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2017-11-25

家族:開かれた憲法論に向けて―個人・尊厳・平等(志田陽子 武蔵野美術大学教授)

以下は、9条科学者の会・日本科学者会議共催の『日本の政治はどこへ向かうか 2017秋の講演会』における、志田陽子さん(武蔵野美術大学教授)の講演レジュメです。個人・尊厳・平等にもとづく家族論、開かれた憲法論を論じています。是非ご一読ください

 


9条科学者の会2017年11月25日講演会

家族:開かれた憲法論に向けて――個人・尊厳・平等

                      志田陽子(武蔵野美術大学教授・9条科学者の会共同代表)

 

はじめに

 国連女性差別撤廃条約とその委員会による2016年3月の「見解」

 日本の家族・男女平等・ジェンダー問題の領域に必要な《他者の目》

 女性差別撤廃条約が指摘する課題⇒まだ十分に可視化・認識されていない不利益や負担を、法的に斟酌すべき社会的事実として認識し整理する必要が。

 政府がこの課題を十分に認識できない場合には、国民がこの課題の担い手になる必要がある。

1.日本の現状――2015年時点での裁判の到達点と、山積する課題

(1)日本の最高裁判例

 日本国内で近時に出されてきた一連の最高裁判例の要点

 ① 2008年の国籍法違憲判決(最大判平成20年6月4日)。フィリピン国籍の母と日本国籍を有する父との間に婚外子として出生した原告らが、国籍法3条1項を憲法14条「法の下の平等」違反で訴えた。⇒法令違憲判決。

 ② 2013年の婚外子相続分規定違憲決定(最大決平成25年9月4日)。法律婚をしていない男女間に生まれた婚外子(非嫡出子)の相続分を、法律婚による子(嫡出子)の半分とする民法900条4号但書の規定は憲法14条「法の下の平等」違反だ、との決定。

 ③ 2015年の再婚禁止期間規定一部違憲判決(最大判平成27年12月16日)。女性だけに6カ月間の再婚禁止期間を定めた民法733条1項の規定について、最高裁は、このうち100日を超える部分を憲法14条1項(法の下の平等)、24条2項(両性の本質的平等)に反し違憲と判断。100日までの期間は、父子関係を確定して、子の法的な身分を安定させることに合理性を認め、合憲とした。

 ④ 2015年の夫婦同姓規定合憲判決(最大判平成27年12月16日)。夫婦同姓を義務付けている民法750条は憲法13条、14条、24条に違反するとの主張に対し、最高裁は、同規定を合憲と判断。

(2)山積する課題

 貧困の女性へのしわ寄せ(アメリカ民謡『朝日のあたる家』)

 現代の国際社会に残存する「人身売買問題」

 働きたい女性にとっての障壁――育児の負担と施策の遅れ

 教育と貧困の相関関係を直視した政策を

 弱者虐待――幼児虐待(育児放棄)、家庭内での老人虐待(介護放棄や殺人)、

 施設内での障害者や高齢者への虐待など。

 育児・介護の負担が個人の限界を超えたときの施策の不足

 夫婦同姓強制による現実的な不利益・負担

 LGBTの権利実現の遅れなど

   ――同性婚、または婚姻と同等の実利効果のあるパートナーシップ制度

 これらの問題は、すべて女子差別撤廃条約および委員会において重要関心事。委員会からの見解・勧告に、加盟国を直接に拘束するような強制力はないが、国際条約は本来、加盟国が国内実施する責任を負っている。

(3)《社会の変化》と負担の可視化、価値選択

 これらの判決に共通する思考枠組み:《社会の変化があったため、問題となった規定(立法趣旨・立法目的と規制の関係)の合理性が失われた》。

 ・変化したもの:実際に「変化」したのは、15名の裁判官の意見中の合憲論・違憲論の数バランス(とくに2013年判決は全員一致)。意見の分岐は、主に司法と立法の役割配分についての見解の相違。多数の裁判官がこれらの規定を違憲とする見解を持ちながら、合憲判決を出していた。

