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2024-02-28

“群馬の森朝鮮人追悼碑撤去”における山本一太知事の行政的対応について憲法的に考える

群馬大学准教授 藤井 正希

 2024年1月29日から群馬県は、行政代執行法に基づき、県立公園「群馬の森」にある朝鮮人追悼碑の撤去工事を始め、現在では既に更地になっており、そこに追悼碑が存在していた痕跡はまったくない。碑文の内容の妥当性、追悼碑撤去の妥当性については、現在でも賛否両論が激しく対立し、容易に解決しそうにもないが、今回はこの点にはあえてふれない。それらの妥当性の問題は別にして、今回の山本一太知事の対応は、憲法的に非常に不適切であり、大きな禍根を今後に残したと言わざるをえない。すなわち、本件の最大の問題点は、追悼碑の撤去を求める執拗な右翼の抗議に県が屈して、それまで何ら問題にはしてこなかった碑前の追悼式における些細な政治的発言(「強制連行」)を口実に許可条件違反ということにして、追悼碑を撤去したところにあるが、これを正当化する山本知事の主張は、①守る会の「ルール違反」がすべてである。②「司法の場で議論し最高裁で結論が出た」終わった話である。③追悼碑が「紛争の原因」になってしまっているという3点にある。しかし、これらの主張にはいずれも憲法的に多くの問題があり、根拠として成り立たないのである。この点につき、以下、検討していくことにする。

1.守る会の「ルール違反」の点について
確かに、2004年、追悼碑が県から10年間の設置許可を受け設置された際、「政治的行事を行わない」との条件付きだった。にもかかわらず、年開催の追悼式で「追悼碑を守る会」の共同代表や事務局長、来賓が「強制連行の事実を訴えたい」などと発言したことから(裁判所が認定したのは3度の追悼式で計3回のみ)、県は2014年、条件に反したとして更新を認めなかったのである。このように、設置についての条件違反と言われてもやむをえない行為があったことは事実である。それゆえ山本知事は、「設置の際に定めたルールに反したことがすべてだ」(2024年1月25日定例会見)と繰り返しているのであろう。
しかし、例えば、窃盗罪の法定刑は最高で懲役10年であり(刑法235条)、コンビニでおにぎり一個を万引きしたとしても窃盗罪は成立する。だからといって、この場合、懲役10年を科すのは、形式的には適法と言いうるかもしれないが、明らかに不当であり、許されない。そもそも日本国憲法には適正手続(デュー・プロセス)の原則というものが規定され(憲法31条)、この適正手続の原則からは、罪刑法定主義や罪刑均衡の原則、告知と聴聞を受ける権利等が派生するとされている。そして、これらの原則は、本来、犯罪者を処罰する刑事手続を念頭に置いたものだが、刑事手続のみならず行政手続にも一定の基準により及ぶことを最高裁も肯定している(1972年11月22日の川崎民商事件、1992年7月1日の成田新法事件など)。
 とするならば、守る会による追悼碑の設置期間更新申請に対して、知事が更新不許可の行政処分をおこなう場合にも、その行政手続は適正なものである必要がある。しかし、知事は、守る会が代替案の提案や、知事とのトップ会談を申し入れたにもかかわらず、何ら回答しないまま、追悼碑が政治的行事に利用されたことなどを理由にして更新不許可処分をおこなっている。この点、追悼碑が公園の効用を全うする機能を喪失したかどうかを判断するにあたっては、代替案につき十分に考慮することは必要不可欠であるし、また、それなしに更新不許可処分をおこなうことは、守る会にとっては“いきなりの死刑宣告”に等しいと言える。実際、前橋地裁はこの点を特に重く見て、「県は当然考慮すべき事項を十分考慮しておらず、更新不許可処分には裁量権を逸脱した違法がある」と判断して、更新不許可処分を取消している。このような県の一連の対応は、適正手続の原則(憲法31条)に反する可能性が高いと言わざるをえないのである。

2.「司法の場で議論し最高裁で結論が出た」点について
山本知事は「司法の場で議論し最高裁で結論が出た以上、その判断に従って必要な手続きを粛々と進めていく」(2023年10月12日定例会見)とも繰り返し述べている。しかし、裁判で確定されたのは「2014年7月22日に知事がおこなった更新不許可処分は適法である」ということだけであり、「追悼碑を撤去しろ」とか、「許可することが違法である」と言っているわけではない。本件はあくまで裁量の問題なのだから、「不許可は適法である」ということと、「許可は適法である」ということとは、同じ土俵で成立しうる。しかも、2014年からすでに10年近くが経過しており、その間、追悼碑が一般県民に具体的な弊害や不利益を与えた事実はまったくないのである。とするならば、これは「当不当」の問題なのだから、知事は許可しようと思えばできたのである。
 そもそも「県立公園にある追悼碑をどうすべきか」ということは、裁判所が決めるべき問題ではなく、「地方公共団体の運営に関する事項」(憲法92条)として最終的には行政の長たる知事が決めるべき行政問題である。そうであれば、むしろ現在の民意を反映した知事独自の政治的判断こそが要請されるのである。すなわち、山本知事は事実や経緯を県民に説明した上で、パブリックコメントや県民アンケート調査により民意を確認し、「追悼碑を存続させるか、撤去するかの知事としての行政判断」をおこなうべきだったのである。この点、知事がいずれの結論を取ろうとも、それを裁判所が違憲・違法と判断することは絶対にありえない。
 山本知事がその政治的決断から逃げていたのは、自分が判断することにより批判されたくないからである。すなわち、追悼碑を存置すればまた右翼団体の抗議を受けるし、撤去すれば存置を求める市民から歴史修正と批判されてしまう。「最高裁で決着がついている過去の話」で済ませてしまえば、誰からも文句を言われることはなく、責任転嫁ができる。これは知事としてきわめて不適切な対応であり、結果として歴史修正主義者を喜ばせ、助長することに手を貸すことになりかねないのである。

