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2022-05-01

憲法記念日に寄せて−「市民的防衛論」・「小国」平和主義という選択肢

稲 正樹(元ICU)

 岸田政権は、国家安全保障戦略、防衛大綱、中期防の3点セットを年末までに改定して、敵基地攻撃能力の保有を安全保障政策の中に盛り込もうとしている。そうなれば、憲法改正を待たずして自衛隊は軍隊化される。対中国を念頭に南西諸島の軍事要塞化も進められている。

 自民党安全保障調査会は敵基地攻撃能力の呼称を「反撃能力」と変えた上で、その保有を政府に求める提言案を去る4月21日にまとめた。攻撃対象には「指揮統制機能等」も含めることにしたと報道されている。その中で防衛費については、NATO諸国が対GDP(国内総生産)比2%以上を目標とすることを念頭に「5年以内に必要な予算水準の達成を目指す」とした。

 GDP 2%の防衛費は10兆8880億円となり、アメリカ、中国についで世界第3位となる(半田滋『台湾有事で踏み越える専守防衛−敵基地攻撃と日米一体化』立憲フォーラムブックレット、2022年)。これまでの専守防衛という安全保障政策の根幹部分の転換が図られている。敵基地攻撃能力の保有の先には、アメリカの核兵器を日本に配備して共同運用するという核共有論がある。しかしながら、日本には50基以上の原発があり、そこを攻撃されれば壊滅的被害を受ける。日本が攻撃能力や核を保有すれば、相手国からの核攻撃にさらされる。

 習近平がこの秋に3期目の国家主席になれば、その任期は2027年までとなる。中国が5年以内に台湾に軍事侵攻するのではないかと、台湾有事が論じられている。台湾有事に米軍が参戦すれば、それは安保法制上の「重要影響事態」となり、自衛隊は米軍の後方支援を開始する。米中間の戦闘が続けば、米軍の損耗によって「存立危機事態」が発令され、自衛隊が米軍とともに戦う日本有事に発展する。

 ウクライナに対するロシアの軍事侵攻に関するいくつかの言説において、憲法9条では平和が守れないという主張が出てきている。しかしながら、軍事的徹底抗戦によってウクライナ国内では一般市民の苦難と死傷者、そして難民の国外避難が続いている。停戦を求める国際世論が現在の事態を動かすことは容易ではなく、その間にどれほどの死傷者が生じ、国土の壊滅的被害が続くのであろうか。

 このようなときにあたって、アメリカの政治学者ジーン・シャープ(Gene Sharpe)の「市民的防衛論」(Civilian-Based Defense)が参照されるべきである。彼の主著は、Albert Einstein Institute — Advancing Freedom with Nonviolent Action
https://www.aeinstein.orgで読むことができる。

 「市民的防衛」とは、軍隊ではなく一般市民を防衛の主体とし、非暴力手段によって市民生活を防衛する安全保障方法論である。軍事兵器を用いずに社会自体の力を用いて、国内での権力簒奪や外国による侵略を防止し防御する。武器として用いられるのは、心理的・社会的・経済的・政治的なものであり、このような武器の使い手は一般市民と社会における多様な組織である。
 「市民的防衛論」は、武装による専守防衛論でも無抵抗主義でもない。「軍事的な国防により軍事的勝利が保証されるわけではなく、敗北が常に起こり得る」として武装による専守防衛論を批判し、他方で「侵略に対して無抵抗の白旗論もとり得ない」という立場に立つ。市民的防衛は軍事力を用いないが「非武装」ではなく、心理的・社会的・経済的・政治的な武器を駆使して不正な侵略・占領に対し抵抗するための方法論である。
 武装による専守防衛論の問題点としては、①戦争が段階的に拡大する可能性、②一般市民の間に膨大な死傷者がほぼ確実に生じる。最終的に勝利できたとしても、長期的な社会的・経済的・政治的・心理的な影響が残る。武装による防衛と比較して、市民的防衛の方が、死傷者、破壊の双方において遙かに少ない程度で済む傾向がある。

   市民的防衛は、国防という課題に対し、精緻で改良された形をとる多様な非暴力行動・非暴力闘争の技法を駆使する。この技法は、一般市民や、社会における様々な集団、組織により用いられるものであり、事前の準備・計画・訓練が必要とされる。非暴力抵抗の基礎的研究、攻撃者の政治組織の詳細な分析、厳しい抑圧に直面した場合にいかにして市民の抵抗力を持続的に強化できるのか、攻撃を受けた場合に最も有効な情報交信網を維持することができるか等をめぐる研究に基づき、非暴力の闘争形態を可能な限り有効にするためには何が必要かを理解し、攻撃者の弱点を的確に衝く方法を考察することが、市民的防衛が成功する条件とされる。
 市民的防衛は、政治権力というものが社会における源泉に由来するという理論に依拠している。この権力の源泉を拒否し分断することを通じて、大衆による支配者の抑制と侵攻者の打破が可能になる。(以上は、麻生多聞『憲法九条学説の現代的展開−戦争放棄規定の原意と道徳的読解』法律文化社、2019年などを参照)。

 千葉眞は「『小国』平和主義のすすめ−今日の憲法政治と政治思想史的展望」(思想1136号、2018年)において、以下のように論じている。日本国憲法は、その「徹底した平和主義」の見地によれば、国連の安全保障常任理事5大国の「軍事主義」的政策とは基本的に一線を画す非戦主義の立場に依拠し、世界平和への日本の役割として「小国」平和主義を志向している。
 仮想上はいくつかの道(選択肢)がある。一つは自衛軍あるいは国防軍を設置し、改憲を通じて現在の第9条第2 項を削除するか骨抜きを計り、日本を通常の軍隊を有する「普通の国」とし、抑止力としての軍事力拡大の路線を模索する道−「よく通られた道」−である。これと正面から対決するもう一つの選択肢は、「小国」平和主義の道−「人があまり通っていない道」−である。この二つの道を分つものは、第9条を改定して日米同盟の強化を求めていくのか、国連との提携をさらに深めて日米同盟を相対化し、第9条の徹底した平和主義を活性化していくのか(活憲)である。そして後者の選択こそ、21世紀の将来の日本の活路がある。それは「人があまり通っていない道」であるが、同時にそれは「誰かが通るのを待っていた道」でもある。日本の主権者である民衆と政府には、世界平和への政治的意志と地道な歩みが求められている。

 「小国」平和主義の道に対しては、丸腰論ではないかという批判が当然出てくる。それに対抗するために、軍事力を用いないが「非武装」ではなく、「心理的・社会的・経済的・政治的な武器」を駆使して不正な侵略・占領に対し抵抗するための方法論である、ジーン・シャープの「市民的防衛論」がもっと検討、研究されてよい。

 「市民抵抗は、たんに軍事的防衛の「添え物」ないし「飾り」ではなく、軍備による安全保障政策に「全面的あるいは部分的」にとって代わるものではないか。それは具体的にどのように、どの程度に、実現可能であり、効果的なのか。党派やイデオロギーを超えて真剣に討議されるべきだろう」(深瀬忠一「非暴力行動と政治の一考察–「市民抵抗」による防衛について」北大法学論集36巻1・2号、1985年)という指摘を、改めて噛み締めている。 

 付記:本稿は、クリスチャン新聞(2022年5月1日4面)への寄稿文と一部重複しています。

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