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2019-01-29

「辺野古新基地建設反対憲法研究者声明」の記者会見(2019.1.24)参加者の発言メモ by 志田陽子 

声明の社会的位置づけと、今後のこと    志田陽子(武蔵野美術大学)

(1)「民主主義のプロセス」

 日本国憲法が採用している「民主主義」のプロセスは「選挙」だけで終わるものではありません。

 憲法が採用しているグランドデザインを、国政担当者が理解する必要があります。

 すなわち、日本国憲法は、「請願権」の保障や「表現の自由」の保障、そして95条の住民投票などから考えて、そのグランドデザインにおいて、「選挙で一度、国政ないし地方行政の担当者を選んだらすべてを委ねたことになる」との考えは採用しておらず、後から個々具体的な問題に関して市民・住民からの意思表明が必要となったときに、これを為政者に伝える行為は正当であり、為政者の側がこれを誠実に斟酌すべきことを想定した仕組みをとっています。辺野古の問題も、そうした中に位置づけて考えるべき問題です。

 現在、多くの沖縄県住民が表明している反対は、憲法が本来想定し保障している意思表明のあり方のひとつとして位置づけられるものであって、決して軽視・黙殺してはならないものです。これを無視した土砂の一方的な投入は、憲法の許容する限度を超えています。まして県民投票は憲法の趣旨からしてもっとも尊重すべき意思表示の機会であって、最大限尊重されなければなりません。

(2)「人格権」

 また、民主政治のプロセスの問題と並行して、人権論として、今回の土砂投入は憲法13条に含まれる「人格権」を侵害しています。このことは「環境権」の侵害と重なる部分もありますが、そこに収まらない部分を補足しますと、近隣の土地への、威力を用いた環境汚染および「平穏な状態の破壊」は、人格権のなかの「平穏生活権」を侵害しています。

 とくに、通常の民主主義の手続や社会プロセスのあり方を信頼し期待していた人々の中には、それが無に帰したことへの「怒り、不安、いてもたってもいられない焦燥感」を感じている住民が多くいることを聞いていますが、それは法の議論に乗らない主観や感情として軽視されるべきものではなく、法的な《権利侵害》と言える事柄です。

(3)この声明について

 この声明については、研究者の見解表明だけに終わらず、市民・住民の方々に活用していただけることを願っています。市民・住民の方々がさまざまな立場において持っておられる「生の声」にたいして、「それを公共的な討論に乗せるときの言葉として組み立てるとこうなる、熟議の場面で使える言葉としてはこうなる」といった形で、参考・利用していただければと願っています。また、市民・住民の方々が署名活動や講演会といった形で、民主プロセスの担い手として行動なさるときにも、熟議の場面で使える言葉として、活用してほしいと願っています。

 そのためにも、各種媒体でのご紹介をぜひお願いしたく思っております。

 一般市民の方々によるネットでの拡散も、ぜひお願いしたく思っております。

以上

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