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2018-06-04

憲法の歴史を歌や小説・映画などの大衆文化から知るトーク&ライブ

第2回楽しく聴いて知るコンサート

 

志田陽子さん(武蔵野美術大学教授)が「第2回楽しく聴いて知るコンサート」に出演しました(2018 年 5 月 28 日、 大田区民音楽ホールアプリコ)。憲法の歴史を歌や小説・映画などの大衆文化から知るトーク&ライブです。当日の様子がツイキャスで動画配信されました。

そのリンクはこちらです。

当日のレジュメは以下の通りです。

1 「夢やぶれて」
「レ・ミゼラブル」にユゴーが託した夢

1776 年、アメリカ独立宣言。アメリカはイギリスか らの独立とともに、君主制・身分制を否定して、自由で平等な民主主義国家を誕生させた…はずだった。 1789 年、フランス革命。民衆は、君主制と貴族身分 の特権を廃止し、自由で平等な民主主義国家を誕生させた…はずだった。が、弱者にとって、その後の社会はめざされた「夢」とはほど遠いものだった… 世界の憲法の歩みは、何百年もの時間をかけて、そうした思考錯誤の中で作られてきました。ユゴーの小説 「レ・ミゼラブル」は、フランス革命後の悲惨な社会状況を「もう一度変えたい」と考えて立ち上がった人々 の、希望と悲劇を描いた物語で、当時の社会背景が描きこまれています。この物語がミュージカルや映画に 翻案され、愛され続けているのは、人間が人間らしく 生きられる社会に必要なものを描き出しているからではないでしょうか。主人公一人の手ではとても果たせなかった多くの課題を埋めるのが、その後の憲法の発展に託された仕事だったといえます。この物語の中の主要人物はほとんど死んでいきますが、その後、世界は二百年の時間をかけて、彼らが願った福祉政策や人権侵害を防ぐルールを持つ社会へと発展してきました。

2  Old Black Joe
生と死をめぐる自由と権利の問題

世界中で民主主義と平等を実現し、それを確認する「憲法」の制定が広まった19 世紀、アメリカでは、貴族身分は認めないとする「平等」を実現はしたものの、 「自由人」と「奴隷」という身分制度が残りました。 18 世紀から 19 世紀アメリカの歌には、奴隷制のもとにあった黒人、奴隷解放後さらに貧困に追い込まれた黒人の様子が多く描かれています。 たとえば黒人民謡として有名な Old Black Joe の歌詞は、死を待ち望む歌です。当時の黒人の労働歌や民謡は、白人の目をかわすため、敢えてバカバカしさ・ 陽気さを前面に出し、苦しみを訴える部分はわかりにくく埋め込まれています。だから、ちらりと垣間見えるシリアスな部分は、最大限にクローズアップして考える必要があります。 奴隷制があった時代、黒人奴隷は自殺を硬く禁じられ ていました。奴隷貿易のため船荷として船に積み込ま れた黒人たちは、海に身を投げて死ぬことを防ぐため に重い鉄の鎖でつながれていました。もちろん、死の自由の前に、生きる自由と、生きるのに必要な条件を 得られる福祉の確保が必要です。恵みとしての「死」 を希(こいねが)う歌から翻って、あらためて生きる自由と権利を確認することが必要でしょう。

3  Amazing Grace
奴隷制度廃止と議会政治

人間は平等である、不当に拘束して奴隷として使ってはいけない、ということは、今では「日本国憲法」14 条(法の下の平等)や 18 条(奴隷的拘束の禁止、意に反する苦役の禁止)で保障されている当たり前のルールです。しかし、このルールを確立するにも、人類 は大変な時間と労力を必要としました。 18 世紀末から19 世紀にかけて、奴隷制と奴隷貿易は、大変な利益を生み出す産業でした。Amazing Grace は、この時代、奴隷制廃止運動の中で歌われた シンボル・ソングです。讃美歌のメロディに、元奴隷 船の船長だった人物が、自分の過去を悔いて作った歌詞を載せました。イギリス議会で少数派の議員たちが 奮闘した時期、当時、この歌とともに大量の署名が集まったと言われています。女性にはまだ参政権がなか った時代、請願への署名という形で、女性たちが大きな力を発揮しました。人身売買の禁止は、今も、国際社会における人権の最重要課題です。イギリスでは 2015 年、企業に対して あらためて人身取引を禁止し取り組みの報告を促す 「現代奴隷法」が制定されました。奴隷制克服の課題 は、まだ達成されたとはいえない、現在の課題といえます。2012 年の自民党憲法改正案では、憲法18条 から「奴隷的拘束」という言葉が削除されていますが、これは世界の尽力の方向に逆行します。

