯金口座の登録等に関する法律案、預貯金者の意思に基づく個人番号の利用による預貯金口座の管理等に関する法律案、地方公共団体情報システムの標準化に関する法律案、の6法案で構成され、デジタル化の遅れを克服し、「強靱なデジタル社会の実現」を目指ざすものと位置づけられてる。これらの法案では、主に、①内閣総理大臣を長とする強力な総合調整機能(勧告権等)を有するデジタル庁の設置、②個人情報関係3法を一本化とともに、地方公共団体の個人情報保護制度も統一化した上での国による管理の強化、③マイナンバーの利用による預貯金口座の管理を含めたマイナンバーカードの利活用の促進などを主たる内容としている。このように、今回の「デジタル改革関連法案」では、これまで重視されてきた個人情報保護における地方分権・分散の仕組みを変えて、内閣総理大臣を長とするデジタル庁によるデータや情報の強い一元的管理を図るなどに現れているように、デジタル化に伴うプライバシー・個人情報の保護とその侵害の危険の回避という視点が圧倒的に欠けている。
 高度に個人情報がデジタル化されデータとして流通する現代社会にあっては、欧州連合(EU)の一般データ保護規則(2018年)がそうであるように、データ主体である個人の権利を基本的な権利として位置づけ、データ主体の権利を明確に定めることが必要であるのに、そうした視点も規定も欠けている。また、プライバシー侵害や個人情報の流出が行われないように、独立機関による監督制度も必要であるのに、個人情報保護委員会は政府からの独立性や権限が不十分だ。「デジタル改革関連法案に反対する法律家ネットワーク」が、この法案を「デジタル監視法案」と呼ぶのも決して誇張などではない(例えば、https://www.jlaf.jp/04iken/2021/0225_789.html参照)。
 デジタル改革関連法案は以上のような問題点を含んでおり、政府が目指すデジタル社会が、本当に「社会の変革(イノベーション)を通じて、これまでの閉塞感を打破し、希望の持てる社会、世代を超えて互いに尊重し合あえる社会、一人一人が快適で活躍できる社会」たるSociety5.0(超スマート社会)へ向かうのか、はたまた、近年、改めて脚光を浴びている、ジョージ・オーウェルのデイストピア小説『1984年』が描き出したような独裁者「ビッグ・ブラザー」の下での監視社会のようになってしまうのかは定かではない。

■デジタル監視社会のもう一つの憂鬱:監視資本主義
進行している新しいデジタル社会には、以上のような、国家による監視社会化の問題の他に、もう一つの憂鬱も見逃せない。近年特に、GAFA(ガーファ:グーグル、アマゾン、フェイスブック(FB)、アップルの総称)のような、ITを使った各種サービスの共通基盤(プラットフォーム)となるインフラを個人や企業等の「顧客」に提供する巨大事業者(ITプラットフォーマー)が社会に与える過度の影響につき警告・告発する記事や書籍等が目に付くようになった。例えば、2018年3月、FBで提供されたクイズアプリを通じて、最大8700万人の個人データが流出したように、GAFAが保有する膨大なデータが外部に流出し、利用者らが被害を受けるケースもしばしばだ。また、2016年アメリカ大統領選挙の際には、ケンブリッジ・アナリティカという政治コンサルティング会社が、FBから取得した個人情報、感情の性質などの情報を活用して「説得可能な投票者」を抽出し、FBのマイクロターゲティング広告を使って、説得可能者の投票行動を変容させるよう働きかけたという、トランプ大統領の誕生につながった事件も起こった。GAFAが民主主義を錯乱させているとも言われるゆえんである。
 GAFAなどの巨大プラットフォーマーは、無料のネットサービスを通じてその利用者から膨大なデータ(情報)を収集し、それを囲い込んで独占的な地位を築くことにより、他の企業の新規参入を阻害したりしている。
 デジタル監視社会との関係で、さらに重要なのは、ショシャナ・ズボフ(Zuboff)ハーバード・ビジネス・スクール名誉教授が理論化した「監視資本主義(Surveillance capitalism)」という側面である。、ズボフは、GAFAなどによって、①私たちの多種多様な膨大な情報が集積・編集・加工され、新たに、②各人の行動や人となりに関する情報として収穫・生産・販売され、それに基づいて、③他企業による新商品・サービスの開発・販売され、④私たちが消費者として購入させられるという一連のプロセスを、インターネット等の至る所に遍在するデジタルな道具装置――ズボフは、ビッグ・ブラザーに対置させる形で、この道具装置のことをビッグ・アザー(big Other)とよんでいる――という媒体を通じてその意志を押しつける大規模な「監視」に依存している市場主導型のプロセスと捉え、これを「資本主義のごろつきの変種」たる監視資本主義だと理論づけている (Shoshana Zuboff, The Age of Surveillance Capitalism, 2019)。
 ズボフは、「資本が自律的で個人が他律的な反動時代を創始した。一方、デモクラシーや人間の開花を可能にするには、その逆が求められるだろう。この危機的なパラドックスが監視資本主義の中核にある。それはすなわち、その独自の権力によって私たちを作り替える新たな種類の経済だ」と断じている(ズボフ(村松恭平役訳)「歯ブラシはあなたのデータを収集している 監視資本主義」ル・モンド・ディプロマティーク仏語版2019年1月号より。http://www.diplo.jp/articles19/1905-01Uncapitalisme.html。)
ここでは、私たちの「プライバシー(人としての自律的存在)」が、「私たちが作り替えられる」という形で侵害されている。憲法上の権利としてのプライバシー権が新たに理論武装して立ち向かう必要があるのだと思う(拙稿「デジタル技術社会における『プライバシー権』の復権――「監視資本主義」の時代とプライバシーの危機」公益財団法人政治経済研究所『政経研究』115号、2020年12月、3頁以下所収を参照 )。 (了)

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