3.追悼碑が「紛争の原因」になっている点について
山本知事は、「追悼碑が、存在自体が論争の対象となり、街宣活動・抗議活動などの紛争の原因になっており、都市公園にあるべき施設としてふさわしくない」から撤去してもいいとする。しかし、この論理に従えば、「都市公園に掲揚された日の丸の前で『日の丸を国旗と認めない』という街宣活動・抗議活動が活発化すれば、日の丸は都市公園にあるべき施設としてふさわしくないから撤去してもいい」となりかねない。
 この点、日本の最高裁は、アメリカの連邦最高裁の判例の中で主張されてきた「敵意ある聴衆の法理」という法理論を採用している(市福祉会館の使用不許可処分による集会の自由の制限が問題になった上尾市福祉会館事件最高裁判決[1996年3月15日]や、市民会館の使用不許可処分による集会の自由の制限が問題になった泉佐野市民会館事件最高裁判決[1995年3月7日])。そもそも敵意ある聴衆の法理とは、正当な言論活動を行っている人間を、その言論に敵対する人間(すなわち敵意ある聴衆)が存在し、ただ混乱するという理由で、むやみに規制してはならないという原則をいう。表現の自由と民主主義を守るためには、治安の維持を理由に正当な言論活動を制止してはならないことを根拠とする。例えば、ある演説が聴衆をあおり、聴衆が暴力をもって演説者を脅かしている場合、公権力としては、演説者の表現の自由を制約して聴衆を抑えるのではなく、聴衆を抑えて演説者の表現の自由を守るべきなのである。
2021年の夏、東京と名古屋と大阪で「表現の不自由展」が企画され、群馬の森朝鮮人追悼碑をモチーフにした「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」や慰安婦をモチーフにした「平和の少女像」、「昭和天皇の肖像画をバーナーで燃やし、その残灰を靴で踏みつける」映像(『遠近を抱えてPartⅡ』)などの展示が予定されたが、東京と名古屋では抗議によって、開催中止に追い込まれてしまった。しかし、大阪では、開催予定施設である大阪府立労働センターが「管理上の支障が生じる」と施設の利用提供を拒否したものの、大阪地裁は、実行委員会の主張の通り、施設の利用提供の拒否について停止処分を認めた。大阪府は即時抗告したものの大阪高裁は棄却し、続く最高裁への特別抗告も棄却された。その結果、2021年7月16日から18日にかけて、「表現の不自由展」は、大阪府立労働センターのエル・おおさかで、連日多くの人がつめかけ、予定通り開催された。その際、大音響で叫ぶ黒塗りの街宣車が会場周囲を何度も巡回し、妨害行為が行われたものの、施設職員による会場警備や警察のガードにより、衝突などのトラブルは起きず会期をまっとうすることができた。これはまさに「敵意ある聴衆の理論」が適用された事例と言える。
これと同様に、知事も、市民団体に追悼碑の撤去を要求するのではなく、むしろ騒ぎ立てる排外主義者を抑え、表現を守る責任があった。すなわち、知事は、反対者との衝突や紛争により憩いの場としての都市公園の効用を確保できないことを不許可処分の理由にしているが、このような危険性が抽象的にあったとしても、敵意ある聴衆の法理からして、第三者の妨害行為の危険を理由に設置期間更新を不許可とすることは、妨害行為を助長して正当な権利行使(表現活動)を弾圧することになり妥当ではなく、このような危険は警察権力等の行使によって防ぐべきものなのである。この点、敵意ある聴衆の法理からして、知事が更新を不許可とする理由を認めることはできないと考えざるをえない。

4.追悼碑撤去の先にあるものとは?
前述した美術作品「群馬県朝鮮人強制連行追悼碑」の作者である白川昌生氏は、追悼碑撤去問題の背後には「改憲を強く求めるある右翼団体」が存在し、「群馬県議の8割はそのメンバー」「追悼碑の撤去がゴールではなく、その先には憲法改正がある」と語っている。実際、革新系の群馬県議もほとんどこの問題には関わろうとしていない。追悼碑撤去は歴史修正への地ならしであり、群馬の森のつぎは、東京都の横網町公園、そして、関東大震災時の流言飛語によるデマにもとづく朝鮮人虐殺、従軍慰安婦や強制徴用を反省・記憶する全国の追悼碑が次々と撤去され、最後の総仕上げが憲法改正ということなのであろう。歴史修正主義者の真の狙いはそこにあると思って間違いなかろう。この点、現在、国会の憲法審査会で議論されている「国会議員の任期延長を認める憲法改正」なんて全く不要だと私は考えている。日本国憲法がまったく市民の暮らしに活かされず、“宝の持ち腐れ”になってしまっていることこそが大問題なのである。追悼碑撤去問題が憲法改正問題であるからこそ、この問題を決して軽視してはならず、国民的議論の対象にする必要があるのである。それにもかかわらず、群馬の森朝鮮人追悼碑問題を取り上げているのは、ほんの一部のマスメディアとインターネットメディアに過ぎず、問題の重要性がまったく国民一般には共有されてはいない。私は、この点を非常に憂慮し、今後の日本に大きな禍根を残すと考えざるをえないのである。           

以上

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