4  朝日の当たる家 The House of Rising Sun
家族内マイノリティ問題の克服に必要なもの
(訳詞 志田陽子。伝承民謡の歌詞からの訳。
浅川マキ訳を参考にしています)

夫がギャンブルと酒に明け暮れ、生活費もままならな い。そんな毎日に耐え切れずに家を出た女が身を寄せることのできた場所は、この売春宿しかなかった、と いう内容の歌です。作者不詳の伝承民謡として歌い継がれてきたということは、このような人生を生きた人が少なからずいたということでしょう。このような現実を軌道修正するために、「国連女子差別 撤廃条約」や「家庭内暴力(DV)防止法」があります。そして日本国憲法 24 条も、家族・婚姻の制度を 存続させつつ、女性がこのような従属的状態に置かれるような制度とならないように、国家に対して適切な 家族制度を作るよう命じています。 国連女性差別撤廃条約は、差別を禁止するだけにとどまらず、平等を阻む貧困問題や社会慣習があるとき、 それを克服する措置をとることを各国に求めています。 貧困の中で他に選択肢がない状況(社会構造)は、「鎖」 に匹敵する拘束となってしまうため、国や自治体の支援が必要です。世界ではこの問題はより現実化・深刻化しています。日本国憲法 24 条、18 条ともに、改正するにはまだ未達成の課題が多すぎます。課題への あらためての気づきのほうが必要です。

5  Over the Rainbow(虹の彼方に)
「夢」を掲げた LGBT の権利運動

映画「オズの魔法使い」の主題曲です。「虹」が多様性を表すシンボルであることから、マイノリティの権利と多様性を訴える集会イベントでは、よく虹の絵とこ の曲が使われます。とくに LGBT(性的マイノリティ) の権利を訴える「ゲイ・パレード」では、この曲がよく使われます。イギリスでは同性愛者処罰法が 1967 年までありました。アメリカでも 21 世初頭まで「ソドミー法」と 呼ばれる法律が事実上の同性愛者処罰法として存在し ました。これによって同性愛者(LGBT)の全体が準 犯罪者として扱われることとなり、1960 年代、職業上・社会生活上の差別と警察による監視が激化します。しかし裁判所の姿勢も 1990 年代から変化します。裁判と社会運動の関心は、処罰からの自由から、結婚の 権利をめぐる平等へと、焦点を絞っていくことになり ます。 そして 2015 年 6 月、アメリカ連邦最高裁は「同性婚を認めないのは憲法違反」との憲法判断を出します。 台湾でも、2019 年 5 月までに同性婚が法制化される見込みと報道されています。 日本では、法務省 HP で理解と差別解消への啓発 (2014 年~)、2015 年渋谷区・世田谷区の「パー トナーシップ条例」、2018 年千葉市で職員向け LGBT への理解を促すガイドラインを公表、と言った動きが続いています。 日本で同性婚に道を開くには、憲法改正は必要でしょうか。私は不要であると思います。

6  What a Wonderful World
アイロニーのこもった反戦歌だった

作者のボブ・シールはベトナム戦争を嘆き、平和な世界を夢見て、この曲を書いたと伝えられています。 1968 年にアルバムが発表され、その後 1987 年の 映画『グッドモーニング, ベトナム』で、戦時中の南ベトナムの牧歌的田園風景とその中で起きるテロや空爆等戦場の現実を映す場面で、BGM として起用されました。 戦場の現実を目の当たりにしながら兵士の士気を上げるために陽気なトークを演じ続ける DJ の目を通して、 戦争というものが当初の目的・大義を離れて殺戮その ものを自己目的化していく流れが描かれます。