 ・《社会の変化》を違憲判断の根拠とする論法の落とし穴(あるいは背理):2015年の夫婦同姓規定合憲判決では「夫婦同姓は社会に定着している」。⇒夫婦別姓や同性婚のように、それを認める制度がないところでは、当事者は、現行の選択肢を選択せざるを得ない。制度を変えない限り変化できないという状況で、「社会の変化の有無」を決定的な判断材料とするかぎり、憲法が要請する基本原則が深刻に阻害されていればいるほど、違憲判断の可能性が遠のく。そうなると、国に立法裁量を認めつつそこに「個人の尊厳と両性の本質的平等」を守るというタガをはめた24条の意味が失われてしまう。

 ・女子差別撤廃条約は、2条のfで、女性差別となる法制度の改廃だけでなく、社会のほうの慣習・慣行を修正・廃止することも締約国に求めている。条約の趣旨からすれば、裁判所は《動けない社会の実態》を合憲判断の根拠にするのではなく、法制度への修正を促すことで社会の動きを解放すべき。

2.日本国憲法24条(現行)の確認

 第24条  婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。

 ② 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

(1)条文が目指しているものと、価値観の競合

 中心的な意味:強制結婚の禁止・家父長制の解体と、個人の尊厳、婚姻の自由

 「個人の尊厳」から見る家庭内弱者への視点

 家族と婚姻をめぐる社会的現実や人々の意識は、せめぎ合う複数の価値観の間で揺れ動いている。

 ・戦前の社会文化規範を「よき伝統」として懐古する家族道徳観

 ・憲法が目指す解放的かつ開放的な方向性

 ・封建的・身分制的な家制度からは脱却しつつ、男女の役割分担の固定を前提とする「近代家族」は、その妥協の産物。そこに内包される軋轢は、主として女性が吸収してきたが、現在、その無理が噴出している。

 強制結婚のように現行憲法が否定したものをそれとして認識し、家族制度から取り除かなければならない。その作業は、まだ終わっていない。

(2)憲法13条、14条、24条の解放性と開放性

 憲法24条の中核部分は、《過去の家父長制的な家制度(強制結婚のような、女性の人格的自律を否定してきた法制度)からの解放》。そこから先、解放された各人がどのような人間関係を取り結ぶことが期待されているのか、何が望ましい人生像であり家族像なのか、という問題は、13条「個人の尊重」「幸福追求権」、14条「法の下の平等」、24条「婚姻の自由・平等」「家族関係における個人の尊厳、両性の本質的平等」を基礎としつつ、各人および未来の社会に対して開放されている。

 個人各人の人格的自律に根差した《自分らしく生きる権利》が究極のゴールであり、婚姻の自由や家族制度の保護はその一局面。

 しかし、今はまだ、そうした《個人としての解放》を支える支援的措置が必要。《女性の権利》が必要とされるのは、そうした文脈から。婚姻や家族関係は、各人の人格的自律と直結しているものとして、憲法24条に定められた基本原則の枠内で確保。(←「枠」とは、国家の干渉に対して、国民の側の自由を守れ、という立憲主義の「枠」)

(3)開放性と国際条約

 1(1)で見た国内の判決の流れも、世界的な問題関心の中に位置づけて考えなければならない。

     ⇒国連女子差別撤廃条約(および委員会)や児童権利条約など

 これらの国際条約は、加盟国が国内実施する義務を負っている。

 憲法は本来、人権の発展に対しては開かれている。抽象的・包括的な内容をもつ13条、14条と同じく、24条も、法制度がより積極的な支援の方向へと発展することについて開かれている。とくに2項の「法律は…」という言葉は、国家が法政策を行っていく広い余地(立法裁量)を認めているが、この余地は、そのためにこそ生かされるべきもの。その方向であれば、裁判所が国会に先立って憲法規範に合う結論を選択することについても開かれている、と言うべき。

(4)開放性と法的安定性

 民法でしばしば言われる「法的安定性」は、夫婦同姓ルールや同性婚を認めないルールのように《制度と社会的現実が相互に拘束し合う場面》では、多様性の承認や個人の自律に向けた社会発展を阻む要因となりうる。(諸刃の剣)

 この領域で、憲法の観点から見て望ましいと考えられる法的安定性への配慮とは、違憲判断を控えることではなく、必要な違憲判断の後に生じる利害の混乱を抑えるために方策を講じることである(2013年決定で、相続分が変更されることの遡及効を限定する、といった配慮)。

