「辺野古新基地建設反対憲法研究者声明」の記者会見(2019.1.24)参加者の発言メモ by 笹沼弘志
辺野古新基地建設をめぐって問われているもの 笹沼弘志(静岡大学)
■ 辺野古新基地建設をめぐって問われているもの
辺野古新基地建設をめぐって問われているものとはなにか。それは、先ず第1に沖縄の人々の人権と、日本国全体の民主主義のあり方である。
人権
沖縄の基地問題は、憲法九条の問題という以前に、人権の問題である。仮に、日米安全保障条約や駐留軍用地特別措置法が合憲であると考えたとしても、日本国民の安全保障のために、国土の0.6%に過ぎない沖縄に米軍基地の3/4を置き、沖縄の人々に生命身体の危険や被害、財産侵害等の日常的な人権侵害による不利益を負わせ続けているのは不公正であり、差別ではないかということだ。普天間基地移設先として最初から沖縄県内のみに限定するのは差別。
民主主義
辺野古新基地建設の目的とは、国の主張によれば「わが国の平和と安全を保つための安全保障体制の確保」である。にもかかわらず、沖縄の基地問題にすり替えられていること自体が、そもそも奇妙であり、かつ日本国民から「わが国の平和と安全を保つための安全保障体制」はいかにあるべきかを議論する機会を剥奪するものだといえる。つまり、日本国民は自分達の運命を考える機会と自らの運命を決める機会を奪われているのである。より正しくは、沖縄の人々が自らの運命を決める権限を侵害することを通して、日本国民全体が自分達の運命を決める機会を自ら放棄しているのだというべきだろう。
沖縄における辺野古新基地建設問題は、沖縄のみの問題ではなく、日本国の存立に関わる問題である。それは、日本国と日本国民の安全保障上の問題だということではなく、日本国という立憲民主主義国の存立それ自体が危機に陥っているということである。そのような危機状態にあるということを教えてくれているのが、被害者である沖縄の人々である。沖縄の人々の本土非難や政府告発の声こそが、本土の人々が多数を占める日本国民全体の分断を克服して国民の再統合を果たし、日本という立憲民主主義国を救う機会を与えてくれているのである。
■ 代理署名職務執行命令訴訟と辺野古埋立承認取消をめぐる争訟との違い
かつて、基地用地の収容に関わる手続きで代理署名を拒否した太田知事が国に訴えられた職務執行命令訴訟と、今回の辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟とはどのように異なるのか。
代理署名職務執行命令訴訟
駐留軍用地特別措置法14条1項による土地収用手続という、まさに安全保障そのものを目的とする法律に関する訴訟。まさに日米安保条約と日本の安全保障そのものが焦点。しかも、既に基地として提供されてきた用地の使用期限切れによる賃貸借契約延長のための手続きである代理署名の執行を求められたというものであり、基地用地の確保のためには国にとって他の方法はなかった。契約終了とともに、米軍に対して土地の明け渡しを求める以外には。
辺野古埋立承認取消争訟
辺野古埋め立て承認取り消しをめぐる訴訟は、普天間基地の返還に伴い新たに基地建設用地を確保することを目的として、国が辺野古および大浦湾の埋め立て申請を行ったところ仲井真元知事がこれを承認したのであるが、故翁長前沖縄知事が埋め立て承認は以下のような法の要件を満たしていないとして承認の取り消しを行ったところ、沖縄防衛局、国が承認取り消しの取り消しを求め国土交通大臣に行政不服審査請求を行うなど一連の法的手続きが取られたのだが、国が地方自治法に基づき知事に対して承認取り消しの是正命令を出して訴訟となった。
辺野古埋立は公有水面埋立法によって規制されている。国が埋立を行う場合には、知事の承認を受けるべきものとされており(42条)、その際、法4条1項の規定が準用され、埋立承認は次の六つの号に適合する場合に限定されている。
公有水面埋立法4条1項「一 国土利用上適正且合理的ナルコト、二 其ノ埋立ガ環境保全及災害防止ニ付十分配慮セラレタルモノナルコト、三 埋立地ノ用途ガ土地利用又ハ環境保全ニ関スル国又ハ地方公共団体(港務局ヲ含ム)ノ法律ニ基ク計画ニ違背セザルコト、四 埋立地ノ用途ニ照シ公共施設ノ配置及規模ガ適正ナルコト、五 第二条第三項第四号ノ埋立ニ在リテハ出願人ガ公共団体其ノ他政令ヲ以テ定ムル者ナルコト並埋立地ノ処分方法及予定対価ノ額ガ適正ナルコト、六 出願人ガ其ノ埋立ヲ遂行スルニ足ル資力及信用ヲ有スルコト」
つまり、辺野古埋め立て承認のためには、国土利用上適正かつ合理的で、埋め立てが環境保全及び災害防止に十分配慮しているといった条件を全て満たしていなければならないのである。
しかし、国は外交・防衛上の利益、普天間基地の危険性の除去という埋め立て目的の適正さや合理性のみを正当化根拠としてあげるのみである。普天間基地の危険性除去のためには、国土面積の0.6%に過ぎない沖縄県以外の任意の箇所に移転先を確保することは十分可能である。地元自治体や住民が同意しないということが確保困難な理由として挙げられるとしたらそれは沖縄県とて同じことである。他県はだめだが沖縄はよいというのはただの差別である。環境への配慮ということでいえば、埋め立てによって消失する貴重な珊瑚やジュゴンへの配慮が全くなされていない。また、温暖化など環境に与える負の影響は予想もつかない。埋立に用いられている赤土が地震による津波や台風などによる大雨等によって海に流出し拡散するおそれも考慮されるべき。
国が強調する危険性除去についていえば、基地があるがゆえの危険性という点では辺野古新基地建設により、周辺地域の住民だけでなく沖縄県民に対して新たな脅威を与える点がまったく考慮されていない。新基地は弾薬庫、強襲揚陸艦が接岸可能な岸壁と2本の滑走路を備えた陸海空の全機能を備えた最新鋭基地であり、日本政府が想定するところの潜在的敵国が実在するとしての話しだが、それらにとっては重大な脅威を与えるものであるがゆえに、一層攻撃の対象とされるだろうから危険性が高まるのは明白である。