7  「童神」(わらびがみ)
沖縄の人々の無念と希求

沖縄の歌手・古謝美佐子さんの歌です。この歌は、米軍属暴行殺人事件を受けて行われた抗議集会「6・1 9沖縄県民大会」のオープニングで歌われました。参加した名護市長は、被害者の女性に我々が「風かたか」(風よけ)になってやれなかった、と悲しみの言葉を述べました。 もともとは子守唄として親しまれた歌ですが、健やか に育ってほしい次の世代に向けて、このように謝罪しなければならない人々の悲しみが加わり、基地問題で 苦悩する人々にとって特別な意味を帯びる歌となりました。 真の平和の保障は、まず、身近な差別と暴力の克服か ら。現実の人間が安全に生きられる社会作りに焦点を当てた取り組みを「人間の安全保障」と言います。「全 体の利益のためには、この人々は巻き込まれて生活を破壊されても仕方ない、重大な問題ではない、見て見 ぬふりをしておこう」という感覚を持ってしまっては ならないのです。私たちが平和と安全について考えるときには、まずこの感覚を克服する必要があります。

8  Danny Boy
無事と再会を願う思いは永遠に

この歌はもともとは恋人に別れを告げる歌とも親子の歌とも受け取れますが、アメリカでは戦死して帰らな くなった子を悼む歌として受け止められるようになってきました。第二次世界大戦中の日本では、このよう 歌は、歌うことを許されなかったでしょう。 日本国憲法前文には「平和のうちに生存する権利」が 掲げられています。この権利は、自分たち(日本国民) が被害を受けない権利を含みますが、それだけではな く、世界の国民がこの権利を持っている、という条文内容になっています。このことは、私たちが世界の国民の「平和のうちに生存する権利」について考え配慮 する責任を負っている、ということを意味すると思います。その責任をどう考えるかを、国民の「権利」と して国民に託しています。そこに侵害が起きたときには、裁判に訴える「具体的権利」となりうることが裁 判で確認されています。(イラク自衛隊派遣違憲訴訟・ 2008 年名古屋高裁判決)。そして、この裁判では、「平和のうちに生存する権利」には「加害者になりたくない者の権利」も含まれるとの主張も行われました。 そして近年、《還れなくなる人》には2種類あることが わかってきました。戦死によって物理的に還れなくなる人々がいる一方、身柄は帰還できても、戦場での体 験が PTSD 症状となって本人の中に残り、その後の日 常生活に戻ることができない人々がいる、という問題が明らかになっています。PTSD の原因には、死の恐怖に直結する過酷な体験や、人間としての良心に深い 傷を負う加害体験があると考えられています。 日本国憲法前文の「平和のうちに生存する権利」は、 これから世界との連携の中で重要な役割を果たすべき 権利です。それを削除する憲法改正は、人類の努力の 方向に背を向けることになります。それより、「還れない人々」をこれ以上出さないために何をすべきか、で きるかを考えるのが、日本の役割ではないでしょうか。

9  虚空の名前(そらのなまえ)
無事と再会を願う思いは永遠に
(作詞作曲 志田陽子)

空は時代を問わず、人々の夢と憧れの対象でした。気 象、天文、宇宙物理などの科学技術は、それぞれ直接 に、軍事上の重要な情報となり実践的技術として応用 されます。1960 年代、宇宙開発競争の幕開けも、冷戦当事国(米ソ)の軍事ミサイル技術の開発競争から 始まったものでしたが、その危険性が反省され、宇宙での開発実験は平和目的に限られてきましたが、近年、その原則が揺らいでいます。 2014 年、武器の製造と輸出が閣議決定により解禁されました。これによって多くの企業が兵器の製造と輸出に乗り出すこととなりました。日本の大学機関に所属する科学者は、第二次世界大戦後、平和国家の理念 にのっとり、「軍事目的のための科学研究を行わない」 との方針を共有してきました。しかし近年になって、 防衛省や外国の機関から、多額の研究費提供を伴う軍 事研究の募集が行われ、この流れと学術研究倫理との 間に厳しい緊張関係が生まれています。この《分かれ 道》を、大学と大学所属の研究者は、どう受け止める べきか… 現代の殺傷型兵器は、殺傷を連想させません。多くの 人は、意識することなく、加害に間接的に加担するこ とになります。その筋道を理解している科学者の苦し みは、共有されにくい特殊なものになりがちです。日 本の「空」の問題は、軍用機の飛行のあり方や現実に 起きている事故が住民に与える被害・不安の問題を見 ると、深刻化してきています。こうした問題が、民主 プロセスでの議論なしに決定されていくシステムに、 大きな問題があるのではないでしょうか。

