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2019-01-31

「辺野古新基地建設反対憲法研究者声明」の記者会見(2019.1.24)参加者の発言メモ by 石川裕一郎

「辺野古」で問われているのは、この国の民主政治と立憲主義。

石川 裕一郎(聖学院大学)

 2018年10月31日、沖縄県知事選。オール沖縄が推す玉城デニー氏は、政権与党が推す対立候補に歴史的な大差をつけて圧勝した。それは辺野古新基地建設を進める政府に対してあらためて「NO」という沖縄の民意が突きつけられた瞬間でもあった。だが、その熱気も冷めやらぬ翌日、沖縄から1500キロ離れた東京において菅義偉官房長官は記者会見で、「政府としては早期に辺野古移設と普天間飛行場返還を実現したい考え方に変わりはない」と述べ、移設計画を進める考えを強調したのである。

 これと同じような出来事が、実はその2年前にもあった。2016年7月10日の参院選、やはり野党統一候補の伊波洋一氏が、現職で沖縄北方担当相であった自民党の島尻安伊子氏に10万票以上の大差をつけて圧勝した。だが、その勝利の報をからわずか9時間後、国は東村・高江の米軍基地ヘリパッドの工事を再開したのである。まるで、沖縄県民の意思を嘲笑うかのごとくであった。

 基地建設容認派の候補が「辺野古」への言及を避けつつ勝利を収めたケースを除けば、ここ数年の沖縄の選挙で示される民意が「辺野古新基地建設反対」であることは明らかであるにもかかわらず、その民意を逆撫でするような政府の行為が示すもの。それは、もはや政府は表面だけでも沖縄県民の懐柔を画策するという努力を放棄したということである。つまり、歴代の自民党政権が見せてきた(単なるポーズに過ぎなかった面があるとしても)「沖縄に寄り添う」姿勢さえ、現政権は見せなくなったのである。まさに、中央政府のむき出しの暴力が、人口比で全国の1%強に過ぎない沖縄に覆いかぶさってきたということである。

 その様は、性暴力とのアナロジーを想起させる。両者に共通するのは、圧倒的な物理的力と偏見に基づく社会の空気を背景に、自らと比べはるかに弱い者を黙らせようとすることである。詐欺や甘言ではなく、暴力で沈黙させるのである。その意味において、現在の沖縄は性暴力被害者と類似する。あるいは、そうとでも考えなければ、沖縄に対する上記のような政府の仕打ちは説明がつかない。そして、その現下の象徴が「辺野古」なのである。

 さらに、沖縄が置かれている現況は、偏に沖縄だけの現況ではない。それは、他の46都道府県のどこでも起こりうる(あるいは現に起きている)。あるいは、いま沖縄で起きている事象は、今後本土で起きるであろう事象の先取りでもある。オスプレイは、最初沖縄の空を舞っていたが、今や日本の空を事実上どこでも我が物顔で飛び回っている。日米安保条約や日米地位協定は、沖縄だけではない、日本全土を等しく米軍の自由活動圏域としているからである。

 要するに、「沖縄」問題とは、まぎれもなく「日本」問題である。つまり、沖縄で示された民意が蔑ろにされ、沖縄県民の人権が侵されている現状は、日本の民主主義と立憲主義が著しく劣化していることを示している。その意味において、政府による現在の辺野古新基地建設強行は、他でもないこの国の民主政治と立憲主義の危機の象徴なのである。

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