3.日本国憲法24条 2012年改正草案

(1)2012年自民党改憲草案 第24条

 2012年自民党改憲草案 第24条

 家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。

 2 婚姻は、両性の合意★に基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。(★「のみ」が削除される)

 3 家族、扶養、後見、婚姻及び離婚、財産権、相続並びに親族に関するその他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。

 (参考)世界人権宣言16条3項  家族は、社会の自然かつ基礎的な単位であり、社会及び国による保護を受ける権利を有する。

 ポイントは、

 ・両当事者の自由・平等が最初に掲げられている現行憲法に対し、改正案では、家族の助け合い義務が最初(条文中の総則部分)に来ている。現行憲法2項の「個人の尊厳と両性の本質的平等」は、1項の当事者の自由・平等と対立しない内容なので、順序が最後でも問題ないが、改正案では、改正案(新設)1項と改正案3項の「個人の尊厳・両性の本質的平等」が緊張関係に立つ。このとき、新設され、しかも1項に置かれた「家族」の「義務」が優先することとなる。⇒条文の意味がまったく変質してしまう。

 ・上記1と2でリストアップした諸問題にとって、この改正は解決の方向に向かうのかどうか。

(2)「家庭」「家族」を対象とした法政策の新設

 「家庭教育支援法案」

 「親子断絶防止法案」 (離婚家庭の面会などに関するルール)

 内閣府の進める婚活支援策」

 家族に関わる法律案や施策の現実化に向けた動きが急速に高まっている

なぜ国家が家族への干渉を強めているのか⇒「子ども」の育成への関心

しかし国家が次世代の育成を関心事とするという通常の意味とは異なった特異性が見られないか

 ・形式面での強要性

 ・内容の非合理性

 ・実施方法の全域性

 国家が家族の望ましい姿を定め、直接に人々のライフスタイルや行動をある方向に向けて「支援」しようとしている。

 ・この方向は、2006年の「教育基本法改正」で、すでに示されていた。

 改正教育基本法10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的に責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主生を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない

(現在の「家庭教育支援法案」は、この条文の具体化)

4.日本国憲法24条の意味の再確認とこれに基づく展望

 (1)憲法改正や各種法案・推進中の施策は、人権の開かれた発展に資するか

 ・「個人の尊厳」「自由」「平等」と家庭内弱者虐待の問題:

世話しきれない状況に対して手を差し伸べる政策を

 ・同姓婚の許容に憲法改正は必要か――NO。

 上記の「3」の憲法改正や各種法案・推進中の施策は、「1」で見た各種の問題への解決を提供するか。⇒かなりのものが、関連性が不明でその合理性に疑問がある。

 上記「3」の憲法改正や各種法案・推進中の施策は、憲法24条の解放性・開放性に沿うものとなっているか。・⇒NO。先に見た解放性と開放性(多様性・発展可能性)に対し、特定の家族像へと支援対象ないし支援方向を特定する方向。

 (2)開放性の視点から・法のメッセージ機能

 社会の動きをまず解放する:上記のような個別事例で当事者の過剰で不平等な負担を取り除くには、銀行など市民生活にとって重要かつ公共性の高いサービス機関に対して、そのような形で特定のライフスタイルを間接強制する慣行を改めるよう、法律または行政指導を通じて命じるような方策もありうる。が、もう一つの考え方として、少なくとも裁判所が民法の規定に対して違憲判決を出し、国会がこれを真摯に受け止める改正作業に取り組めば、経済社会のほうも多様なライフスタイルを認める方向で影響をうけることが期待される。

 たとえばLGBT問題に関しては: 2015年、渋谷区と世田谷区は、同性カップルに「パートナーシップ」公認の証明書を発行することを条例化し、実施している。この動きによって、病院、住宅購入(銀行融資)など社会の側が動きを見せた。

(3)多様性と制度的承認の緊張関係

 現在、LGBT問題を含め、個人と文化的集団の多様なあり方を認めることは、「文化多様性」の観点から肯定されている。一方、現在のLGBTの承認を求める運動の関心は、同性婚ないし婚姻に準じる制度を求めることに注がれている。ここには、《多様性の確保》と《承認を求める主張》との緊張関係が生じている。

懸念される負の作用:LGBTの生き方のなかで尊重されるのは既存の家族スタイルに回収できる事柄だけで、それを選択しない者は依然として排除の対象?

