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2025-05-02

憲法78年、沖縄にとっては53年―どう展望するか

小林 武(沖縄大学客員教授)

 朗々とした響きをもつこの日付、「5月3日」は、憲法78歳の誕生日。
今年2025年は、「昭和」100年・戦後80年にもあたり、それはすでに喧伝されている。ただ、この2つを意識的に単純に並べて後者の80年を前者100年に組み込んでしまい、1945年以前の20年間の軍国主義・帝国主義日本のありようを免罪し、あまつさえ美化する仕方が横行しており、要注意である。戦後80年が日本国憲法によって、どうであれ平和の時代として刻まれてきたことの歴史的な重みを、今年の「5.3」を迎えて再確認しておきたい。


 その日本国憲法は、1947年5月3日の施行であるが、沖縄に適用されたのは本土復帰の1972年5月15日であり、今年53年目。この25年間のタイムラグのもつ意味は重大である。沖縄は、1945年4月、大日本帝国が、住民を「銃前」に立たせる凄惨きわまる「沖縄戦」を敢行したため、たちまちにして米軍の制圧下に置かれた。その瞬間から、憲法(当時、大日本帝国憲法)を奪われた。9月7日の終戦でも回復されず、また翌46年11月3日公布の日本国憲法も届かないまま米軍による直接占領を受けつづけ、憲法を手にしたのは1972年であった。実に四半世紀の間、憲法の及ばない島が現代史において存在したのである。


 それにもかかわらず、ここで今、いかに強調してもしつくせないと思えるのは、沖縄の人々が、自分の手の中にはない日本国憲法の誕生を前にして、そのもとで生きることを願いつつ、同時に、別途の課題として本土でそれが蹂躙されずに活かされることを「普及」の言葉に込めて希求したことである。本土復帰直前の72年4月に設立された「沖縄県憲法普及協議会」の名称は、その点で不朽の名誉を担っている。そして、今に至るまで、沖縄県民は、日米両政府が、自衛隊と米軍の一体化をますます強めて、基地増設・軍事要塞化の軍拡政策を圧しつけているのに対して、ひと時たりとも抵抗をやめない。そして、その際に掲げられるものこそ、平和の憲法、とくに9条また平和的生存権である。


 本土復帰の前年、沖縄が名実ともに憲法のもとに復帰すべきことを情熱をもって論じた憲法研究者たち(吉田善明・影山日出弥・大須賀明)は、憲法をつぎのように見守っていた。「この時憲法がそれを破壊しようとする政治的動きのなかで木の葉のようにもてあそばれて波間に消えるか、それとも暗雲をふきはらうフェニックスとして再生するか、憲法をめぐる状況は、ただならぬ状況を呈しはじめている。」と(1971年・敬文堂、213頁)。それから半世紀。この鋭い緊張は、今に至るまで本質的に変わることなく日本社会を貫いてきたが、わが憲法は、見事に、民衆によって守り抜かれているのである。民衆が憲法を守り、憲法が民衆を守る。こうした関係が成立しているのは、近現代史において稀な事例なのではあるまいか。日本の真の近代革命の内実は憲法の実現を意味し(「憲法革命」)、それは100年にわたる人類史的事業である(深瀬忠一説)。そして、私は、それを切り拓き、達成する最前線にいる人々こそ、いちばんの苦悩を強いられてきたにもかかわらずーーさぞかしそれゆえに――いちばんの人類愛にあふれた沖縄の人々であるにちがいない、と信じている。 (以 上)

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