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2021-05-03

コロナ禍で考える国家のあり方

植野 妙実子(中央大学名誉教授)

長引くコロナ禍の中で多くの人が疲弊している。仕事を失なったり、困窮している人も多い。学生も本来の学生生活を送れずに、家に閉じこもり、オンラインでの授業を受けている状況である。
 私は今、フランスのコロナ禍での権力の統制について勉強している。フランスでは、権力行使に対して、様々な統制の手段を揃えているが、何よりも驚かされるのは情報の開示である。
 まず、法律に対しては憲法院の事前もしくは事後の統制があるが、判決文のみならず、判決を簡略に説明したメディア向け解説、判決を下すにあたって、外部識者の聴取が行われた場合のその内容、判決の解釈、関連する評釈の一覧まですぐわかるようになっている。そこにはいかなる「忖度」もなく、批判的な論文も見ることができる。
 法律制定過程に関しては、セナ・国民議会それぞれが当該法律案に関して、読会でどのような意見が出されたか、修正はどのように施されたか、時系列的にプロセスがわかるように提示されている。
 行政裁判所ではコロナ禍の下でとられた命令について、急速審理を行い、48時間以内で判決を下すことになっているが、その一覧をコンセイユ・デタでは公開している。中には行政権にとってかなり辛口となる判決も下している。権利が命令によって侵害されたと思う人は誰でも訴えることができる。
 さらにフランスでは大臣の刑事責任を問える。実際、フランスの医療従事者たちは、元首相、元厚生大臣、現厚生大臣を、初動体制の不備などを理由に訴えている。これも予審委員会の様子を動画で見られるようになっていた。
 情報公開は、民主主義の基本である。日本での首相による学術会議の6名の任命拒否の問題もいまだに理由も根拠も説明されていない。民主主義国家にとってあるまじき事態といえよう。そのほか数々のところで「お答えを差し控える」ということがまかり通っているが、民主主義においては情報の公開、透明性の確保が基本であり、それがなければ評価ができない。判断を下すこともできない。批判を封じることになり、発展のない国になる。
 同時にフランスでのこの素早い情報公開のあり方はそれを担う公務員の質の高さにも関係していると思われる。公務員をどのように育てるか、それが重要である。
 日本では安上がりな国家を目指していることが、菅首相の「自助、共助、最後に公助」の言葉にも現れている。その結果がこのコロナ対策のまずさを示しているといえよう。コロナは国家の構造そのものを考える機会でもある。権力の統制をいかに図るか、責任の所在の明確化とさらに責任追及の手段の確保、それらも考えていかなければならない。

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