安倍元首相の国葬の実施に抗議する(声明)
2022 年 8 月 24 日 憲法改悪阻止京都各界連絡会議(京都憲法会議)
2022 年 7 月 22 日、岸田内閣は、安倍元首相の国葬を、内閣府設置法を根拠として、2022年 9 月 27 日に日本武道館で実施することを閣議決定しました。これにかかる経費はすべて今年度の予備費から支出することとし、国会での審議は行わない方針です。
京都憲法会議は、この国葬の実施は、以下のように、法的根拠がなく、日本国憲法の保障する人権を侵害するもので、さらに、民主主義ともあいいれないと考え、強く反対し、抗議するものです。
内閣府設置法は、国葬の法的根拠にはなり得ません
岸田内閣は今回の国葬を、内閣府設置法で内閣府の所掌事務とされている「国の儀式」として実施するとしています。たしかに、内閣設置法 4 条 3 項 33 号では、「国の儀式並びに内閣の行う儀式および行事に関する事務に関すること」を内閣府の事務としています。しかし、このような省庁の設置法の「所掌事務」というのは、単にその省庁が何を行う組織なのかを規定しているだけです。仮に、「国の儀式に関する法律」といったものがあり、その中で国葬の規定があれば、それこそが法的根拠と言えますが、「所掌事務」に「国の儀式」があるからといって国葬を「国の儀式」として行う法的根拠にはなり得ません。
吉田茂元首相の国葬は総理府設置法(当時)に基づいて行われましたので、今回と同じ構図ですが、当時も計画段階から同様の異論が出され、民主主義も新憲法も踏みにじることではないかという批判も出されました。佐藤栄作元首相についても国葬とする案が政府・自民党から出されましたが、明確な法的根拠が存在しないという内閣法制局の見解が大きな影響を与え、国葬とはならず、それ以降も国葬は実施されずに来ました。また、その後も元首相の国葬の案はありましたが、国葬に関する法令や基準が今に至るまで制定されていません。
国葬は、思想・良心の自由などを侵害し、日本国憲法とあいいれません
しかし、法律などの法的根拠があったとしても、国葬は、日本国憲法上、大きな問題を生じさせます。
国葬は、 国家に功労のあった人の死去に際し、国家の重要な儀式として国費を以て行う葬儀であり、国家がそれに値するとみなした人に対して、それに反対する人も含めて、国民全体として弔意を示していることを示そうとするものです。しかし、誰に弔意を示すかは、個々人の決定すべき問題であり、思想・良心の自由(日本国憲法 19 条)、表現の自由(同 21 条)によって保障されていますので、弔意を強制するような法制化はできませんが、弔意の強制がないとしても、特に、同調圧力が強い日本社会にあっては、国葬によって、社会全体としては弔意を示すことが当然かのような雰囲気が生み出されてしまい、事実上の強制が生じ、思想・良心の自由が侵害されることがたいへん危惧されます。
国葬の対象となった人は、政府やそれに追随するマスコミなどによって、礼賛されます。特に、政治家がその対象である場合、その政治家の評価は分かれることが通常と考えられますが、たとえ、立憲主義を侵害する多くの行為をした人であっても、その政治家に対する批判はタブーになります(安倍元首相については、憲法違反の秘密保護法・安保法制・共謀罪法の強行採決、モリ・カケ・サクラ問題などでの国政の私物化の疑惑、さらに説明責任も果たさなかった姿勢など、京都憲法会議もこれまで批判してきました)。さらに、その政治家の遺志を継承した政治勢力への批判もまた抑制的にならざるを得なくなります。国葬にはこういう「効果」もあり、民主主義の政治とはあいいれないものといえます。
財政民主主義にも反します
予備費からの支出については、日本国憲法 87 条では「予見し難い予算の不足に充てるため」予備費が認められており、たしかに「内閣の責任で」支出できることになっています。しかし、この支出は「予見し難い予算の不足に充てるため」という予備費の趣旨に沿ったものであることが必要であり、当該支出について国会で審議できる状況にあるのにもかかわらず、それをしないで、支出することは認められないと考えられます。これは、憲法 83条の定める財政民主主義に違反します。
以上、岸田内閣がすすめようとしている安倍元首相の国葬は、日本国憲法上大きな問題をもち、許されるものではありません。京都憲法会議は、岸田内閣に、閣議決定を撤回し、安倍元首相の国葬を実施しないことを求めます。
以上