10  Now I’m Here
国家に憲法が寄り添い続けることが「立憲主義」
(作詞作曲 志田陽子)

「立憲主義」って何だろう。私は、氾濫しやすい河に 護岸工事をして、河の流れ(水のエネルギー)を人々 の役に立つ方向に導く仕組みのことだと思います。河 の水が人びとの自由な暮らしやコミュニケーションを 台無しにするような流れ方をしてはいけない。そのた めに「憲法」というルールを護岸壁として立てて、国家の強大なエネルギーを、人権保障や人間を生かすた めの政策へと方向づける。 そのような役割を果たす「憲法」は、その時々の国政 担当者には、口うるさい古女房のようで、「うざい」こ とでしょう。しかし、うざいからと言って捨て去って しまったり、護岸壁としての役に立たなくなってしま う改築をしてしまっては、立憲主義そのものの否定になってしまいます。 「忘れないで 私はここにいるから」と言い続けるこ とが今、必要であるように思います。

11  Imagine
銃弾に倒れた Dreamer たち

この曲も、世界で憂慮すべき出来事が起きたときに集 会の場で歌われる歌として、社会文化を表す歌の一つとなっています。社会の憲法現象を動かすような「夢」の担い手となりながら、暗殺の犠牲となった人々につ いて考えてみると、奴隷制廃止を含めて、平等社会の 実現を目指した人々が多いことに気づかされます。そ れは、平等の実現が現実的な利害に深く結びついてい るからでしょう。
・1865 年:リンカーン
・1963 年:J・F・ケネディ
・1968 年:キング牧師
・1995 年:イクバル・マシー:パキスタンの児童奴 隷労働業者の告発に協力、アメリカで賞を受けるが自 国内で銃撃され死亡。
・2012 年:マララ・ユスフザイ:パキスタンで女児 が教育を受ける権利を主張、銃撃を受けるが一命をとりとめ、2014 年、17 歳でノーベル平和賞受賞。
・暗殺ではなく、銃乱射事件を含めれば、銃で命を落 とした人の数は膨大なものとなる。米フロリダ州の高 校での銃乱射事件を受け、高校生が呼びかけた「私たちの命のための行進」がワシントンだけでなく全米の 各都市や世界各地に広がった。キング牧師の孫も行進に参加し、「私には夢がある」という言葉を発言しまし た。平等の重要原則は、日本の歴史と、世界の歴史の中で、時間をかけて確認され、憲法という文書に盛り込まれてきました。私たちが手にしている権利は「人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果」(憲法97条)だと いうことを忘れてはならないでしょう。

12  夢の話
今日の自由は次世代への責任

教育の現場で、「内容が政治的」という理由で学童の作文が文集に掲載されなかったり、国連軍縮会議での高校生スピーチが中止になったり・・・。社会教育の場面でも、「九条俳句事件」がありました。夢を語ろうとする 意欲が、政治の都合や「憲法アレルギー」によって塞がれることは、表現の自由や思想良心の自由を保障した憲法に逆行します。次世代を担う人々を、管理の対 象として見るのではなく、人権の主体として支える思 考を、憲法は目指しているはずです。夢を語ろうとする人々の意欲を冷笑したり黙殺したりしないこと、「あ なたの夢の話をきかせてほしい」と言うことは、今すぐにでもできる《社会の空気づくり》です。将来の世 代に「ごめんね」と言わなければならない社会ではな く、「うざい」と言われながら「この自由な社会を維持 してきた私たちをもっと尊敬しなさいよ、こら」と笑 いながら言えるような社会を、残したいですね。 平和も、一人ひとりのライフスタイルの自由も、その 権利を必要とする人々が声を上げることで、少しずつ 実現へと近づいてきました。現在、私たちが「自由」 として意識しているものが、後世の人々にとっての足 場を提供するという意味では、次世代への責任となり ます。歴史を歪曲・修正せずに伝えることの重要性も そこにあります。古くから歌い継がれてきた民衆の歌にも、そうした「声」が見え隠れしているものがあります。憲法も、そうした文化の力との協働関係の中で 発展してきたと思います。

【画像・動画作成協力】武蔵野美術大学学生有志
※このプログラムの内容は、2017 年度武蔵野
美術大学教育改革助成の成果の一部です。

【文責】志田陽子(武蔵野美術大学教授)

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