批准待ち少年焼き場に立ち通す
稲正樹
最近、深谷松男『二一世紀の友に贈る平和へのメッセージ』(キリスト新聞社、2025年)という本を読みました。著者は1933年生まれの民法学者で、金沢大学名誉教授、宮城学院長として長くキリスト教教育に携わってきた方です。
その本に以下のように指摘されていました(133-134頁)。
「批准待ち少年焼き場に立ち通す」(瀬川重哉、朝日川柳2020年8月22日)。近年、この一句に引き付けられました。長崎の被爆者を写した多くの写真の中で、ひときわ心を打たれる一枚があります。宵闇の中、死んだ弟を背負って焼き場で順番を待って立つ一人の少年––小学五、六年生でしょうか––の写真です。こう記しただけで、多くの日本人はこの写真を見た記憶があると思い起こすことでしょう。おそらく、家族や知り合いの人は皆被爆してなくなり、一人残されたこの少年は死んだ弟を荼毘に付すべく、順番待ちの行列の後ろに立っているのです。耐え難い悲痛を胸に、顔を上げ、唇を噛み締めて立ち通す少年。この川柳の作者は、核兵器の深刻な危険の現実を世界の国々の中で唯一体験し、熱い思いで核兵器禁止条約の批准を待つ日本国民をこの少年と重ね合わせて見ています。そしてただ一句で、核禁反対論・橋渡し論への不信を突き付けています。
なお特に、この句を政治家たちがどのように受け止めたか。前掲川柳の作者がその後発表した次の句は、核禁条約批准という責務への指導的政治家の詭弁ないし怠慢をさらに指摘するものでしょう。「批准未(ま)だ少年焼き場を立ち去れず」(朝日川柳2021年10月23日)。
私たちは既に、日本国憲法がその前文において宣言している平和主義につき丁寧に学びました。私たち日本国民は、諸国民の公正と信義に信頼し、平和のうちに生きる権利を高く掲げて、戦争の放棄を憲法の大原則として制定しているのです。核兵器禁止条約が国連総会で可決される時代に入って、改めて日本国は、いや私たち日本国民一人一人はそれぞれ、そのこころと生きざまにおいて平和への真実の姿勢を明らかにしなければならないと思います。これは国際秩序の真のあり方に関わる問題ですが、それはまた、一見小さく見えても、自分の生き方と人生に深くかかわっている問題ではないでしょうか。
この文章を読んで、改めて、2021年に発効した核兵器禁止条約(TPNW)に日本が加入して、その後に、日本、韓国、DPRKの三カ国が非核兵器地帯を構成し、周辺の三つの核兵器保有国(米国、ロシア、中国)が非核兵器地帯を尊重する義務を負うという東北アジア非核兵器地帯条約を実現していくことの必要性を感じました(スリー・プラス・スリー案の詳細は、梅林宏道『非核兵器地帯条約−核なき世界への道筋』岩波書店、2011年)。
冷戦下の同盟関係を構成してきた「ハブ&スポークス」に代わって、これからは「ネットワーク構成国」(政府が「同志国」という言葉を用いる場合もある)が演習や訓練を通じて「縦横にかつ折り重なって」相互に結びつき、「格子状」に「相互一体」となって敵国への抑止力を強化するというネットワーク安保の時代を迎えていることが、指摘されています(古関彰一『虚構の日米安保–––憲法九条を棚に上げた日米関係』筑摩書房、2025年、280-281頁)。日本がアメリカの核抑止戦略に絡みとられ、さらなる対米従属下の下での軍事大国の完成という転落の道を転げ落ちるのではなくて、近隣アジア諸国民との協力・協調を実現する道を真剣に探り、宿痾の安保体制から脱却して、主権国家としての再生の展望を持ちたいと考えます。
コーネル大学の酒井直樹は『ひきこもりの国民主義』(岩波書店、2017年)という本の中で、「「パックス・アメリカーナの終焉とひきこもりの国民主義」について、以下のように論じています(初出は、思想1095号、2015年7月)。
自民党の右翼政権は、帝国の回復を謳うために靖国神社に参拝するなどといった儀礼を繰り返しているが、彼らが回復しようとしているのは、明治体制下の大日本帝国などではなくて、せいぜい1950年代から1960年代にかけて、A級戦犯が先導して作られた「下請けの帝国」であり、この「下請けの帝国」をどうにかしてもう一度回復しようとしているに過ぎない。合州国の後押しで政治復帰を果たすことのできた「戦犯保守」にとって一番都合のよかった当時の国際状況が、あたかも現在も継続しているかのように、彼らは振る舞おうとしている。彼らが回帰しようとしているのは戦前の帝国の栄光ではなく、「下請けの帝国」の古き良き時代なのだ。彼らにとっての「美しい日本」とは、合州国の庇護の下に、「帝国」の下請けを合州国に仰せつけられるような日本であり、それは安倍の祖父岸信介がかつて「封じ込め政策」の下で作り上げようとした反中国の日本なのだ。一見すると、強引に見えても、彼らの国際世界のビジョンは「夢よ、もう一度」という懇願に裏打ちされたノスタルジアを超えることはない。すっかり変わってしまった東アジアの現実を否認し、古い「慰安に満ちた」過去の帝国日本の像へ回帰することが、彼らの現実路線であるらしい。彼らは、パックス・アメリカーナの黄昏に脱植民地化の未来の可能性を見る代わりに、過去の慰安に満ちたノスタルジアの中にひきこもろうとしている。
経済界、政界、官僚(例えば「原子力ムラ」を維持させている勢力を含めて)における戦後日本の保守の独裁体制は、むしろ、現在の中国指導者がとっている大国主義的な外交政策を口実にして、日中関係を意図的に悪化させることを通じて東アジアに広く存在している中国に対する恐怖感を煽り、合州国が中国中心の太平洋横断秩序に移行することをどうにかして妨害しようとしているようだ。そして、戦後の「下請けの帝国」を可能にしていた歴史的条件が失われてしまった事実を見たくない、「下請けの帝国」として享受した豊かさや植民地主義者としての矜持、つまり、周辺のアジアの人々を轟然と見下すような傲慢さをいまでも保持できるはずだ、という一方的な思い込みに固執する。つまり、日本が冷戦下で享受してきた、合州国との関係では植民地であり東アジアとの関係では「下請けの帝国」である、二重の植民地主義体制から脱出しようとする意欲を喪失していて、過去の良き時代に固定されてしまっていて、未来への進取の気概を見失ってしまっているのだ(220-222頁)。
私たちは、パックス・アメリカーナの黄昏の時代に「下請けの帝国」として、「自由で開かれたインド太平洋」(FOIA)のお先棒を担いで右往左往するのではなく、「パックス・アジア」=単独の「大国」の覇権のもとでの平和体制ではなく、協商主義というか、権力の均衡と共同体を重視したかたちをとる=といった、新しい世界秩序を構想していくべきだと考えます。