しかしながら、福岡高裁那覇支部判決(2016年9月16日)は「普天間飛行場の返還を実現するためには日米合意に基づきその前提条件である代替施設を建設する必要があること、代替施設の建設地としては辺野古沿岸域がいまや現実的な実現可能性のある唯一の選択肢である」という国の主張を何の検証もすることなく鵜呑みにし、不合理な点はないと断定した。
その前提として、埋立目的に関して「国の説明する国防・外交上の必要性について、具体的な点において不合理であると認められない限りは、そのような必要性があることを前提として判断すべきである」との判断枠組みを設定したが、その根拠として引き合いに出したのが、次のような極論である。
「地域特有の利害ではない米軍基地の必要性が乏しい、また住民の総意であるとして40都道府県全ての知事が埋立承認を拒否した場合、国防・外交に本来的権限と責任を負うべき立場にある国の不合理とは言えない判断が覆されてしまい、国の本来的事務について地方公共団体の判断が国の判断に優越することにもなりかねない。」
このように全自治体の首長が米軍基地の建設を承認しないというような事態は、全国民がその総意において米軍基地を日本国内に建設することを拒否するということであって、にもかかわらず政府が米軍基地を日本国内に建設しようとすること自体が主権者国民の意思に反しており、違法だということの証左にほかならない。もちろん、都道府県全ての知事の意思と国民の総意がイコールであるわけではないが、政府の決定が全ての知事の意思に反するものだとしたら、その政府決定は改めて国民の総意に適合するものか否か問い直されるべきものである。
■ 関連する判例
日光太郎杉訴訟東京高等裁判所判決(1973年七月一三日判決、判例時報710号23頁)
東京オリンピックを控え交通量増加が見込まれ道路を拡幅するため東照宮境内地に生育する日光太郎杉を伐採する栃木県知事の計画を認めた建設大臣の事業認定が、太郎杉などの文化的価値を不当に侵害するとの理由で違法とされた事件である。
宇都宮地裁が大臣の事業認定を違法としたのを支持した東京高判(1973年七月一三日判決、判例時報710号23頁)は、まず控訴人建設大臣の事業認定においては裁量が認められることを前提としつつ、この判断が「諸要素、諸価値の比較考量に基づき行なわるべきものである以上、同控訴人がこの点の判断をするにあたり、本来最も重視すべき諸要素、諸価値を不当、安易に軽視し、その結果当然尽すべき考慮を尽さず、または本来考慮に容れるべきでない事項を考慮に容れもしくは本来過大に評価すべきでない事項を過重に評価し、これらのことにより同控訴人のこの点に関する判断が左右されたものと認められる場合には、同控訴人の右判断は、とりもなおさず裁量判断の方法ないしその過程に誤りがあるものとして、違法となるものと解するのが相当である」と、大臣の裁量を統制する審査方法を採用した。
そして本判決は、道路拡幅事業により「交通渋滞が緩和され、交通の安全と人的物的な損害の防止がはかられ得るものと認められるから、本件事業計画がそれ自体公共性を有していることは明らかである。」としながら、他方「建設大臣の判断は、ひつきよう、本件土地付近の有するかけがいのない諸価値ないし環境の保全という本来最も重視すべきことがらを不当、安易に軽視し、その結果、本件道路がかかえている交通事情を解決するための手段、方法の探究において、尽すべき考慮を尽さなかつたという点で、その裁量判断の方法ないし過程に過誤があつたものというべきである。」と判示した。
これが、後に最高裁によっても採用されることとなった裁量の統制手法である判断過程論である。有名なものとしては剣道受講拒否原級留置事件最判(1996年3月8日民集50巻3号469頁)などがある。同判決は「退学処分をしたという上告人の措置は、考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない。」と裁量統制の手法として判断過程論を採用した。他には小田急高架事件最判2006年11月2日、老齢加算減額廃止福岡事件最2小判(2012年4月2日民集66巻6号2367頁)など多数ある。老齢加算減額廃止福岡事件最判は厚生労働大臣の「裁量判断の適否に係る裁判所の審理においては,主として老齢加算の廃止に至る判断の過程及び手続に過誤,欠落があるか否か等の観点から,統計等の客観的な数値等との合理的関連性や専門的知見との整合性の有無等について審査されるべきものと解される」との判断枠組みを示した。
このような判例の動向を踏まえれば、仲井真前沖縄県知事による辺野古新基地建設のための辺野古沖埋め立て承認には、安全保障や外交上の利益や普天間飛行場の危険性除去などといった目的の合理性が一応認められるとしても、埋め立てによって失われる貴重な自然の価値や自然環境に与える影響が十分考慮されていないこと、辺野古沖以外にもより多様な選択が数え切れないほど存在することがまったく考慮されていないこと、辺野古新基地建設によって周辺住民の危険性が増大するなど多大な不利益が生ずることなどに対してもほとんど考慮されていないことが明らかであって、そもそもこの埋め立て承認は「考慮すべき事項を考慮しておらず、又は考慮された事実に対する評価が明白に合理性を欠き、その結果、社会観念上著しく妥当を欠く処分をしたものと評するほかはなく、本件各処分は、裁量権の範囲を超える違法なものといわざるを得ない」というべきである。したがって、翁長知事が職権により埋め立て承認を取り消したことにはまったく違法性がない。