 ⇒婚姻・家族関係について定めた憲法24条について開かれた解釈 を模索すると同時に、各人の生き方・あり方に立ち入ってその線路に乗らない者との間に分断線を引くような成り行きを避ける必要がある 。多様性とは、常に旧来の制度・知識では補足しきれない事柄への認容を含む思考。

(4)表現規制へ向かうことは勘違い

 国際社会が日本の漫画・アニメ表現に対して、良識ある自制を求めている部分がある。児童ポルノははっきりと規制を求め、ジェンダー・ギャップを助長するような表現には配慮を求めている。しかし、たとえば女子差別撤廃委員会は、新たな法規制を求めてはいない。差別撤廃や女性の活躍応援、子どもの健全な育成を目的にした政策が「表現規制」へと向かうことは、方向違いになることに注意。

 そうした本末転倒に陥る可能性を避け、差別撤廃と児童福祉のための直接的で緊要な現実的問題のほうに関心と資源を集中する必要が。

 「表現規制の前に、その目的に照らして試みるべき支援的な政策すでに十分に試みたか」を問うこと、さらに「表現規制を提案するならば、その前に、より現実的な問題に対して救済・支援型の政策を実行すべきである」と立法者に向けて言うことが、政策的賢明さの観点からも、憲法理論の観点からも必要。

おわりに ――開かれた憲法論に向けて

 憲法はもともと将来に向けて開かれたもの。

21条「一切の表現の自由」や13条、25条(とくに2項)の包括性がその例。

人権の発展性に対しては開かれた構造/国家権力への暴走可能性に対しては護岸壁として機能。

 ⇒人権保障の必要性に名を借りた憲法改正は不要

 国際社会から受けているさまざまな提言の具体的内容に強制力はない。しかしその一つ一つに日本(政府)がどう答えるかによって、日本(政府)の見識が測られる。日本(政府)は、少なくとも外からはそう見えている、という《他者の視点》を受け止める必要がある。日本国憲法は、24条、26条(教育を受ける権利)、27条3項(児童労働の禁止)など、女子差別撤廃条約や世界人権宣言や国際人権規約の内容や方向に合致する規定を多く持っており、さらに、これらを基底から支える基盤的権利として、13条(個人の尊重と幸福追求権)、14条(法の下の平等)、前文の「平和のうちに生存する権利」を持っている。法文を見る限りは、国際スタンダードと言える内容の憲法となっている。

 しかし日本は、憲法条文の完成度とは裏腹に、まだ自国の憲法を真剣に達成・遵守しているとは言えない現状にある。今、国際社会がさまざまな項目について《気づき》を促している事柄は、じつはそのほとんどが自国の憲法にすでに書き込まれている課題、あるいはそれを達成するために必要な措置である。これに対して真摯に応じなければ、世界の水準から取り残されるだけでなく、自己が宣言している課題を消化できない、つまり自己責任や自己統治を理解できない未熟国ということになる。

 日本がこれを対話の端緒と受け止め、自ら腰を上げることで、国際社会から一目置かれる存在となりうる道も開かれている。

                                                       了

参考

辻村みよ子『憲法と家族』(日本加除出版、2016年)

林陽子編著『女性差別撤廃条約と私たち』(信山社、2011年)

本田由紀・伊藤公雄編著『国家がなぜ家族に干渉するのか』(青弓社、2017年)

志田陽子「セクシュアリティと人権」石埼学ほか編『沈黙する人権』(法律文化社、2012年)

志田陽子「婚姻と家族をめぐる憲法訴訟における『変化』」月報司法書士543号、2017年)

志田陽子「LGBTと自律・平等・尊厳 なぜ憲法問題なのか」(法学セミナー753号、2017年)

志田陽子「表現内容に基づく規制――わいせつ表現・差別的性表現を中心に」阪口正二郎・愛敬浩二・毛利透編著『なぜ表現の自由か――理論的視座と現況への問い』(法律文化社、2017)

 

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